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zoom RSS 江戸時代、羽織の長さはスカート丈のように流行で変わったの?

<<   作成日時 : 2013/05/29 09:12   >>

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★歴史★
問題:上方落語の「初天神」に登場するお父さんは、子供やカミサンにずいぶん馬鹿にされている気の毒な人です。羽織を入手したのが嬉しくてしかたがないらしい。どこに行くにも羽織を着ていきます。長屋住まいなのでしょうか。共同便所に行くにも羽織を着ていったことがあるらしい。
■そもそもその羽織は、カミサンの働きで入手したものです。主家で手伝いをしたとき、頑張ってくれたからと奥様から直々に頂いた女物の羽織です。旦那に羽織の1枚もないのはみっともないと、男用に仕立て直したものらしい。
■1月25日の初天神の日。今日は天神様にお参りに行くと旦那は羽織を着ます。カミサンは信心にかこつけて女郎買いに行くんじゃないかと疑いますが、旦那は絶対信心だと言い張ります。ホントに初天神に行くなら息子のトラちゃんも連れて行ってくれとカミサンはいいます。あいつは物を買ってくれとねだるからいやだと旦那は断ります。やっぱり遊びにいくんやな。トラちゃんが一緒だと都合が悪いんでっしゃろ。揉めているところにトラちゃんが帰ってきます。「あれっ。父ちゃん羽織着ているな。便所に行くんか?」。
■羽織は、貧乏人にとっては一種のステータス・シンボルになるもののようですね。慣れない者が羽織を着ると少し嬉しく、気分が高揚するものらしい。江戸時代の裏長屋では、羽織を着られない人も多かったのかな。江戸初期には大商店の番頭格以上が着る物という暗黙の了解があったらしい。
■本日は羽織についての雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか?
[い]羽織は元々は道中着であり、雨合羽として使われた
[ろ]江戸時代には羽織の丈の長さは現代のスカート丈のように流行で変化した
[は]女性が羽織を着始めたのは、20世紀初頭に女権解放運動が始まって以来である
[に]丹前(綿入れ)は羽織から進化した防寒着である
[ほ]新聞記者はかつて羽織ゴロと呼ばれていた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]と[ほ]が正しい
説明:[い]羽織は元々は道中着であり、雨合羽として使われた(×)
■元々道中着だったのは事実だそうです。屋内に入ったら脱ぐのが礼儀だったとのこと。おなじ道中着でも雨合羽(あまがっぱ)ではなく、ほこりよけの上っ張りだったらしい。レインコートではなくダスターコートだったようです。
□武士には陣羽織というのがあります。鎧の上に羽織ったりします。運動のために袖は省略されています。陣羽織は色の派手なものもあったらしい。刺繍がほどこされていたりします。多分に装飾的な要素があったらしい。死に装束になるかもしれないわけですから、格好をつけたり見栄を張ったりするのかな。
[ろ]江戸時代には羽織の丈の長さは現代のスカート丈のように流行で変化した(○)
■江戸時代の平和な時代に入ると、羽織は防寒着として定着したらしい。江戸時代の初期には格式のある着物として登場しているようですが、このころは丈は膝ぐらいだそうです。その後、腰ぐらいまでの短羽織からくるぶしにかかるぐらいまでの長羽織と流行が交互に訪れたとのこと*1。
□歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の四段目では、薬師寺次郎左衛門(じろうざえもん)という切腹の見届人の次のような台詞があります。「…それに何ぞや、当世様の長羽織、ぞべらぞべらときめさるゝは、酒興(しゅきょう)か、たゞし血迷うたか…」。酒興は、「酒を飲んで楽しむこと。また、その楽しい気分」だそうです。「酒興か」は平たくいえば「酔っているのか」という意味らしい。
