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zoom RSS 八丁堀の七不思議の1つ、女湯の刀掛けとはなんなの?

<<   作成日時 : 2013/06/08 07:52   >>

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★歴史★
問題:八丁堀は、時代劇でよく登場するように、町奉行所の与力や同心が住んでいた地域だそうです。ここには七不思議がありました。
---奥様あって殿様なし
---女湯の刀掛け
---金で首が繋げる
---地獄の中の極楽橋
---貧乏小路に提灯かけ横丁
---寺あって墓なし
---佐瀬勇太夫の表裏
■ほとんどが意味不明ですね。本日は、2番目の女湯の刀掛けに注目します。八丁堀近所の湯屋(銭湯)の女湯には、ホントに刀掛けが置かれていたそうです。これはなぜなのでしょうか? 次の説明の中から近いものを選んでください。(近い説明は無いかもしれないし複数かもしれません)。
[い]女剣劇の常打ち芝居小屋が近くにあり、役者が常連客だった。出演者がもっている模擬刀をかけておけるように湯屋側が冗談で置いたもの
[ろ]与力や同心はワガママなので空いている朝湯に入りたがった。オカミに逆らえない湯屋側は与力・同心が朝湯として女湯に入るのを許した
[は]与力や同心は女湯の朝湯を留湯(とめゆ、貸し切り状態)にして入り、隣りの男湯から聞こえる話に耳を傾け情報収集を行なった
[に]当時は集会場が少なかった。与力や同心は、会合をもつときに奉行所内ではなく、銭湯の脱衣所を借りることがあった
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]与力や同心は女湯の朝湯を留湯(貸し切り状態)にして入り、隣りの男湯から聞こえる話に耳を傾け情報収集を行なった、が正しい
説明:参考資料*1によれば、「日髪日剃(ひがみひぞり)と女湯入りは与力・同心の特権」だそうです。与力・同心の日髪日剃とは、毎日髪結床が出前で結髪し、月代を綺麗に剃ってくれることだそうです。
■町奉行所の与力・同心は下級武士です。江戸時代に毎日専門の職人が結髪したり剃ったりしてくれるのは高級武士だけです。御目見(おめみえ、将軍に面会する資格のある身分)でもない下級武士の町奉行所の与力・同心になぜそんなことができたのか。情報収集のためだそうです。落語の「浮世床」に描写されるように、髪結床は、人が寄って来て駄話をする場所です。町内の噂はここに集散するわけですね。髪結床の親方はそれらをすべて耳にしています。毎日、与力同心宅に出張して結髪するときに、ニュースを警察関係者の耳に入れるそうです。なんだか垂れ込みみたいな感じでもありますが。
■女湯も情報収集の場だそうです。落語の「浮世風呂」に描写されるように、湯屋は人が寄って来て駄話をする場所です。与力や同心は男性の噂話を聞きたがっていたらしい。江戸時代の朝湯は、早朝から営業開始だそうです。職人は仕事に出る前に体を清めるためにひとっ風呂浴びていきます。早朝からかなり人が入っていたらしい。
■女湯は朝は空いていたそうです。そこで貸し切りにしてもらい、ときどき早朝の女湯に入り、男湯との境目の板塀に耳をくっつけていたのかな。なんだか盗聴みたいな感じでもありますが。
■堅気の女性は与力や同心と一緒に風呂に入るのは絶対にいやでしょう。でも町芸者などは、からかうつもりなのか、留湯でも平気で入っていったりしたという噂もあります。
■八丁堀近辺だけでなく、他の町、たとえば御徒町の銭湯などでも情報収集していたようです。上野東叡山寛永寺に将軍が行くことがときどきあり、警備のために地域の情報を集めていたのかな。
■なお、[ろ]の「与力や同心はワガママなので空いている朝湯に入りたがった。オカミに逆らえない湯屋側は与力・同心が朝湯として女湯に入るのを許した」という説を支持する人もいるようです。今回は、参考資料*1に従いました。
■余談です。江戸時代の前半・中盤ぐらいまでは、混浴の湯屋のほうが多かったようです。寛政(かんせい)3年(1791年)、老中松平定信が寛政の改革の一環として男女混浴(入れ込み湯)の禁令を出したとのこと。これ以後にもたびたび禁止例が出されているようです。つまり、なかなか遵守されなかったわけですね。
◆参考*1:書籍「時代劇のウソ・ホント」初版8〜9頁、笹間良彦(よしひこ)著、ISBN4-946525–65-3、遊子館
◇*2HP「Web新富座 > 八丁堀物語 > 第2回」
http://www.suncreate.jp/sintomi_za/html/hattyoubori/002.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
まあ、どの説もありなような気もしますが・・・・
なんやかやと理由をつけて、朝風呂に入りたかっただけかも。

混浴・・・・惚れた娘の後ろから狙う不届きな奴がいるので、豊島の女中などが一緒にはいて御嬢さんの背中に張り付いて貞操を守ったという話もありますね。
ねこのひげ
2013/06/09 19:32
コメントをありがとうございます。

 昔の銭湯は、夜ともなれば、とても暗かったと思われます。油を燃やした灯りだけという噂です。おそらく現在の常夜灯程度のほんのわずかな光しかなかったのでしょう。
 そこに入れば、けしからぬ振る舞いに及ぶ人も出てくるのでしょうね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/06/09 20:06

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