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zoom RSS 木曽義仲(よしなか)とかけて叶わぬ恋ととく。その心は?

<<   作成日時 : 2013/08/29 08:24   >>

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★日本語★
問題:木曽義仲をご存じだと思います。従兄弟である頼朝や義経よりも早く、平家を京都から追い払った源氏の人ですね。旭将軍とも呼ばれます。先代の林家三平、10代目桂文治などの落語「源平盛衰記」では、木曽節を歌いながら京都に乗り込んだといわれている人物です。
■寿永(じゅえい)2年(1183年)の夏に入京し、治安回復を期待されますが失敗します。後白河法皇とも仲違いします。関東からじわじわと兵を進めていた源範頼(のりより)・義経の軍が京都に近づき、戦うか逃げ出すかの選択を迫られます。戦いを選んだ義仲は、寿永(じゅえい)3年1月20日(西暦1184年3月4日)、宇治川・瀬田の戦いなどで敗れます。落ちのびた滋賀県の粟津であえない最期を遂げることになります。
■前置きが長くなりました。題の謎々のココロは、「あわずにはてる」だそうです。「会わず/粟津」の駄洒落ですね。ショーモナッ。でも何となくおかしい。
■本日は謎々の問題で、例によってココロをお答えいただきます。例題同様に歴史の知識を問われる問題もあります。ネットで調べればわかるかもしれません。
[い]食い違いの凶変とかけて占い師の忘れものと解く
[ろ]木曽義仲の出陣とかけて太鼓の皮と解く
[は]教師のつとめとかけて道の臣の命(みちのおみのみこと)と解く
[に]喧嘩の仲裁とかけて港へ近寄る船と解く
[ほ]倹約な人とかけて亭主の腎虚(じんきょ)と解く
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★日本語★
正解:各項目を参照してください
説明:
[い]食い違いの凶変とかけて占い師の忘れものと解く、の心は参議をなくしたである
■食い違いの凶変とは、明治7年(1874年)1月14日の夜、明治維新の朝廷側の立役者、岩倉具視(ともみ)が土佐出身の不平士族ら9名に襲われた事件です*2。このころ征韓論が退けられて士族たちの不満は頂点に達していたらしい。征韓論を唱えていた西郷隆盛や板垣退助を下野させた大久保利通(としみち)、岩倉具視たちはたいへん憎まれていたようです。
□岩倉具視は堀に落ち、顔だけ水から出して息をして隠れていたらしい。やがて助けが来て、九死に一生を得たようです。「参議をなくした」というのは誤報ですね。でも板垣退助が岐阜で襲われ、「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだといわれる事件でも、第一報は「板垣死す」だったようです。話はいつも大袈裟な方向で伝わるのかな。
□古典的な占い師は、「算木(さんぎ)」を操作して他人の運命を予測するようです。あまり科学的とはいいがたい方法です。いずれにせよ、占い師が算木を紛失したのでは商売になりません。どこにあるのかは自分で占えるのかな。失せ物判断も連中のサービスメニューのひとつだといわれていますが。
[ろ]木曽義仲の出陣とかけて太鼓の皮と解く、の心はきまって巴がついてくるである
■また木曽義仲です。義仲の相棒といえば巴御前(ともえごぜん)ですね。女だてらに馬にまたがり、鎧に身を固め、薙刀をかついで戦場を走り回ったそうです。いわゆる女傑かな。義仲のカミサンかと思いきや、愛人だったようです。正妻はまるで別の人らしい。
□祭りのときの太鼓をごらんいただくと多くはそこに巴の模様が記されているでしょう。義仲の行くところにも「きまって巴がついてくる」わけですね。
□なお、粟津で義仲が亡くなったときには同道していなかったようです。直前に、女性だから落ちのびやすいだろう、義仲を弔うことが最後のつとめだと諭されて東国方面に向かったともいわれます。
□巴御前のお話が登場するのは「平家物語」と「源平盛衰記」だけだそうです。同時代の他の資料、たとえば「吾妻鏡(あづまかがみ)」にはまるで見られないとのこと。「平家物語」では大きく触れられておらず、「源平盛衰記」でのみ美女だったとか強かったとか記されているとのこと。巴御前の存在そのものが創作されたお話かも…という説もあるようです。
