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zoom RSS 大村益次郎襲撃さる。なぜ御雇いオランダ人医師の手術は遅れたの?

<<   作成日時 : 2013/09/04 07:55   >>

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★歴史★
問題:大村益次郎(ますじろう)は、文政(ぶんせい)7年(1824年)、長州の医者の子として生まれたそうです。18歳ごろから防府で医学や蘭学を学び、22歳のころには大坂に出て緒方洪庵(こうあん)の適塾(てきじゅく)で学んでいます。塾頭にもなっているらしい。福沢諭吉の大先輩なんですね。
■いったん故郷にもどって医者として父親の後を継ぎます。腕は良かったかもしれませんが、愛想はよくなかったらしい。医者としての人気はさほどでもなかったようです。
■嘉永(かえい)6年(1853年)のペリー来航以降は、宇和島藩に出仕したり江戸に出て私塾を開いたりと多忙な日々を送っています。
■万延(まんえん)元年(1860年)に長州藩に請われて藩士となります。元治(げんじ)元年(1864年)の第一次長州征伐で負けたあと、高杉晋作(しんさく)らが勢力を盛り返します。長州藩における倒幕の意志が固まります。高杉晋作ともども奇兵隊を組織し、最新式の銃を多数調達します。
■1866年(慶応(けいおう)2年)の第二次長州征伐で幕府軍に勝利してからは、流れは一気に倒幕に傾きます。大村益次郎は長州藩の軍事担当として八面六臂の活躍を見せます。慶応(けいおう)4年(1868年)の戊辰戦争では彰義隊を一日で片付け、江戸の治安を回復したことで高い評価を受けます。西郷隆盛と勝海舟のコンビですら手を拱(こまね)いていた不穏分子の処理があっというまに終わってしまいます。大村益次郎の声望が高まるのも無理はありません。
■明治2年(1869年)の今日、9月4日。京都木屋町二条下るにあった長州藩の控え屋敷の2階でテロリストに襲われます。知人らと湯豆腐の鍋を囲んでいたらしい。大村益次郎は額を割られ、右足に長さ12cm余り、深さ6cmもの重傷を負います。行灯が倒れて暗闇になります。刺客は暗闇の中で逃げ出した知人を大村と勘違いし、追いかけて斬殺して引き揚げます。大村は階下の風呂場に身をひそめ、その場はなんとか逃げのびました。
■でも傷は深かった。大村益次郎は、大坂の浪華仮病院に移されます。院長の緒方惟準(これよし) とお雇いオランダ医ボードインの診察を受けます(口絵参照)。緒方惟準は緒方洪庵の次男だそうです。益次郎は重傷と判断されました。
■シーボルトの娘で、益次郎と親交のあった女医の楠本いねも駆けつけて看病にあたったそうです*4*5。ボードインの診断は、すみやかに右足の切断手術が必要であるというものでした。でも手術は遅れてしまい、敗血症を発症した大村益次郎は、同年11月5日、45年と5ヶ月余りの人生を終えてしまいました。
■では143年前の今日の凶事にちなみ、大村益次郎についての問題です。刺客に襲われた大村益次郎の手術は、なぜ遅れてしまったのでしょうか。次の中から選んでください。
[い]明治天皇の許可が遅れたから
[ろ]足を切って生きている人が当時はいなかったから
[は]輸血が間に合わなかったから
[に]設備が整っていなかったから
[ほ]手術を助ける看護師がいなかったから
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]明治天皇の許可が遅れたから
説明:参考資料*3によれば、当時は、政府高官の手術には勅許が必要だったそうです。でも明治天皇は東京にいます。電信網はまだ整備されていませんし、鉄道もまだありません。大都市間の電信網は明治13年(1880年)ごろの完成らしい。東海道線が全線開通したのは明治22年(1889年)になってからだそうです。
■おそらく早馬を飛ばしたのだと思われますが、勅許にもとづく手術が行われたのは10月27日になってからだったらしい。遅すぎました。間に合わなかったんですね。11月1日に敗血症による高熱を発し、容態が悪化。5日に亡くなりました。
■なぜそんな馬鹿げた規則があったのかはわかりません。当時は西洋医学に対する理解や信頼がまだ低かったのかな。
■余談です。大村益次郎は、西郷隆盛に好感を抱いていなかったともいわれます。足利尊氏にたとえているそうです。いったんは尊皇の姿勢を見せるけれども、いずれ反逆するであろう、と予言していたらしい。Wikipediaの記述によれば、「臨終の際『西国から敵が来るから四斤砲をたくさんにこしらえろ。今その計画はしてあるが、人に知らさぬように』」と言い残しているらしい。予言は見事に的中したのかな。
◆参考*1:HP「大村益次郎 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E7%9B%8A%E6%AC%A1%E9%83%8E
◇*2HP「日本陸軍の父大村益次郎襲撃さる。薩摩藩士が有力容疑者?」
http://blog.q-q.jp/200709/article_5.html
◇*3書籍「日本史こぼれ話近世近代 続々編」新書初版120〜122頁、笠原一男/児玉幸多編、 ISBN4-634-59320-3、山川出版社
◇*4HP「女医第1号荻野吟子の誕生日。男の医者に局部を覗かれた恥ずかしさに発奮したの?」
http://blog.q-q.jp/201204/article_3.html
◇*5HP「日本の男性が初めて欧米の女性と結婚したのはどこの国の人となの?」
http://blog.q-q.jp/201208/article_4.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
みょうな規則があったものですね〜
天皇とかならわかりますけど・・・なぜ普通の人間までにそんな規則を作ったんですかね〜
謎ですね(~_~;)
ねこのひげ
2013/09/07 02:42
コメントをありがとうございます。

 おかしな規則の根底にあるのは、西洋の人と医学に対する不信ではないか。勝手にそのように推測しています。
 メスによる内政干渉を許すな。重要な人物をあんな連中に簡単に殺されてはかなわん。明治初年の人たちにはそんな気持ちがあったのかもしれません。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/09/08 06:57

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