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zoom RSS 江戸の町の町火消しって何人ぐらいいたの?

<<   作成日時 : 2013/10/30 07:40   >>

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★歴史★
問題:「江戸は火事早いところ」とは落語などでよく使われる表現です。冬は乾燥して空っ風が吹き抜けます。地震が怖いので耐火性の強い建材、石やレンガは使いません。さらに人口のおよそ半分を占める町人が、面積では20%以下の地域で暮らしていました。家は密集しています。延焼防止のための火除け地はあまりとれなかったようです。
■ちなみに秋葉原の一部はかつての火除け地だったと聞きます。「秋葉」という地名も、秋葉大権現(あきばだいごんげん)の信仰に由来するようです。この神様は「火防(ひぶせ)の神」として知られているとのこと。現浜松市に元締めというか総本山みたいな秋葉神社があるらしい。秋葉神社は火之迦具土神(ひのかぐつちのおおかみ、火の神様)を祭神としているそうです。火之迦具土神は、母親であるイザナミから産まれたとき、産道に火傷を負わせます。結局それが原因でイザナミは死んでしまったと伝えられています。
■江戸では、10万人が亡くなったと推定される明暦の大火、いわゆる振り袖火事を含め、死者数100人以上の大火が15件前後あったらしい。「大火」の定義ははっきりしませんが、「…慶長(けいちょう)6年(1601年)から慶応(けいおう)3年(1867年)の267年間に大火だけで49回、小火も含めると1798回もの火事が発生した」と参考資料*4には記されています。
■火事の防止を呼びかけ、夜になると「火の用心、さっしゃりましょ〜う」と歩いて回る人たちがいます。落語の「二番煎じ」に登場する例では町内の住民が行なったらしい。月番と呼ばれる当番の人が先導役となり、商店の主人、謡(うたい)の師匠など、さまざまな職業の人が参加したようです。もちろん無給であり、労働奉仕です。
■いざ出火してしまったら、火消しの出番です。当時の消防は水をかけて温度を下げるとか、泡をかけて酸素を遮断して消すといった方法ではありません。「破壊消防」といわれる手段をとったそうです。燃えている家の周囲の家屋を壊し、燃えるものを片付けるとのこと。延焼を防ぐわけですね。燃えるものがなければ火事はその内側で鎮火せざるをえません。なんだか原始的だな。
■火消しは初期には武家の火消しが制度化されたようです。幕府抱え、大名抱えなどがいたらしい。大石内蔵助以下47士が吉良邸に討ち入りの際に着ていたのは大名抱えの火消しの火事装束とも聞きます。
■8代目将軍吉宗の時代には、享保の改革の一部分として、消防制度の見直しも行なわれたそうです。南町奉行大岡忠相(ただすけ、越前守)は、享保(きょうほう)3年(1718年)にそれまでの定火消し(じょうびけし)を受け継いで町火消組を組織させたとのこと。家の構造に明るい鳶職や大工を主戦力としたらしい。破壊消防の効率をあげるためのようですね。
■では、ここで問題です。享保(きょうほう)15年(1730年)の調べで、江戸の町には町火消しは何人ぐらいいたのでしょうか。
[い]500人ほど
[ろ]1000人ほど
[は]2000人ほど
[に]5000人ほど
[ほ]1万人ほど
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]1万人ほど
説明:参考資料*3によれば、いろは四十八組の町火消組と本所・深川十六組の町火消組があり、前者は9378人、後者は1280人、あわせて1万658人の町火消しがいたらしい。ずいぶん多いものですね。
■ちなみに、現在の東京消防庁は、1万8000人ほどだそうです*5。消防機関としては世界一の組織とのこと。でも、江戸のころから人口が10倍になっているわりには増え方が少ないですね。火事を消す武器が進化したおかげかな。
■町火消しの費用は町火消改(まちびけしあらため、幕府側の監督担当者?)から給金が支払われたそうです。町内の旦那衆たちも支援したらしい。町内の有力な店の名前を染めた印半纏(しるしばんてん)が支給されたとのこと。火事のないときには、旦那衆の家の雑用を務めたりしたそうです。
■店に来る騙り(かたり、詐欺)や強請(ゆすり)を追い払ったりする役も果たしたらしい。用心棒ですね。火事と喧嘩は江戸の華なんて言葉もあり、火消しは男の中の男と見られていた。これは一面では正しいらしい。でも、同時に嫌ったり蔑んだりする人たちもいたようです。というのは、昼間なにもせずにブラブラしています。小人閑居してなんとやらで、女の子をからかったり、弱い者いじめをする奴もいたらしい。
■火消しは臥煙(がえん)とも呼ばれました。辞書で引くと、「江戸の町火消しの鳶の者」という意味と、「ならずもの、無頼漢」という意味が並んでいます。落語の「火事息子」でも、火消しになりたがる息子の言動は、堅気の親には我慢がなりません。勘当されちゃいます。
■火消しは、大工や鳶などの本業も捨てずに兼業した者も多かったのでしょう。町火消しの組織が生まれた享保のころ、江戸の町人の男性は30万人ぐらいだそうです*6。30人に1人が専業の火消しで火事のないときには女の子にちょっかいだしたり、男の子の胸ぐらをつかんだりしていた…というのは、ちょっと不自然ですよね。
■なお、いろは四十八組とはいうものの、「へ組」なんていうのは臭そうですし、「ん組」じゃ威勢が悪すぎます。「ひ組」では「火組」とも表記できて裏切り者みたいです。その他、なぜか「ら」も嫌われたようで、この4組は、「百」、「千」、「万」、「本」と名前が変えられたらしい。「取組」とか「腕組」、「縁組」、「仕組」などと命名されていたら面白かったのですが、そういう冗談はオサムライや臥煙には通じなかったんでしょうね。
◆参考*1:HP「江戸の火事 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%81%AE%E7%81%AB%E4%BA%8B
◇*2HP「赤穂の自慢5|赤穂観光協会」
http://ako-kankou.jp/free/index.html?id=1577
◇*3書籍「大江戸復元図鑑 庶民編」初版14〜15頁、笹間良彦著画、遊子館
◇*4HP「火消 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E6%B6%88
◇*5HP「東京消防庁 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%B6%88%E9%98%B2%E5%BA%81#.E6.A6.82.E8.A6.81
◇*6HP「江戸の人口 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
1万人ですか。
ちょっと多い気もしますが、人海戦術で行くしかなかった時代ですからね。
大半は、まじめだったんでしょうけど、臥煙などは一部の人間のせいで白い目で見られる部分もあったんでしょうね。
現在、日本で刺青が白い目で見られるのも、このころの名残りでしょうね。
ねこのひげ
2013/11/01 02:40
コメントをありがとうございます。

 火事が燃えさかっている近くで家を壊し、しかも燃えるものをすべて片付けて更地にしてしまう。ほとんど奇跡のような作業です。すべてが手作業ですから、人海戦術です。1万人ぐらいは必要だったのでしょうね。
 江戸全域にわたるような大火の際には、1万人の火消しが必死で活動していたらしい。ハリウッドでも撮影不可能な壮観だったのでしょうね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/11/01 07:04

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