[は]教師のつとめとかけて道の臣の命(みちのおみのみこと)と解く、の心は征東を導くである
■教師のつとめは生徒を導くこと。これに尽きます。
□「古事記」によれば、神武天皇の征東を導いたのは道の臣の命だそうです。天皇の東征(征東)を先導したので道臣命の名を賜わったとのこと。神武天皇に目をかけられ、即位の際には宮門の警衛をまかされたようです。
□道の臣の命は、「大伴の連(むらじ)等の先祖」だそうです。「連」は、ヤマト王権に直属していた有力氏族の中に与えられた姓であり、家臣の中での最高位だったらしい。大伴家持(やかもち)とか大伴旅人(たびと)、それに大友康平(こうへい)は、征東を導いた人の子孫なのかな。最後の人は違うかもしれませんね。
□ちなみに、天武天皇が八色の姓(やくさのかばね)に姓の制度を改革したあとでは、「連」は下から2番目、最高位からは7番目に格下げになってしまいました。最高位は真人(まひと)でこれは天皇をもあらわすようです。2番目が朝臣(あそん)で、一般人としてはこれより上はないらしい。明治時代の初めに維新の志士たちは競って系図を創作し、自分を朝臣と呼んだ…という話があります*7。
[に]喧嘩の仲裁とかけて港へ近寄る船と解く、の心はとめて怒りを静めるである
■喧嘩の仲裁人は「挨拶」とも呼ばれます。「挨拶は時の氏神」とは、揉め事の仲裁人には従うべきであるという意味があるらしい*6。
□それはともかく、喧嘩の仲裁は、とめて怒りを静めます。港へ近寄る船はやがて泊めて錨を沈めます。駄洒落ですがなかなかよくできていますね。
[ほ]倹約な人とかけて亭主の腎虚と解く、の心はつましいである
■「腎虚」とは、「過度に性交することによる男性のからだの衰弱」だそうです。淫乱なカミサンを持つと亭主は腎虚になるわけですね。
□倹約な人は「つましい」。これはそのまんまです。淫乱なカミサンは「妻、強いる」なわけですね。何を強いるのかといえばナニを強いるわけです。おなじ行為でも自ら望んで行なうなら楽しみとなりますが、義務として行なうとなればお仕事です。同情を禁じ得ません。
□オマケにもうひとつ謎々を。「汽車の釜焚きとかけて喘息持ちの隠居と解く」。その心は、「石炭/咳・痰で日を送る」。お後がよろしいようで。
◆参考*1:4書籍「新版ことば遊び辞典」鈴木棠三(とうぞう)編、東京堂出版
◇*2HP「岩倉具視の500円札が誕生した日。岩倉具視ってどんな人だっけ?」
http://blog.q-q.jp/200804/article_3.html
◇*3HP「喰違の変 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%B0%E9%81%95%E3%81%AE%E5%A4%89
◇*4HP「源義仲 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9B%BD%E7%BE%A9%E4%BB%B2
◇*5HP「巴御前 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B4%E5%BE%A1%E5%89%8D
◇*6HP「「挨拶は時の氏神」とはどんな意味なの?」
http://blog.q-q.jp/201106/article_26.html
◇*7HP「明治政界最大の巨星、伊藤博文の誕生日。維新後に名乗った"本名"は源朝臣博文なの?」
http://blog.q-q.jp/201010/article_13.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
木曽義仲は、京都の公家連中にいいようにあしらわれた感じですね。
木曽の山猿などと陰口をたたかれて散々で、そのあとの義経も・・・・・
ねこのひげ
2013/08/30 02:21
コメントをありがとうございます。

 義仲や義経にひどいことをした報いなのか、鎌倉時代から江戸時代が終わるまで、皇族や貴族らは、あまりいい目は見られなかったようですね。
 社会のお荷物として暮らしていかねばならなかったのはお気の毒ではあります。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/08/30 07:21

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