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zoom RSS 「折檻」のそもそもの意味は?

<<   作成日時 : 2013/10/03 08:34   >>

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★日本語★
問題:折檻という言葉をご存知でしょう。「厳しくしかったり、こらしめの体刑を加えたりすること」だそうです。「子供に折檻を加える」という使い方が多いようです。家庭内における体罰という印象があります。
■そちら方面に趣味のある方々には、加虐という意味でとらえられるかもしれません。加虐は暴力ではなく愛のひとつの形である…と、そちら方面に趣味のある方々はおっしゃっておられます。
■「檻」という漢字は、常用漢字表にはありません。漢和辞書「字通」でみると、「カン、おり、てすり」という字音・字訓があります。現在では「おり」と読まれることが多いようですね。檻を折る。なんとなく刑務所からの脱走を連想します。あるいは不法監禁されていた若い女性が逃げ出し、警察に駆け込む図かな。やっぱり加虐被虐の世界かな。
■ところで、折檻の語源となった故事は、現代の日本語で使われている意味とも、漢字から連想する意味とも異なるようです。では、折檻という言葉は、どんな場所にまつわる故事に由来するのでしょうか?
[い]家庭
[ろ]役所
[は]宮廷
[に]売春宿
[ほ]賭博場
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★日本語★
正解:[は]宮廷
説明:折檻の意味を「大辞泉」で調べると、「厳しくしかったり、こらしめの体刑を加えたりすること」とあります。これはご存じのとおりですね。もうひとつあって、「 強くいさめること。厳しく諫言(かんげん)すること」とあります。諫言とは、「目上の人の過失などを指摘して忠告すること」だそうです。
■折檻という言葉が生まれたきっかけは、直諌(ちょっかん)の士の行動から生まれた美談だったようです。「直諌」というのは、「遠慮することなく率直に目上の人をいさめること」とのこと。
■漢(前漢)の成帝(せいてい)の時代の話だそうです。成帝の在位は紀元前33年から紀元前7年までとのこと。日本でいえば弥生時代でしょうか。中国に安昌侯張禹(あんしょうこう ちょうう)という人物がいました。成帝の先生という立場だったようです。重臣としても重用されていたとのこと。
■当時、外戚の王氏が好き勝手をやっていたようです。外戚というのは、皇后や皇太后の親戚のことらしい。唐の玄宗皇帝の時代には、楊貴妃の又従兄(またいとこ)である楊国忠(ようこくちゅう)が好き勝手をやっていたと聞きます。あれも外戚らしい。
■南昌県(なんしょうけん?)という地域の長官をつとめる梅福(ばいふく)という人物が王氏の専横をとがめる文書を成帝に送ったそうです。南昌県は現在の江西省(こうせいしょう)にあるとのこと。台湾の向かいが福建省(ふっけんしょう)、その西隣が江西省だそうです。
■成帝は張禹に相談したらしい。でも、外戚王氏の一族に恨まれたくない張禹は、取り上げる必要はないと答えたようです。筋を通すことよりは世渡りを重視するタイプ。つまりごく普通の人ですね。
■王氏の横暴はますます激しくなったらしい。見かねてお話の主人公である朱雲(しゅうん)という人物が成帝に拝謁を求めます。朱雲は陝西省(せいせいしょう)にある槐里県(えんりけん?)の長官だったらしい。陝西省は江西省などよりずっと内陸の地域です。省都は西安。昔は長安と呼ばれ、前漢、隋、唐などの首都でした。
■朱雲は成帝の御前、高級官僚の居並ぶ前で、言い放ちます。「今の朝廷の大臣は腰抜けばかりである。どうかおそばの斬馬(ざんば?)の剣を賜り、佞臣(ねいしん)一人の首を刎ね、他の者たちを励まさせていただきたい」*2。
■佞臣とは「口先巧みに主君にへつらう、心のよこしまな臣下」のことだそうです。成帝は興味を持ち、「佞臣とは誰のことか?」と御下問になります。「安昌侯張禹です」と朱雲は答えます。
■成帝は怒ったそうですね。「小物が上を謗り(そしり)、公に皇帝の師匠を辱めるとは、死罪である」*1。シークレット・サービスに朱雲を連行するよう命じたらしい。朱雲は宮殿の欄干につかまって抵抗したそうです。欄干は折れてしまいます。「私は死んでも、あの世で昔の有名な忠臣たちに逢えるなら本望だ」と叫んだらしい。昔の有名な忠臣たちも、直諌を行なって暗君から死罪の宣告を受けたのかな。
■朱雲はそのまま連行されたとのこと。でも、左将軍辛慶忌(しんけいひ?)という心ある人がおり、自分の命を賭けて助命を願い出たそうです。左将軍というのは将軍の位のひとつであり、前後左右の4種の将軍位の1つだそうです。日本にも左大臣右大臣というのはいましたが、前後はあまり聞きませね。うん、百人一首には「前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)」という人がいましたっけ。でもあれは、「前に大僧正だった」ぐらいの意味と聞きましたけど。
■話が脇道にそれました。辛慶忌のおかげで朱雲は助かりましたが、宮殿の欄干は折れてしまいました。さっそく新しい欄干に取り替える工事を始めようとする担当者に成帝は「取り替えないでよろしい」と言ったらしい。直諌の忠臣がいたことをいつまでも伝えようという意図なんだそうです。「漢書」の「朱雲伝」、それを元にした「十八史略」などに記された故事のようです。その後、「佞臣」張禹や外戚王一族に対する処分がどうなったかは不明です。成帝の心変わりの理由もいまひとつ曖昧で、ちょっと中途半端な美談ですよね。
■それはともかく、「檻」という漢字は、ここでは「てすり」の意味で使われているようです。「手すりを折る」が折檻なわけですね。故事では下位である朱雲が上位の成帝を叱った(?)わけですが、現代では上から下、一般には親から子を叱るのが折檻という意味です。いつごろ入れ替わったのか。なぜ入れ替わったのかは、残念ながらわかりませんでした。
■余談です。安土桃山時代の武将佐久間信盛(のぶもり)には、織田信長から「折檻状」というのが届いたらしい。天正(てんしょう)8年(1580年)8月のことだったようです。石山本願寺に立て籠もる顕如らを攻める包囲軍の総大将に任じられたにもかかわらず、4年もの間、状況をまるで変えることができなかったらしい。19箇条からなるお叱りの言葉だったようです。第1条は「お前はアホか」なのかな。
■総大将を解任された佐久間信盛は高野山に上りますがここにも落ち着けず、熊野に落ちたようです。信長が本能寺で暗殺される半年ほど前、天正(てんしょう)10年(1582年)1月に死去したとのこと。1年5か月前後の放浪生活だったのかな。このときにはすでに上から下へと力の方向が変化しているようですね。
◆参考*1:HP「朱雲 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E9%9B%B2
◇*2書籍「ことばの散歩道V 日中ことわざ雑記」12〜14頁、上野恵司著、ISBN978-4-86398-083-9、白帝社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E9%9B%B2

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
成帝が「取り換えないでよろしい」と言ったということは、少しぐらいは認めたのでしょうから、佞臣連中を退ければよかったんですがね。
退けたという話が残っていないところが、おかしなところですね。
ねこのひげ
2013/10/06 18:46
コメントをありがとうございます。

 やっぱりそうですよね。なんかはっきりしない結末です。
 もうひとつ不思議なのは、張禹よりも王氏一族のほうが直接の敵であり、大きな問題であるはずなのですが、なぜ張禹を告発したのか。これもちょっと妙ではあります。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/10/06 19:18

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