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zoom RSS 明治期の洋館の大きな特徴とはどんなこと?

<<   作成日時 : 2013/09/25 07:40   >>

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★歴史★
問題:明治時代には政府の欧化政策にしたがい、御雇い外国人の建築家に洋館の注文が多くなりました。時流にのって儲けた連中は、「どうだ、俺はこんな金持ちだぞ」と見せびらかすため、好んで洋館を建てたようです。
■東京には、旧岩崎家茅町邸と旧岩崎家高輪別邸(現・開東閣)という2棟の「明治の洋館」が現存しているとのこと。前者は明治29年(1896年)、後者は明治41年(1908年)に建築されたそうです。
■ところで、明治期の洋館にはひとつ特徴があるらしい。それは次のどれでしょうか?
[い]多くに洋式庭園が付属していた
[ろ]多くに和式庭園が付属していた
[は]多くがバロック風だった
[に]多くが便所だけは和式だった
[ほ]多くに和式の館が付属していた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]多くに和式の館が付属していた
説明:ジョサイア・コンドルというイギリス人建築家がいます。コンドル氏はあの鹿鳴館の発注を受け、設計図面をひいた人です。日本人のカミサンをもらい、亡くなるまで日本で過ごしたそうです。そのあいだに洋館を100ぐらいはつくったらしい。いわば成金御用達なのかな。
■ところが、せっかくの洋館に住む人はほとんどいなかったらしい。洋館は、いわば大きな応接間だったとのこと。たいていの洋館には必ず和式の屋敷が付属していたそうです。当人や家族、使用人はこちらで暮らしていたとのこと。洋館は、身分の高い人や外国人の客を招いたときにのみ使われたそうです。
■まぁ、いくら欧化政策とはいえ、暮らしのすべてを急に切り替えろといっても無理です。本気でやれば強いストレスを感じるでしょう。昨日まで白い飯と味噌汁、焼き鮭に生卵、ひじきの煮物に漬け物で朝食を摂っていたかもしれません。それが今日からは食べなれないパンを食べ、牛乳を飲み、バターを使った料理を食わされる。これは辛い。そもそも、使用人に西洋料理に通じた人間がいなければ、食事も中途半端なものになりそうです。さらに西洋便器に座り、ロッキングチェアでくつろぎ、ダブルベッドで寝る。1ヶ月もしないうちに気が狂ってしまうかもしれません。
■洋館を応接間として利用した国家規模の無駄が現在の赤坂迎賓館だそうです。明治42年(1909年)に赤坂離宮として建てられたらしい。皇太子殿下・嘉仁親王(よしひとしんのう、のちの大正天皇)のご成婚に合わせて建てられた明治建築最大の大作とのこと。ジョサイア・コンドルの最初の弟子である片山東熊(とうくま)の作品らしい。
■計画から完成までに9年もの歳月を費やしたそうです。でも皇太子殿下は、この建物には住まわれなかったとのこと。地下室の結露などの細かい問題があったらしい。でも、決め手になったのは、落成にあたって明治天皇が洩らされた「贅沢だ」という一言だったようです。
■それ以来、大正6年(1917年)年に、大正天皇と大韓帝国(李氏朝鮮)の李王殿下とのご会食に使用されたことがあったらしい。大きな「空き家」はその後もさほど利用されることなく立ち尽くしているそうです。平成21年(2009年)には、国宝に指定されているとのこと。いっそ、一般公開して入場料でも稼いだらどうでしょうかね。
◆参考*1:書籍「痛快ケンチク雑学王」初版46〜47頁、建築うんちく隊、ISBN4-395-00781-3、彰国社
◇*2HP「迎賓館 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%8E%E8%B3%93%E9%A4%A8

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
上野の池之端に旧岩崎邸庭園公園というのがあり、なんどか行きましたが、正面にフランスのお城のような洋館があるのに裏に廻ると和風の屋敷になっていました。
まあ、すぐに洋式になんて無理ですよね。
庭が広々として気持ちよかったですが、それでも往年の10%程度の広さだとか・・・
どれだけ金を持っていたんだ!であります。
ねこのひげ
2013/09/29 09:39
コメントをありがとうございます。

 岩崎の三菱も、三井その他の財閥も、政府とつるんで儲けたわけですね。当時の日本政府としては、強い民間企業を育てる必要があったとも聞きます。

 現在の韓国では、ごく限られた大企業が政府に守られている状態で、明治期の日本に似ているのかもしれません。本来、法の下の平等を貫くべき裁判ですら、財閥に有利に裁定するそうですから、肩をすくめちゃいますね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/09/29 20:18

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