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zoom RSS 栄華を誇った藤原道長(みちなが)。太政大臣閣下は月に何日ぐらい勤務していたの?

<<   作成日時 : 2013/07/17 07:20   >>

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★歴史★
問題:藤原道長をご存じだと思います。康保(こうほう)3年(966年)に生まれて長元(ちょうげん)元年(1028年)に亡くなっています。平安時代中期の人ですね。紫式部や清少納言と同時代の人らしい。
■お父さんは藤原兼家(かねいえ)です。摂政関白太政大臣にまでのぼりつめたと言われます。位人臣を極めた兼家の4男として道長は生まれました。5男という説もあります。
■最初は目立ちませんでした。でも兄たちが病気で亡くなると、権力闘争を勝ち抜いて、とうとう最高実力者となります。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という歌を詠み、後世の人からおごれる藤原久しからずとも非難されたようです。違いましたかね。
■では、その道長氏は、権力者となってからおおむねどのぐらい内裏(役所)などに出勤したのでしょうか? 次のうちから選んでください。
[い]月のうち1日だけ
[ろ]5日ぐらい
[は]10日ぐらい
[に]15日ぐらい
[ほ]20日ぐらい
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]20日ぐらい
説明:藤原道長は、30歳ほどで右大臣に就任しています。その後約25年にわたって「御堂御記(みどうおんき?)」という日記をつけているらしい。後年、「御堂関白記」とも呼ばれたようです。でも摂政や太政大臣に就任したことはあるようですが、関白になった記録はないらしい。
■「御堂御記」を調べると、おおむね月に20日ほどは内裏とか東宮とかその他に仕事で出向いているそうです*1。旧暦ですと31日はありません。1ヶ月は29日か30日だそうです。となると、平均20日の出勤は、週休2日よりも少し休日が多いくらいの感覚かな。仕事は適度に忙しく、私生活も楽しむことができそうですね。
■藤原道長と同時代の公卿(くぎょう)、藤原行成(ゆきなり、こうぜい)は、三蹟と呼ばれた書道の名人です。筆の達人もまた「権記(ごんき)」と呼ばれる日記を残しているらしい。これによると、たとえば寛弘(かんこう)4年(1007年)の正月の記録では、行成氏は、物忌みと呼ばれる呪術的な理由による休日を2日とっています。で、あとはほとんど仕事で外出しているらしい。この当時、道長は40代で左大臣、行成は30代で参議だそうですが、下位のほうが忙しそうですね。
■なお、公卿と呼ばれる高級貴族は当時は全部で20人ほどいて、政治の中枢をになっていたそうです。現在でいえば大臣クラスなのかな。参議は、その中ではいちばん下っ端に近いようです。
◆参考*1:書籍「データが語る日本の歴史」初版51〜54頁、歴史教育者協議会、ISBN4-593-59408-1、ほるぷ出版
◇*2HP「藤原道長 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%81%93%E9%95%B7
◇*3HP「藤原行成 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E8%A1%8C%E6%88%90

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
全然出仕しないで、宮殿のような自宅で酒池肉林の生活をしていたかと思ったら、けっこう真面目に出ていたんですね。
1回も国会に出ずに給与だけもらっているどこかの議員とは大違いですね。
ねこのひげ
2013/07/18 02:54
コメントをありがとうございます。

 平安時代の高級貴族たちは、なかなか真面目に勤務していたみたいですね。あんまり休んでばかりだと、弱みができて競争者に蹴落とされるのかもしれません。
(^^;)
 
ねこのひげ様<素町人
2013/07/18 08:29

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