町人思案橋・クイズ集

アクセスカウンタ

zoom RSS 誤解が元で土佐と会津の仲が険悪になった曙亭事件の日。どんな決着だったの?

<<   作成日時 : 2013/07/13 08:56   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

画像
★歴史★
問題:1864年の今日、7月13日。和暦では元治(げんじ)元年6月10日。幕末の京都で曙亭事件と呼ばれる出来事が起こりました。曙亭は明保野亭とも書くらしい。
■曙亭事件の5日前、1864年7月8日(元治元年6月5日)には池田屋事件が起きています。118年後の1982年(昭和57年)には、映画「蒲田行進曲」でも取り上げられた有名な出来事ですね。現場では長州と土佐、肥後の尊皇攘夷派志士あわせて7人ほどが斬殺され、現場で自刃した者、巻き込まれた者、事後の刑死者等をあわせると30人弱もの人が亡くなっています。
■新選組は幕府から池田屋事件の残党狩りを命じられていたようです。東山の料亭曙亭に長州出身の浪士が潜伏しているという知らせを受けたらしい。五番隊隊長武田観柳斎(かんりゅうさい)以下15人の組員と、会津藩士5人が捕縛に向かったそうです。現場に連中が到着し、乗り込んでいくと、座敷にいた武士が逃げ出したとのこと。柴司(しば つかさ)という会津藩士が取り押さえるべく追跡し、槍で突っついて怪我を負わせたらしい。捕縛直後にこの負傷者は浪士ではなく、土佐藩士の麻田時太郎という人物であることがわかります。手配中の長州系浪士ではなかったわけですね。捜索隊は麻田を釈放します。
■現代の人間から見れば、柴の行為は間違っていません。不審尋問しようとしたら逃げ出した。追うのが当然です。拘束すべく格闘中に負傷させた。それもやむをえないことかもしれません。当時の人がどう感じたのかはわかりませんけど。会津藩からは医師と謝罪の使者が送られたらしい。土佐藩側では最初に名乗らなかった麻田にも問題があると理解を示したそうです。
■その後、土佐藩では麻田に対して「士道不覚悟」として切腹を命じたようです。武士としての振る舞いに落ち度がある。その責任をとらせたわけですね。これで怒り出したのは若い土佐藩士たちです。土佐の人間だけが傷つき、死んだ。片手落ちだと騒ぎ出したらしい。
■当時の土佐藩主は山内容堂(ようどう)です。坂本龍馬らが書き起こした「船中八策」を後藤象二郎経由で受け取った人物ですね。大政奉還につながる大きな出来事でした。山内容堂は、事件当時は公武合体を支持していました。会津藩との関係も良好だったようです。でも武市瑞山(たけち ずいざん、半平太)らの倒幕派も勢力があります。土佐藩は動揺したようです。
■では、この事件はどんな決着がついたのでしょうか? 次の中から選んでください。
[い]会津藩から土佐藩に対して多額の賠償金が支払われた
[ろ]会津藩の松平容保(かたもり)が直接土佐藩主山内容堂を訪問して謝罪した
[は]麻田時太郎の遺子に柴司と対決する機会を与えた
[に]麻田時太郎の遺子を会津藩で引き取り、藩士として育てた
[ほ]柴司が切腹した
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]柴司が切腹した
説明:柴司は、藩の命令ではなく、自ら命を絶ったようです。お兄さんが介錯したとのこと。わずかに21歳ぐらいだったらしい。主家を危機に導いた責任をとったのかな。
■柴の死で土佐藩士たちもおさまり、土佐と会津の衝突は避けられたらしい。どちらの藩主も柴の自殺に救われたわけですね。会津藩主松平容保(かたもり)は、柴の潔い態度に感じ、兄弟に禄を与えて別家を興させたそうです。
■「死ぬことが難しいのではなく、立派な態度で死に臨むことがむずかしいという。柴司などは、本当に立派な態度で死を迎えた者というべきだろう」。これは京都黒谷金戒光明寺(くろだにこんかいこうみょうじ)の会津墓地にある柴司の墓碑銘だそうです。このお寺さんは文久(ぶんきゅう)2年(1862年)から6年間、京都守護職の本陣として使用されていたらしい。松平容保の手下約1000人が常駐していたようです。
■たしかに麻田時太郎と柴司の行動を比べると、柴司のほうが格好はいいかもしれません。でも、麻田時太郎の気持もわかります。完全武装の殺気だった連中がドヤドヤと料亭に入ってくれば、逃げ出したくもなります。腹が据わっていないなんて非難されてもねぇ。武士はたいへんですな。
■なお、麻田時太郎は「時次郎」だったという説もあります。長谷川伸(しん)の大衆小説「沓掛時次郎」か、そのパロディ喜劇「てなもんや三度笠」で主人公をつとめる「あんかけの時次郎」のような名前です。そういえば落語「明烏(あけがらす)」で主人公をつとめる童貞の若旦那も「時次郎」という名前でしたね。う〜ん時次郎という名前ですと、迫力には欠けちゃうな。
◆参考*1:HP「明保野亭事件 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E4%BF%9D%E9%87%8E%E4%BA%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
◇*2HP「武田観柳斎 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E8%A6%B3%E6%9F%B3%E6%96%8E
◇*3HP「柴司 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E5%8F%B8

ぬけられます→歴史雑学クイズ一覧

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
きのう、Eテレで岡倉天心を取り上げておりましたが、岡倉天心も『谷中鶯 紅梅花 堂々男子死ぬがよい・・・・』と謡っていたそうです。
東京芸術大学を追われ、谷中に日本芸術学院を作った時に横山大観らと歌って鼓舞していたそうです。

士道不覚悟でよく切腹させられていたようですね。
侍でなくてよかったです。
ねこのひげ
2013/07/15 03:15
コメントをありがとうございます。

 そうですか。岡倉天心の番組は見逃してしまいました。残念。

 士道不覚悟なんてことでいちいち罰せられるとすれば、素町人などは毎日死ななければなりません。不覚悟の塊みたいなものですからねぇ。ホントにおサムライさんは大変ですね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/07/15 06:10

コメントする help

ニックネーム
本 文
誤解が元で土佐と会津の仲が険悪になった曙亭事件の日。どんな決着だったの? 町人思案橋・クイズ集/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる