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zoom RSS 故郷に帰りたかった防人(さきもり)はどんな犯罪を犯してしまったの?

<<   作成日時 : 2013/11/06 07:02   >>

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★歴史★
問題:663年の白村江(はくそんこう)の戦い以降、日本は中国・朝鮮連合軍の侵略に備えていたそうです。筑紫・壱岐・対馬の防衛を強化します。増やす兵員は、初めは諸国の兵士の中から、のちには東国出身者にかぎって派遣したらしい。防人と呼ばれる人たちです。
■防人に選ばれるのは、裁判員に選ばれるよりもはるかに不運な出来事のようです。任期は3年です。その間、いちども故郷には帰れないらしい。準備も道中もたいへんです。武蔵国から九州の太宰府まで、当時は2ヶ月もかかったそうです。その間の食料のうち、難波までは自前とのこと。そこから先は支給されたらしい。弓・矢・太刀などの武具、鍋・釜などの日常生活用品など、これもすべて自前で整えるとのこと*1。
■出費もさることながら、残してきた家族が心配です。妻や子供たちが3年間無事に過ごせるか。心が張り裂けるような思いだったのでしょう。「万葉集」には、防人たちの悲痛な叫びが数多く歌として残されているそうです*1。
---吾ろ旅は 旅と思(おめ)ほど 家(いひ)にして 子持(め)ち痩(や)すらむ 我が妻(み)かなしも
---(俺は自分の旅だから我慢するが、子供を抱え苦労する妻のことが悲しいよ)
防人に選ばれてしまった人の代表的な感慨なのかな。
■---我が妻も 絵に描き取らん 暇(いづま)もが 旅行く吾(あれ)は 見つつ偲はむ
---(ああ妻の似顔絵を書く暇が欲しい。肌身離さず持っていようものを)
写真もメールもない時代です。愛妻を思い出すよすがに似顔絵とは、なかなか大変ですね。でも、紙も筆も墨も高価だったでしょうけど。
■防人の制度は10世紀ぐらいまで続いたらしい。東国から徴兵されていた天平(てんぴょう)10年(738年)ごろ、東国に帰る防人の数は2000人ぐらいだったそうです。かりに毎年そのぐらいの人が徴集されていたとすれば、現地では合計6000人ぐらいが防衛任務にあたっていたのかな。
■「日本霊異記(りょういき)」によれば、防人の中に、吉志大麻呂(きしのおおまろ)という人物がいたそうです。彼はいったん赴任しますが、ある大胆な方法で帰郷することを思い立ちます。結局、失敗に終わり、彼は命を落とします。吉志大麻呂が実行したこととは次のどれでしょうか?
[い]上司に賄賂を渡し、3年任期のところを1年にして貰おうとした
[ろ]軍隊の事務方のいる部屋に忍び込み、書類を改竄して任期を短くしようとした
[は]もうじき帰郷できる者を殺してその者になりすました
[に]母親を亡き者にし、服喪で1年間解放される制度を悪用しようとした
[ほ]脱走した
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]母親を亡き者にし、服喪で1年間解放される制度を悪用しようとした
説明:「日本霊異記」は、正式名称を「日本現報善悪霊異記(にほんげんほうぜんあくりょういき)」というらしい。歴史の本ではなく、あくまでも物語集です。薬師寺の坊さんが800年代初期に書いたとされています。平安時代のごく初めのほうですね。少し説教臭いところもあるようです。その記述は事実とはことなるでしょうけれど、背景になっている風俗や物語の設定は、当時の世相を知る手がかりになるそうです*3。
■吉志大麻呂は、老母を伴って防人に行ったそうです。マザコンではありません。残していく妻になるべく負担をかけぬようにという配慮かな。カミサンや恋人を連れて行くのは駄目ですが、親の同伴は許されていたようですね。牛・馬などの携行も自由だったそうです。ただし、親の食事、家畜の餌その他の世話はすべて自身の負担になるようですが。
■吉志大麻呂は、現地に着いてから服喪の制度があることを知ります。親が死ぬと服喪で1年間帰郷できるらしい。ああ妻に会いたい。母親が早く死んでくれれば帰れるのに。
■ところが、九州までの旅にも負けない健脚の老母は、元気でなかなか死にそうもありません。望郷の念が強まるばかりの吉志大麻呂は、ついに母親殺しを考えます。「山の寺でありがたいお説教が聞けるそうだ。行ってみないか」と母親を誘い出します。母親は身体を清めてついて行ったらしい。
■里を離れて山にだいぶ入ったところで、大麻呂は母親に言います。「地面にひざまずけ」。何が起こったかわからない母親は「どうしました。気でも狂ったのですか」。大麻呂は無言で刀を抜き、斬りかかります。
■息子が本気で自分を殺そうとしていることをさとった母親は、あらためて最後の質問をします。「子供を育てるのは大きくなったら養ってもらうためではないか。頼りにしている子供に裏切られるとは。どうしてそんな気持ちになったのか」。
■妻に会いたい一心の大麻呂は耳を貸しません。母親は観念して着物を脱いで3つにわけたそうです。3人の子供への形見わけらしい。当時、着物はとても大切だったようです。刀で傷つけたり、血で汚したりしたくなかったのでしょう。
■いよいよ大麻呂が刀を振り上げたとき、突然彼の立っている地面が裂けます。大麻呂は落下しますが母親はその髪をつかみます。そこで母親はリポビタンDをグイッと飲み、「ファイト、1発!」と叫ぶと、大麻呂を引き上げて助け出しました。なんてね。そんな怪力の母親がいたらこわいかな。
■髪をつかみながら、母親は天に向かって叫びます。「息子は気が狂ったにちがいありません。悪い子ではないのです。罪をお許しください」。母の祈りも空しく、大麻呂は奈落の底に落ちていったそうです*2。つまり地獄につながるクレバスが生じていたわけかな。
■親不孝とその報いについての説話なのでしょう。でも、防人の辛さも十分に伝わってくる物語ではありますね。
◆参考*1:HP「防人 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E4%BA%BA
◇*2書籍「古典でたどる日本サラリーマン事情」初版37〜43頁、山口博(ひろし)著、ISBN 4-569-22222-6、PHP研究所
◇*3HP「日本現報善悪霊異記 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%8F%BE%E5%A0%B1%E5%96%84%E6%82%AA%E9%9C%8A%E7%95%B0%E8%A8%98

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
現代の状況をみると、地面が割けそうな輩が大勢おりますがね・・・(~_~;)
ねこのひげ
2013/11/10 13:38
コメントをありがとうございます。

 葛飾区の小菅にある東京拘置所には死刑囚が30人ほど拘置されて最期の日を待っているそうです。
 ひょっとしたらここには活断層があって、いつか大きく地面が裂け、30人が飲み込まれちゃうのかな。
(^^;)

ねこのひげ様<素町人
2013/11/10 21:47

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