□高師直(こうのもろのお)に対する傷害事件の加害者塩冶判官(えんやはんがん)はすでに覚悟を決めて白無垢と水浅黄(みずあさぎ、水色、江戸時代の囚人服の色)という切腹用の衣装を着込んでいます。薬師寺ら使いの者にいきなりそれを見せるのは失礼かと、わざと長い羽織を着ているらしい。なかなか粋な人です。その気配りを理解しない薬師寺次郎左衛門に対して、観客は嫌悪感を抱き、塩冶判官に対する同情がいやましになります。
[は]女性が羽織を着始めたのは、20世紀初頭に女権解放運動が始まって以来である(×)
■陣羽織に見られるように、もともと男性が着ていたものだそうです。江戸時代の半ばまでは女性はいっさい羽織を着なかったらしい。そのかわりに着ていたのが打ち掛けです。打ち掛けは、いまでは結婚式の際に着られるだけになっているらしい。
□元文年間(1736〜1741年)以降、岡場所でもあった深川の芸者、いわゆる辰巳芸者たちが好んで着て客席に出るようになったらしい。ちょっとヤンチャな、鉄火な雰囲気を演出したのでしょうか。辰巳芸者は羽織芸者とも呼ばれたらしい。
[に]丹前(綿入れ)は羽織から進化した防寒着である(×)
■羽織は道中着でほこりよけの意味が強かったようです。丹前も屋外でも着ましたが、こちらは防寒の意味が強いらしい。羽織は夏でも着ることがありますが、丹前は寒中のみの服装らしい。
□丹前は、どちらかといえば小袖の変化形だそうです。小袖とは袖口の小さく縫いつまっている衣服とのこと。防寒用に綿を厚く入れた小袖が丹前らしい。
□承応(じょうおう)から明暦(めいれき)の頃(1652〜1658年)、神田雉子町の、堀丹後守の屋敷前に湯女(ゆな)のいる風呂屋があったらしい。通称を丹前風呂といいます。丹前風呂に通う男たちがこの綿入れを愛用したので、丹前の名がついたというのが定説です。後世ではドテラ(褞袍)とも呼ばれていますね。
[ほ]新聞記者はかつて羽織ゴロと呼ばれていた(○)
■羽織ゴロは、「りっぱな身なりをしながら、ごろつきのような所業をする者」です。昔の新聞記者は、その権力にもの言わせて、弱い者をいじめたり、豊かな者から金をゆすりとったりしていたらしい。現在ではどうかな。最近の新聞記者はおおむね給料がいいので法に触れるようなゆすりたかりは止めているかもしれません。そのかわり、法人個人を威して快感を得るという一種のパワハラが見られるようですね。
□「品性下劣は新聞記者などマスコミ人士の職業的なDNAだ」という意見も聞きます。ネット上でときどき見られる主張です。ときどき頷きたくなりますね。まぁ、実際には品格のある記者も大勢いるのでしょうけど。
◆参考*1:書籍「大江戸歴史百科」初版13〜14頁、河出書房編集部編、ISBN978-4-309-22467-1、河出書房新社
◇*2HP「羽織 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E7%B9%94

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
平和な時代になると、色々やってみたくなるようで、刀も、これで人が殺せるのかというぐらいの細身にしたり赤鞘や白鞘にしたりするのが流行ったそうで、町人に喧嘩を売られて、その刀を折られるなどという恥をかかされた旗本も出たりしてますね。
ねこのひげ
2013/05/31 02:40
コメントをありがとうございます。

 朱鞘の刀は、「中村仲蔵」という落語の中で、斧定九郎(おの さだくろう)役を演じた仲蔵のいでたちにも使われていました。
 斧定九郎は、塩冶判官の家老の息子で遊び好き。金に困り、山崎街道で追いはぎをする人物です。勘平の岳父、与市兵衛を殺害した張本人です。
 堅気でないサムライたちが赤い鞘や白い鞘の刀を好み、堅気のサムライは、黒い鞘で地味に生きていたのかな。
(^^;) 
ねこのひげ様<素町人
2013/05/31 13:46

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