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zoom RSS 戦国時代の武将岡左内が輝いているのはどんな生きかただったからなの?

<<   作成日時 : 2013/09/22 00:39   >>

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★歴史★
問題:戦国時代から江戸初期にかけて活躍した武将の1人に岡左内(おか さない、岡野左内とも)という人物がいます。藩主になるほどの出世はしませんでした。でもある特徴的な行動で、他の武将たちとはまったく異なる輝きかたをした人物です。
■では、岡左内氏が後世に名を残したのは、どういった点だったのでしょうか?
[い]三刀流だった。片手に小刀を2本持ち、片手に大刀を持ち、強い腕力で風車のように回して敵を圧倒した
[ろ]やたらと女好きであり、かつ女にも好かれた。捕虜になったのに敵の女房どもに惚れられ、1人に解錠させ、その女と逃げ出した逸話がある
[は]弁舌が巧みだった。昔の中国の遊説家のようであり、武勇はともかく、敵との交渉役として重宝され、あちらこちらの大名からスカウトを受けた
[に]気象を読む名人だった。空を眺めて翌日の天気、風向きなどを細かく知ることができた
[ほ]金(かね)を愛した。金貨を部屋に敷き詰め、眺めて喜んでいた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]金を愛した。金貨を部屋に敷き詰め、眺めて喜んでいた
説明:岡左内は、参考資料*1によれば生没年不詳とのこと。若州太良庄(じゃくしゅう たらのしょう)城主、岡和泉守盛俊(もりとし?)の息子さんらしい。蒲生氏時代の猪苗代城主。若州は若狭の国の別称だそうです。太良庄城は、現在の福井県小浜市にあったようです。
■信長配下の丹羽長秀(ながひで)が若狭を制した後は、しばらく浪人していたらしい。やはり信長傘下の蒲生氏郷(うじさと)に150石で仕えます。合戦のたびに武功をたてて出世し、蒲生氏郷が奥州会津92万石まで出世したときには、1万石の高禄を得ているそうです。
■文禄(ぶんろく)4年(1595年)に蒲生氏郷が死ぬと、家内に不穏ありとして宇都宮18万石に減封されます。蒲生家から上杉家に移籍が認められ、上杉家執政の直江兼続(かねつぐ)に4000石を与えられて家来となっています。直江兼続は兜の前立てに「愛」を使った人物ですね。何年か前に妻夫木聡という人気役者が大河ドラマで演じていました。
■関ヶ原の戦いの後、上杉家が120万石から30万石へと減封されます。台所事情をおもんぱかり、会津に60万石で復帰した蒲生家に帰参したそうです。蒲生家は関ヶ原での軍功を評価されたようですね。最期は蒲生家の家臣として死を迎えたらしい。
■他の武将同様に武芸の修練に励みました。ただし、他の武将のように風流の道に散財したりはしません。倹約を家訓として家内をとりしまり、蓄財に励んだそうです。そのおかげで、部屋に金貨を敷き詰めることができたわけですね。そのかわり、同僚からは根性の卑しい無風流者と笑われていたらしい。
■ただし、彼は単なるけちん坊ではありません。関ヶ原の戦いの直前に、家康が会津に進攻してきます。上杉家では戦費調達に苦しんだらしい。岡左内氏は、「金はこういうときに使うべき」と、多額の資金を主家に献上します。さらに同僚たちが借金を申し込んでくると、惜しみなく貸し出したそうです。
■蒲生家に帰参する際には、上杉家の同僚たちは戦々恐々としていたらしい。借金の返済を迫られると思ったようです。家臣たちの動揺を感じた直江兼続が岡左内宅を訪ねると、岡左内は別れの挨拶をしたあとで、借用証書をすべて庭に出し、火をつけて燃やしてしまったとのこと。直江兼続は、「惜しい人物を手放した」と嘆いたそうです。
■蒲生家では再び1万石の高禄をはみます。例によって蓄財につとめます。やがて死が迫ってきたことを悟ると、主君に蓄財した財産の大半を献上し、友人知人に少しずつ分け与えます。このときもたくさんあった借用証書をすべて焼却しているそうです。
■金の大切さを十分に知り、金の使いどころを心得ている武将です。ちょっと珍しい。「雨月物語」の作者、上田秋成(あきなり/しゅうせい)もそう感じたようです。「雨月物語」の最後の章、「貧福論」は、岡左内氏と黄金の精霊の対話になっています。
■似たような人物に、前田利家(としいえ)がいます。大名にしては珍しく、利家は算盤を弾き、藩の財政をつぶさに掌握していたそうです。浪人していて金で苦労したことが多かったためとのこと。多くの大名に金を貸していたようですが、遺言として、返せない者にはこちらから催促するなと言い残したらしい*4。
■宮本武蔵もまた浪々の身が長く、金に苦労した人です。日頃質素に暮らし、貯めた銭を袋に入れて鴨居に吊しておいたそうです。遠国に旅立つ者が暇乞いに来ると、袋をおろし、「旅先で役立つ物はこれだろう」といって餞別として与えたとのこと*5。単なる剣豪ではなく、人情も世情も理解するオジサンなんですね。
◆参考*1:HP「岡左内とは - はてなキーワード」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B2%AC%BA%B8%C6%E2
◇*2書籍「古典でたどる日本サラリーマン事情」初版37〜43頁、山口博(ひろし)著、ISBN 4-569-22222-6、PHP研究所
◇*3書籍「雨月物語」文庫初版167〜184頁、上田秋成(あきなり)著/鵜月洋(うづき ひろし)訳註、角川学芸出版
◇*4HP「前田利家の誕生日。家康を抑えようとした長身美貌の武将は、信長の元愛人なの?」
http://blog.q-q.jp/201101/article_10.html
◇*5HP「恋をしたら貯金をしなさい」。銀行のCMに使われそうな意外な歴史上の有名人は誰なの?」
http://blog.q-q.jp/201104/article_17.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
金を生かして使った好例のような人物ですね。
蒲生から直江、直江から蒲生へと勤め先を変えることが出来たということは、よほど人望があったんでしょうね。
前田利家は、大河ドラマでそろばんを片手に金の計算をしていて、女房からあきれられるという場面がありました。
宮本武蔵もそうだったとは知りませんでした。映画やドラマで描いていれば面白いエピソードになったでしょうね。
ねこのひげ
2013/09/22 06:08
コメントをありがとうございます。

 宮本武蔵は強い人なので、決闘で倒されることもなければ病に倒れることもないかもしれません。
 でも貧には勝てない。お金がなければ飢えがやってきます。きっと長い放浪の旅では、何度も辛い思いをしたのでしょうね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/09/22 13:45

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