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zoom RSS 藩主の替え玉。漫画みたいな事件はどの藩で起こっていたの?

<<   作成日時 : 2013/09/11 14:39   >>

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★歴史★
問題:江戸時代のお話です。満7歳で家督を継いだ人物がいます。前藩主が継嗣(けいし、後継ぎ)のいないままに満22歳で暗殺されてしまったため、末期養子(まつごようし、死に際に迎える養子)として家督をついだそうです。
■ところが3年後、満10歳弱のときにこの子も病死してしまいます。年齢が年齢ですから血のつながった後継ぎはいません。養子も立てていなかったようです。亡くなる藩主が17歳未満では、末期養子はできないというのが幕府の規則だったようです。
■後継ぎがない。お家断絶になってしまう。ヤバイ。この藩では、藩ぐるみで替え玉の藩主を立てることにしました。幼い前藩主の病状が回復したことにして、別の人物を立てたそうです。関係書類はすべて改竄してしまったらしい。
■なんだか漫画か喜劇映画のようなお話ですが、どうも実話らしい。では、このちょっと危険な方法で危機を乗り切ったのはどこの藩でしょうか?
[い]肥後人吉藩
[ろ]対馬藩
[は]陸奥盛岡藩
[に]播磨赤穂藩
[ほ]筑後柳河藩
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]肥後人吉藩
説明:Wikipediaによれば、肥後人吉藩では、宝暦(ほうれき)9年(1759年)に第8代藩主相良頼央(さがら よりひさ)という人物が何者かに鉄砲で撃たれ負傷します。1ヶ月後、傷が癒えぬままに亡くなったらしい。満22歳でした。
■末期養子として、ご近所の日向高鍋藩主秋月種美(たねみ)の3男坊、満7歳を迎えました。相良晃長(みつなが)と名乗ります。第9代目の藩主です。この子の1つ年上の実兄は上杉家に養子に行きます。のちに江戸時代最高の名君といわれた上杉鷹山(ようざん、治憲(はるのり))だそうです。
■上杉鷹山の1つ年下の弟はあいにくと生命線が短かったらしい。宝暦(ほうれき)12年(1762年)に満9歳と11ヶ月で死んでしまいます。年齢制限で末期養子の制度は使えません。もちろん血のつながった後継ぎもいません。
■元気なうちに養子を立てておけばよかったのにと現代の我々は思います。それもなかなかむずかしいらしい。養子を立てればまずは将軍に御目見(おめみえ、面会)して、この子が後を継ぎますのでよろしくと挨拶をする必要があるそうです。当時は参勤交代の途中だけ、期間限定の養子というのがあったらしい。大名といえども江戸との往復はかなり体力を消耗し、健康上のリスクを伴います。満9歳11ヶ月で早世した子(前藩主)だって将軍に御目見していたかどうか。さらに養子をお披露目するには、かなりの出費が伴ったものと考えられます。地方の2万石あまりの大名には、大きな負担となったかもしれません。
■それはともかく、後継ぎがないからと改易されたのではたまりません。小さな大名ではありますが、100人以上の藩士はいたでしょう。全員が失業するのを座して待つわけにはいきません。思い切った手段に出ます。公家の息子さんを極秘裏に「第9代目」藩主として迎えます。表向きは晃長(みつなが)は死にかけていたけれど、なんとか生きながらえたということにしてしまいます。幕府には全快したと報告したらしい。そして公式文書を改竄します。公家の子供の戸籍には死亡と記されたのかな。
■いくらなんでも幕府がこれをまったく知らないというはずはありません。人の口に戸はたてられません。でも見て見ぬふりをしたようです。17世紀の前半、3代将軍家光の時代なら間違いなくお取り潰しです。外様大名の力を削ぎたいわけですから好機とばかりに飛びつくでしょう。
■18世紀半ばになりますと、外様大名の窮状は幕府にも十分に理解されています。すでに幕府に対する脅威ではありません。規則どおりに改易し、浪人を増やして社会不安を大きくするよりは、知らぬふりをしよう。決定的な弱みを握っているわけですから、改易の必要が生じたらそのときに断行すればいい。そう考えたのかもしれません。
■なお、Wikipediaの末期養子の項によれば、[ろ]対馬藩/[は]陸奥盛岡藩/[に]播磨赤穂藩/[ほ]筑後柳河藩でも、前後の事情は異なるでしょうが、替え玉藩主を立てたことがあるそうです。対馬藩では、幕府の重役の示唆によって替え玉を立てたと記されていました*1。さらに仙台藩でも替え玉藩主はあったらしい。いずれも江戸時代の後半に入ってからのお話です。どんどんとタガが緩んでいくわけですね。
◆参考*1:HP「末期養子 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E6%9C%9F%E9%A4%8A%E5%AD%90
◇*2HP「相良晃長 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E8%89%AF%E6%99%83%E9%95%B7
◇*3HP「相良頼央 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E8%89%AF%E9%A0%BC%E5%A4%AE
◇*4HP「相良頼完 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E8%89%AF%E9%A0%BC%E5%AE%8C

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
身代わりというのはけっこう行われていたんですね。
江戸時代の政治制度というのはトップに誰がなろうと維持できるようにした制度で、お飾りの殿様でよかったそうですからね。
将軍家もしかりだったようですからね。

末期養子は四代将軍家綱の功績にされてますが、保科正行の提言だそうで・・・
幕藩体制を崩さないように改革していったようですね。
ねこのひげ
2013/09/12 02:48
「トップに誰がなろうと維持できる」というのは、いいですね。トップは阿呆でも無能でもいいのですから。

 残念なことに現代では、トップが駄目なら国も駄目になります。有権者は、そのことを肝に銘じて投票すべきなのですが。

 さらに残念なことに、我ら有権者の中にも阿呆や無能がいます。おかしな奴が選ばれちゃうこともしばしばありますけど。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/09/12 08:16
大名は‘お飾りの殿様でよかった‘・・・・時代的に殿様の顔を知っている人は数少ないはず(身代わり。成り代わり)やりたい放題

徳川家康・・・身代わりは‘ふたごの弟‘説(三河には弟(僧侶)が生存確認あり)
sadakun_d
2016/08/03 13:59
コメントをありがとうございます。

 跡継ぎがいなくて主家が大ピンチというとき、家臣たちはみんなおとなしくしていたのかな。
 不良な連中は、1000両出さないと替え玉の話を幕府にたれこむぞとか言い出しそうですけどね。
(^^;)
sadakun_d様<素町人
2016/08/03 21:15

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