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zoom RSS 子供を人質にとられた母がとった行動は?

<<   作成日時 : 2013/07/03 06:35   >>

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★歴史★
問題:15世紀イタリアでのお話です。ミラノ公の庶子である女性は、わずか11歳でローマ法王シスト(シクストゥスとも)4世の甥、リアリーノ伯爵に嫁いだそうです。Wikipediaによれば、この人物はジローラモという名前らしい。チョイワルの中年男だったのかな。
■11歳での輿入れはいくらなんでも早すぎるという気もします。第2次性徴の発現が始まる…つまり大人の女性になり始めるのは、現代の日本人においては平均9歳9ヶ月、遅い場合で11歳11ヶ月だそうです。リアリーノ伯爵の新妻は、肉体は大人の女性になっていた可能性は高いかもしれませんが、精神はどうだったのかな。
■それはともかく、リアリーノ伯爵は、教会軍司令官として、ローマの軍事・政治を掌握していたらしい。若くして嫁いだ女性、カテリーナ・スフォルツァも伯爵の夫人として、ファースト・レディとして華やかな日々を送っていたとのこと。
■ところがいいことはそう長くは続きません。親戚の中の輝ける星、ローマ法王シストが急死してしまいます。万事急死(?)。後ろ盾を失ったリアリーノ伯爵は不平分子に反乱を起こされてしまったらしい。あっさりと殺されてしまいました。
■カテリーナは子供たちとともに反乱軍に捕らえられたそうです。でもカテリーナは直前に手をうっていたようです。実家のミラノに助けを求める使いを出したらしい。同時に領地であるフォルリの城を固く守るように部下に厳命していました。
■反乱軍はフォルリの城に攻め寄せます。その指揮官に対し、カテリーナはこう言ったそうです。「城を明け渡すよう、私が城代を説得してきましょう」。子供たちは人質としてとってあります。まぁ、滅多なことはしないだろう。無血開城を望む反乱軍はカテリーナを城に帰します。
■ところがカテリーナは城に入ったきり、出てきません。もちろん城門は固く閉ざされたまま。ようやく騙されたと知った反乱軍は、子供たちをつれて城の直下まで来たそうです。「すぐに帰ってこい。こなければ、子供たちを殺すぞ」。
■このとき、カテリーナはどうしたのでしょうか? 下の選択肢の中から彼女の行動を選んでください。
[い]泣き叫ぶ演技をし、反乱軍の指導者の同情をひいて時間稼ぎをした
[ろ]その子は影武者よ、私の子ではないのよと嘘をついた
[は]子供なんていくらでもつくれるわとスカートをめくって局部を見せた
[に]城のバルコニーから飛び降りて自殺した
[ほ]味方の兵に人質になっている自分の子供を弓で射殺させた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]子供なんていくらでもつくれるわとスカートをめくって局部を見せた
説明:彼女は目一杯の声量で次のように叫んだらしい。「馬鹿者! 子供ぐらい、このあと幾らでも、作れるわ!」*1。そういってスカートの裾をめくって見せたともいわれます。元ファースト・レディのフレンチ・カンカンかな。当時は下着はつけなかったかもしれません。もしノーパンなら、フレンチ・カンカンではなくてストリップですね。反乱軍の兵士たちは、ただひたすら喜んだ…かどうかは知りませんが、びっくりはしたでしょう。
■彼女の言葉が終わるとすぐに、城の中から大砲が撃たれたそうです。反乱軍はあわてて退却したらしい。2週間の籠城の末、とうとうミラノから援軍が到着します。反乱軍は夜陰に乗じて逃げ出します。カテリーナは援軍の総大将を引き連れて勝利の凱旋を行なったそうです。
■ちなみに、我々が知るような大砲は15世紀の末に完成を見ているようです。金属製であり、金属の砲弾が飛び出すやつですね。カテリーナ・スフォルツァがスカートをまくって吠えたのは1488年(長享(ちょうきょう)2年)のことらしい。ギリギリのところですね。本格的な大砲だったのか。あるいは石の弾丸などが飛び出す原始的なものだったのかもしれません。
■結局、子供たちは無事に戻って来たとのこと。ただし、母親に対しては少しよそよそしい態度をとったかもしれません。まっ、これは勝手な推測であり、記録は残されていないようですけれど。
◆参考*1:書籍「世界悪女大全」文庫初版80〜84頁、桐生操(みさお)著、ISBN4-16-767984-1、文藝春秋社
◇*2HP「カテリーナ・スフォルツァ - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%A1

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
カテリーナ・スフォルツは、世界女傑列伝なんて本にも取り上げられるくらいの豪傑な女性ですね。
明治から昭和初期にかけても、10歳から13,4歳で結婚させられて出産のさいに亡くなる例が多くあったので早期の結婚が禁止されたそうですけどね。
ねこのひげ
2013/07/04 02:13
コメントをありがとうございます。

 あまりに早い結婚ですと、肉体のほうもついていかないのでしょうか。
 Wikipediaの妊産婦死亡率の項目によれば、明治32年(1899年)では、10万人当たりで400人ぐらいだったらしい。0.4%ということでしょうか。
 平成23年(2011年)には、その100分の1、10万人当たり4人ぐらいまで下がったということです。早期の結婚を禁止したのが功を奏したのかもしれません。
 日本だけでなく、全世界で眺めると、平成22年(2010年)で10万人当たり200人ぐらいとのこと。日本は保健衛生先進国のようですね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/07/04 07:27

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