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zoom RSS 江戸の町を「とっかえべえ」と言って歩いた行商人とは?

<<   作成日時 : 2013/06/12 07:43   >>

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★歴史★
問題:江戸時代の江戸は行商人の町だったそうです。野菜や魚、豆腐などはもちろん、寿司や天麩羅などの加工品まで移動屋台、あるいは天秤棒の両端に下げた桶や笊(ざる)に入れて売って歩いたようです。小さなタンスを背中に背負って歩いた商人もいたらしい。もちろん食べ物だけではありません。金魚や植木、風鈴や煙管(きせる)の羅宇(らお)、貸本や小間物、なんと張り形などの大人の玩具にいたるまで行商人が売って歩いたといわれます。
■行商人のなかには、「とっかえべえ」と妙な声を出しながら歩く人がいたらしい。正徳年間といいますから1711年〜1716年ぐらいに始められたそうです。その後、一時すたっていたようです。でも宝暦(ほうれき)3年(1753年)に再び始められ、以後は流行・定着したようです。
■では、「とっかえべえ」は何を何と交換しようというのでしょうか?
[い]古い紙⇔浅草紙(最下級のちり紙)
[ろ]米⇔金(公定価格より高く買った)
[は]屎尿⇔大根
[に]古着⇔さらし木綿
[ほ]古い金属製品⇔飴
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]古い金属製品⇔飴
説明:「江戸塵拾(ちりひろい)」という江戸市中の見聞記があるそうです。1767年(明和(めいわ)4年)に発行されたらしい。「江戸塵拾」によれば、正徳年間に浅草田原町に紀州出身の紀伊国屋善右衛門(ぜんえもん)という人がいたとのこと。紀州の道成寺の僧が釣り鐘の建立を思いたち、善右衛門に協力を頼んだそうです。
■紀伊国屋といっても文左衛門ではありません。蜜柑(みかん)を扱って巨利を得ることもなかったようです。自分の懐から寄進するほど余裕のある人でもなかったのかな。善右衛門が思いついたのは、飴と古金(ふるがね)を取り替え、その古金で鐘を建立することだったとのこと。これがとっかえべえの始まりだったらしい。初めは商売としてではなかったようですね。募金を集めるためだったようです。
■宝暦(ほうれき)3年(1753年)ごろ、神田小柳町の甚右衛門(じんえもん)という人が商売として再開したらしい。鍋でも釜でも釘でも金属であれば何でも飴と交換したそうです。実際には煙管の雁首(がんくび)が多かったらしい。享和(きょうわ)2年(1802年)の山東京伝(きょうでん)作の「早業七人前(はやわざしちにんまえ)」という黄表紙の挿絵では、子供が煙管の雁首を手にしてとっかえべえと話をしている姿が描かれているそうです。
■川柳にもとっかえべえを詠んだ作品が残されているとのこと。「久しくなりぬ 住吉を 飴に替え」という句があるそうです。住吉は有名な煙管屋の名前らしい。煙管の代名詞にもなっていたようです。古くなった煙管の金属部分、雁首や吸い口をとっかえべえで飴にしたという意味なのかな。
◆参考*1:書籍「大江戸おもしろ商売」初版86〜87頁、北嶋廣敏(ひろとし)著、ISBN4-05-402993-0、学習研究社

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江戸の行商人。定齋屋(じょうさいや)って何を売っていたの?
●●●●●★歴史★● 問題:すでに何度かご紹介したように、江戸時代には面白い行商人が活躍していたようです*2*3。 ■たとえば定齋屋というのも行商人だったらしい。口絵のように天秤棒の前後に抽斗(ひきだし)のついた小さな箪笥(たんす)をぶらさげていたらしい。定齋屋は何を売っていたのでしょうか? 錠剤だろうって? 苦し紛(まぎ)れの駄洒落のような解答ですが、当たらずといえども遠からず。薬の行商人だったようです。 ■定齋とは、暑気払いなどの薬を意味するようです*4。たとえば和中散(わちゅう... ...続きを見る
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
なかなかいいアイデアですね。
うまく鐘は作れたんですかね?

ペットボトルや缶コーヒーの回収にも利用できそうですね。
現代人は飴ぐらいではつられないかな?
ねこのひげ
2013/06/13 02:37
コメントをありがとうございます。

 残念なことに、鐘がうまく作れたのかどうかはわかりませんでした。
 常識的に考えると、お寺のほうとしても、あまり豊かではない檀家の人だけにまかせることはないでしょう。
 とっかえべえの効果の多少はともかく、他の多くの人の寄付や尽力もあって、鐘はなんとか出来たのではないか。勝手に推測してしまいます。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/06/13 07:20

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