町人思案橋・クイズ集

アクセスカウンタ

zoom RSS 女性を尊重する気風のあった藩はどこ?

<<   作成日時 : 2013/06/01 08:34   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

画像
★歴史★
問題:江戸時代の武士の家を武士が訪ねてきます。玄関で案内を乞うと使用人の男性、雇われた侍か小姓、あるいはその家の息子が出てきます。主人に来客を伝えます。座敷に通すようにいわれたら客を家にあげます。訪問客は座敷の前の部屋で刀を腰からはずすそうです。このとき主人が「お刀あげ」と言います。侍か小姓が来客の刀を袱紗(ふくさ)で受け取ります。
■袱紗とは、「儀礼用の方形の絹布」だそうです。落語「崇徳院」では、大店の娘が茶袱紗を茶店に忘れ、別の大店の息子が気付いて声をかけて渡してあげる。そんな何気ない出来事だけで命掛けの恋が生まれます。茶袱紗は、茶道で使われる袱紗です。「茶器のちりを払ったり、 茶碗などを観賞する際、その下に敷いたりする絹布」のことらしい。
■袱紗で大事そうに客の刀を受け取るのは、客に対する敬意なのでしょう。刀の鞘は漆塗りです。傷をつけないように柔らかい生地の布で受け取るようです。この際、けっして柄には触れないとのこと。これも何か意味があるんでしょうね。
■よほど貧しい武士の家でない限り、来客の刀を受け取るのは男性であり、女性は刀に触れなかったようです。ただし例外があります。ある藩には女性を尊重する気風があったらしい。その藩では奥方や娘が袱紗あるいは両方の袂(たもと)で客の刀を受け取ることが認められていたようです。「女性を尊重して、これを認めていたのである」と参考資料*1「大江戸復元図鑑」には書いてあります。
■他の藩と少し違う気風としきたりがあったこの藩は次のどこでしょうか?
[い]陸前の仙台藩
[ろ]上州の高崎藩
[は]常陸の水戸藩
[に]阿波の徳島藩
[ほ]薩摩の鹿児島藩
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]常陸の水戸藩
説明:そもそも、武士の家では、玄関先に女性が出てくることはほとんどないらしい。参考資料*1によれば、「水戸藩にかぎっては、奥方や娘が出てきて、袱紗か両の袂(たもと)の袖(そで)で客の刀を受け取ることを認めていた」そうです。
■なお、江戸その他の町奉行の与力・同心の家も例外だそうです。水戸藩は気風から生まれたしきたりのようですが、町奉行の与力・同心では、別の事情がありました。参考資料*1によれば、「八丁堀にあった町奉行所の与力・同心の組屋敷では、例外的に妻が玄関まで応対に出た。町奉行所の与力・同心は江戸の警察・司法を直接担当するので、一般の町民が相談事のためによく訪ねてきた。与力・同心が外出がちであることと、玄関に出るのが男性では訪問者が緊張して頼み事を話しづらいだろうという配慮から、代わりに妻が応対したのである」とのこと。
■袱紗で刀を受け取った多くの男性、あるいは水戸藩の女性は、客の後に従います。客が座ると、その尻の後ろ、主人から見て横向きに置くそうです。どんなに親しい間柄であっても、刀は自分の脇に置いたりはしないものらしい*1。現代の時代劇ではそんな場面を見るような気もしますけどね。なお、武士はだいたい大小2本差しているわけですが、主人も客も小刀は腰に帯びたまま話をするようです。
■先日放送された、坂本龍馬暗殺事件を扱った「歴史秘話ヒストリア」というNHKの番組では、「龍馬は着座していた客に小刀で抜きざまに頭部を切られたのではないか」という仮説を紹介していました*2。刺客は桂早之助(はやのすけ)という人物だったとのこと。相手、すなわち坂本龍馬と中岡慎太郎を油断させるため、大刀は身体から離して置いていたらしい。映像では尻の後に横向きというよりは、斜め後に縦に置いていましたけど。
■桂早之助は、剣術の名人であり、14代将軍家茂(いえもち)の御前試合で50人抜きの快挙を演じ、ご褒美を授かったことがあるらしい。しかも西岡是心(ぜしん)流という剣術も習い覚えていました。この流派では、二刀流で右手に小刀を持つことがあるそうです。400人ほどの組員がいる京都見廻組の中でいちばんの適任者だったらしい。
■桂早之助は、龍馬の前に正座し、挨拶もそこそこに腰にさした小刀で龍馬の頭部を横に払ったそうです。居合抜きでしょうか。技の速さは、映画「椿三十郎」の最後の場面で三船敏郎が仲代達矢を斬殺したときの感じかもしれません。ともあれ、一撃で抵抗力を奪い、現場が修羅場となったところへ控えていた仲間たちが躍り込みます。みんなで龍馬と中岡慎太郎をフルボッコにしたようです。
■この説は、懐中に忍ばせていた龍馬の拳銃が役立たなかった理由を説明できるようです。龍馬の遺留品の中には、弾はこめられていたものの発射の形跡のない回転式拳銃一丁がありました。寺田屋事件で龍馬の命を救った武器です。襲撃者たちもこの威力を恐れ、拳銃を封じる方法を工夫したようです。
■余談です。番組で「着座小刀奇襲説」の根拠としていた現場の掛け軸の血痕には、不自然な点も見られました。掛け軸は客と正対した龍馬の左横奥にかけられていたとのこと。龍馬が左を見ると、掛け軸がよく見えることになります。この位置関係で頭部を横に払われたら血滴はほぼ正面から飛んできます。にもかかわらず、なぜか血痕は左から右、横に流れた形で残されています。番組でこれを説明しなかったのは残念でした。
◆参考*1:書籍「大江戸復元図鑑 武士編」初版64〜65頁、笹間良彦著・画、ISBN4-946525- 56-4、遊子館
◇番組*2「歴史秘話ヒストリア 坂本龍馬 暗殺の瞬間」130508NHK総合1・22時

ぬけられます→歴史雑学クイズ一覧

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
水戸藩は、他の地方とは違っていたようで、既婚女性がお歯黒や眉毛を抜くという当時の習慣もあまりされていなかったようですね。
なぜでしょうね?

NHKの坂本竜馬暗殺・・・・これはねこのひげも観とりました。
なかなか興味深かったですけど、この説明はなかったですね。
刀についた血を振り払ったのかもしれません。
ねこのひげ
2013/06/02 18:29
コメントをありがとうございます。

 なるほど、お歯黒もしていなかったのですか。それは面白いですね。

 うちの親父は大正8年(1919年)生まれですが、そのころ、東京都下の某町にはわずかながらお歯黒の習慣を受け継いだ老女がいたそうです。幼なかった親父は気味が悪いと思っていたらしい。
 江戸時代の常陸の国のほうが、大正時代の東京都下より文明開化していたとは、驚きです。

 龍馬暗殺の番組では、血の飛んだ高さは納得できるものの、方向については納得できません。
 もし、掛け軸が龍馬の背後にあったとすれば、納得なのですが。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/06/02 19:10

コメントする help

ニックネーム
本 文
女性を尊重する気風のあった藩はどこ? 町人思案橋・クイズ集/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる