相沢忠洋(ただひろ)が歩んだ苦難の道。どうやって上京して学んだの?

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★歴史★
問題:相沢忠洋というかたをご存じかと思います。日本史を学ぶと、最初のほうで目にする名前ですね。
■岩宿(いわじゅく)遺跡という旧石器時代の遺跡を発見したことで知られます。岩宿遺跡は昭和54年(1979年)に国の史跡に指定されます。相沢忠洋は、その功績により、昭和42年(1967年)に吉川英治文化賞を受賞しています。この賞は、「日本の文化の向上につくし、讃えらるべき業績をあげながらも報われることの少ない人、団体」に贈られるものだそうです。その第1回目に選ばれたらしい。
■相沢忠洋は、大正15年(1926年)に生まれています。納豆の行商などをしながら独学で考古学を学んでいたらしい。昭和21年(1946年)に、岩宿の切り通しで関東ローム層の断面から石器に酷似した石のかけらを見つけます。ただし、旧石器と断定するには至りません。確実な石器を採集するために岩宿で独自に発掘を続けていたそうです。
■当時の日本では、日本における人類の歴史は縄文時代からというのが学界の定説だったようです。関東ローム層がある地域では、激しい噴火のために人間が生活できる環境ではなかったと思われていたようです。
■学界の定説を破るためには、それなりに知識で武装しなければなりません。相沢忠洋は、群馬県の赤城山麓で生活していました。本を購入したり大学の先生を訪ねたりするには、上京しなければなりません。でも行商人として暮らしている若い相沢にはお金がありません。
■では、相沢忠洋は、どうやって何度も上京して知識を仕入れていったのでしょうか? 次の中から選んでください。
[い]歩いた
[ろ]自転車を使った
[は]電車にただ乗りした
[に]ヒッチハイクした
[ほ]行きは利根川を下る筏に乗り、帰りは歩いた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]自転車を使った
説明:参考資料*1には次のように記されています。
■「当時住んでいた群馬県の桐生市や赤堀村を出発するのは午前3時ごろ。そこから伊勢崎を経て利根川をわたって埼玉県にはいる。そして本庄から中山道をくだり、板橋から東京にはいる。本郷の東京大学に着くのは9時間後の正午ごろ。距離にして130kmぐらいであろうか。今とは比較にならないボロ自転車で未舗装の道を走るのである。休憩もとったであろうから、走っているときは時速17~18kmはでていたはずである」。
■家を出るときには東京で売って金にするイモをたくさん積んでいたそうです。途中でパンクもするでしょうから、修理工具一式と空気入れのポンプまで持ってでたらしい。こんなに苦労してたどり着いたのに、遅くとも夕方前には東京を出発しなければなりません。家に帰るのは真夜中になっているわけですね。
■「東京にいって、また新しい知識を得られるのかと思うと、それほどつらくはなかった」と相沢は言っているそうです。でも、「いくらかくたびれたことはたしかである」とも言っているらしい。そうでしょうね。
■この根性が人を動かします。昭和24年(1949年)に槍先形石器を発見した相沢は、のちに生涯の相談相手となった明治大学大学院生芹沢長介(ちょうすけ)に報告したらしい。芹沢は旧石器に間違いないと確信し、助教授の杉原荘介(そうすけ)に連絡したそうです。
■同年、明治大学は発掘隊を組織し、旧石器の存在が確認され、日本における旧石器時代の存在が証明されたそうです。
■いささか問題なのは、この発見を明治大学発掘隊がすべて自分たちのものであるとしたことらしい。Wikipediaによれば、「明治大学編纂の発掘報告書でも、相沢の功績はいっさい無視され、単なる調査の斡旋者として扱い、代わりに旧石器時代の発見は、すべて発掘調査を主導した杉原荘介の功績として発表した」(130827現在)*3。
■このことが直接の原因ではないかもしれませんが、のちに芹沢長介は明治大学を去っているそうです。東北大学に転職したらしい。
■いまでも明治大学に杉原荘介記念室があるそうです*5。考古学界の重鎮だったらしい。もしWikipediaのお話が事実なら、杉原荘介氏は手柄を横取りしたと見られてもしかたがありません。とても記念すべき人物には見えません。
■なお、130827現在の参考資料*5では、「相沢忠洋さんの発見した岩宿の崖から出土した槍先形尖頭器と細石器」とか、「岩宿で相沢忠洋さんが最初に発見した槍先形尖頭器」と記されています。どうせ認めるのなら、最初から相沢忠洋が発見者であることを認めていればよかった。そうすれば、少なくとも、後世のクイズで不名誉な逸話を紹介されずに済んだはず…ですよね。
◆参考*1:書籍「日本史こぼれ話 古代・中世 続編」新書初版9~11頁、笠原一男/児玉幸多編、ISBN4-634-80750-1、山川出版社
◇*2HP「納豆を売りながら独学で考古学を学んだ青年の大発見とは? 」
http://blog.q-q.jp/200610/article_48.html
◇*3HP「相沢忠洋 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%B2%A2%E5%BF%A0%E6%B4%8B
◇*4HP「芹沢長介 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B9%E6%B2%A2%E9%95%B7%E4%BB%8B
◇*5HP「杉原荘介記念室」
http://www.interq.or.jp/gold/waki/sugihara/

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この記事へのコメント

ねこのひげ
2013年08月29日 01:22
シロウトに手柄を盗られたくなかったんでしょうね。
明治大学の黒歴史というやつですね。
たしか、明石原人も発見した直良信夫もシロウトだったために、長い間認められなくて、発見した骨が戦争で焼けたために、いまだに確定的ではないんですよね。
ねこのひげ様<素町人
2013年08月29日 07:51
コメントをありがとうございます。

 明石原人という名前は聞いたことがありますね。発見者が素人だから、認めて貰えなかったわけですか。

 考古学者というのは、研究対象が古いだけでなく、脳味噌の中身も古いのでしょうか。まぁ、中にはまともな人たちもいるんでしょうけどねぇ。 
(^^;)

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