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zoom RSS 京都御所を遙拝する高山彦九郎。彼を育て上げた母についての真実は?

<<   作成日時 : 2013/07/06 09:13   >>

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★歴史★
問題:京都の三条大橋のたもとには、高山彦九郎(ひこくろう)の銅像が置かれています。遠く京都の御所を、そこにおわします天皇陛下を、座って遙拝(ようはい、はるか遠くからおがむ)する姿勢です。
■高山彦九郎は、寛政の三奇人の1人だそうです。残りのメンバーは蒲生君平(がもう くんぺい)と林子平(しへい)ですね。
■高山彦九郎は、いわゆる尊皇思想家だそうです。上野国、現在の群馬県太田市近辺の郷士の次男に生まれたそうです。13歳のころに「太平記」を読んで勤皇の志を持ったそうです。
■20代には各地を歩いて知識人と交友を結び、勤皇論を説いたそうです。奇瑞(きずい)の亀を献上したことで光格(こうかく)天皇(在位安永(あんえい)9年(1780年)〜文化(ぶんか)14年(1817年))にも拝謁したらしい。奇瑞とは、「めでたいことの前兆として起こる不思議な現象」だそうです。真っ白な亀だったのかしらん。
■光格天皇に拝謁したことに感激し、次のような歌を詠んだといわれます。「我を我と しろしめすかや すべらぎの 玉のみ声の かかる嬉しさ」。なお、「しろしめす」は「知っていらっしゃる。おわかりでいらっしゃる」という意味だそうです。「すべらぎ」は「すめらぎ」と一緒で天皇のことだそうです。
■熱烈な勤皇主義者は、倒幕運動のさきがけとして、幕末の志士たちにも大きな影響を与えます。さらに戦前の教科書にも影響を与え、愛国者代表の1人としてよく登場したようです。戦後は少しく人気を落としているようですが。
■では問題です。高山彦九郎は、母親を敬愛していました。各地を遊歴しながら、皇居を遙拝するごとく、毎朝かならず故郷の上野国を遙拝していたようです。では彦九郎の母親はどんな人だったのでしょうか? 次のうちから選んでください。(正しい記述は無いかもしれないし複数かもしれません)
[い]餓死した。死体は食べられてしまった
[ろ]学問の途中で帰郷した息子に激怒し、勘当した
[は]地元の旧家の出身だが贅沢三昧で家運を傾けた
[に]女だてらに剣術が得意で、武士の子供たちに教えていた
[ほ]絵師を志し、鈴木春信に弟子入りすべく江戸に出たことがある
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]餓死して死体は食べられてしまった
説明:高山彦九郎は、全国各地を旅しながら「北行日記(ほっこうにっき)」という記録をつけていたそうです。死後に発見されたらしい。これによれば、勤皇の志をさらに強め、倒幕運動として具体的な行動に変化するきっかけになったのは、「飢饉によって母が他人に食べられたことを知ったからだ」という意味のことが書かれていたそうです。
■高山彦九郎は蝦夷地に渡ろうとしたことがあります。その途中、天明(てんめい)3年(1783年)から天明(てんめい)6年(1786年)まで続いた大飢饉にあいます。江戸時代の四大飢饉と呼ばれる寛永・享保・天明・天保のなかでも最大の規模だったらしい。天明(てんめい)3年(1783年)の春に青森の岩木山が、夏に群馬・長野の浅間山が噴火します。直接の被害もさることながら、空高くまいあがった塵が日光を遮ったのかもしれません。気温が下がり、冷害が発生します。宮沢賢治がのちに「雨ニモマケズ」で語った「サムサノナツ(寒さの夏)」なのかな。
■被害はものすごく、たとえば弘前藩では、十数万人が亡くなったとも伝えられます。年貢を納められずに逃げてしまう逃散などを含めると人口の半分を失ったという推定もあるようです*3。ただし、各藩では実態は公表しなかったらしい。幕府に咎められて改易などの処分を受けたら、支配階級である武士までが餓死するかもしれません。公称としては、全国で2万人が死んだことになっているようです*3。高山彦九郎は東北を旅して惨状をつぶさに記録していくうちに、倒幕の決心が固まっていったようです。蝦夷地訪問を断念し、京都に引き返し、公家たちと倒幕を企みはじめます。
■東北では、飢えた民衆は手当たりしだいに死体を食いあさっていたらしい。なんだか怪奇映画を観ている感じですね。ひもじいと泣き叫ぶわが子の頭を石で打ち砕いて殺す者まで現れたそうです。盛岡では、屍体の塩漬けが売られたりしたとか。天明の大飢饉は関東以北の地方にとってはたいへんな災害だったようです。
■そんな中で、自分の母親も餓死し、亡骸は飢えた人びとに食べられてしまったことを伝え聞いたそうです。おなじ群馬ですから、彦九郎の故郷も浅間山の噴火の被害を受けたのかもしれません。高山彦九郎の心の中で何かが大噴火します。怒りの矛先は為政者に向けられるのが当然です。
■ただし、トップを替えれば問題が解決するとは限りません。万年与党が嫌いだからと政権交代をしてみたら、もっとひどいことになっちゃった…なんて例もありますからねぇ。
■そんな事例を知らない高山彦九郎は倒幕を志し、京都の公家たちと連繋をとります。でも幕府の執拗な監視にあいます。身の危険を感じた彦九郎は、寛政(かんせい)3年(1791年)には鹿児島藩に匿ってもらおうと薩摩を訪れますが、断られたらしい。寛政(かんせい)5年(1793年)に九州を浪々としていた彦九郎は、筑後国久留米の友人宅で自殺します。満46歳だったようです。
◆参考*1:書籍「日本歴史おんな噺」文庫初版154〜155頁、樋口清之著、ISBN4-8033-3698-9、大陸書房
◇*2HP「高山彦九郎 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%BD%A6%E4%B9%9D%E9%83%8E
◇*3HP「天明の大飢饉 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%98%8E%E3%81%AE%E5%A4%A7%E9%A3%A2%E9%A5%89
◇*4HP「江戸四大飢饉 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%9B%9B%E5%A4%A7%E9%A3%A2%E9%A5%89

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ねこのひげの自宅のある団地の出入り口に山桜の古木がありますが、その下の碑には、享保○○年に出羽の山法師の○○がこれを建立する刻まれてます。
このあたり出身で江戸に出て成功した商人たちが資金を出し合って援助をしたり亡くなった人を弔ったようです。
享保の大飢饉のときにも同じようなことが起きたんでしょうね。
ねこのひげ
2013/07/07 18:34
コメントをありがとうございます。

 享保の大飢饉のときに集まった寄付金はプールされて享保の大基金と呼ばれるファンドになった…というのはオヤジギャグです。失礼しました。

 ご自宅の近所にある碑は、おそらく江戸時代の悲劇と人びとの善意の証しなのでしょうね。250年以上が経過しても、碑はそのドラマを伝えているのでしょう。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/07/07 20:13

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