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zoom RSS 百姓の抗議行動の発生件数。江戸時代ではいつごろがいちばん多いの?

<<   作成日時 : 2013/05/22 08:09   >>

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★歴史★
問題:一揆という言葉は、本来は暴動という意味よりも同盟とか組合といった意味のほうが強かったそうです。Wikipediaの表現を借りれば、そもそもは「盟約に基づく政治的共同体」が一揆の意味らしい。
■「揆」という漢字は常用漢字表には掲載がありません。漢和辞典「字通」によれば「キ、はかる」という字音・字訓があります。「はかる」は「謀る」というよりも「測る」のほうだそうです。「列置する間隔を定めること」からはかるという意味になったらしい。それがなぜ同盟とか組合の意味になったんでしょうね。
■最近では、その共同体が抗議行動を起こすことのほうに力点が置かれてしまっているとのこと。筵旗(むしろばた)を立て、鍬や鋤などの農具を武器がわりに持って代官所などに迫る行動ですね。本来の言葉遣いで言えば、蜂起した農民たちは運命共同体の一揆であり、暴動のほうは「一揆のとった行動」というべきなのかな。
■ところで、江戸時代の中では百姓の抗議行動の発生件数はずいぶん変動があるらしい。では、270年ほどの歴史のなかで、いちばん百姓の抗議行動が多く発生したのはいつの時代でしょうか? 下の中から選んでください。なお、それぞれの期間は長さに多少の違いがあります。1年あたりの平均発生件数で比較していちばん多い時期を選んでください。
[い]1590年〜1639年(慶長・寛永期)
[ろ]1640年〜1679年(慶安・寛文・延宝期)
[は]1680年〜1719年(元禄・正徳期)
[に]1720年〜1769年(享保・宝暦期)
[ほ]1770年〜1829年(天明・寛政・化政期)
[へ]1830年〜1871年(天保・幕末維新期)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)
























★歴史★
正解:[へ]1830年〜1871年(天保・幕末維新期)
説明:藩主堀田氏の苛政に耐えかねた名主が江戸に赴き、4代将軍家綱に直訴した事件は、承応(しょうおう)2年(1653年)に起きたようです。悪政は正されたものの名主自身はもちろん、カミサンや子供たちも処刑されちゃうという出来事でした。
■福沢諭吉が「古来唯一の忠臣義士」と褒め讃えたこの佐倉惣五郎の事件は、選択肢でいえば[ろ]です。素人考えでは、このころ、つまり17世紀あたりに百姓の抗議行動は多いのかなとも思います。また、18世紀後半の天明の大飢饉のように、不作の年には当然増加するのかなとも思います。
■ところが江戸の初めから幕末にかけて、抗議行動は一本調子で増えているのが実態だそうです。青木虹二(こうじ)という研究者は3000件以上の抗議行動、俗に一揆と呼ばれているものを採集したらしい。その成果を時代別にわけてみると次のようになるそうです。
---[い]1590年〜1639年(慶長・寛永期) 年平均3.9件
---[ろ]1640年〜1679年(慶安・寛文・延宝期) 年平均4.6件
---[は]1680年〜1719年(元禄・正徳期) 年平均6.2件
---[に]1720年〜1769年(享保・宝暦期) 年平均10.6件
---[ほ]1770年〜1829年(天明・寛政・化政期) 年平均13.6件
---[へ]1830年〜1871年(天保・幕末維新期) 年平均25.0件
(横山十四男「百姓一揆と義民伝承」教育社歴史新書、昭和52年(1977年))…参考資料*1より
■初期には年4件しかなかったものが、最後には年25件にもなる。怒りが増大したのか。それとも徐々に武士が嘗められ、農民による実力行使が多くなっていったのか。素人にはよくわかりません。
■なお、この数字は、いわゆる一揆も逃散(ちょうさん)もすべて含んでいるようです。逃散はみんなで逃げちゃうというやつですね。逃散だけに限ると[い]がいちばん多く、[ほ]がいちばん少なくなっているそうです。つまり江戸時代を通じて、逃散はそんなに多くは発生しなかったということなのかな。
◆参考*1:書籍「データが語る日本の歴史」初版111〜114頁、歴史教育者協議会、ISBN4-593-59408-1、ほるぷ出版
◇*2HP「一揆 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%8F%86

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コメント(2件)

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ねこのひげが読んだ本によると、江戸時代になると農民の力が強くなり、色々と要求を突き付けるようになったらしいそうです。
戦国時代には年貢が支配者の武士側が6分で農民が4分であったのが、江戸初期には5分5分になり、江戸中期にはほぼ逆転して武士側が4分農民側が6分というようなったそうです。
強く言えば逃散して米を作ってくれなくなるので、武士側も説得するのに苦慮したそうです。
ねこのひげ
2013/05/23 00:02
コメントをありがとうございます。

 江戸初期から末期にかけてずっと右肩上がりで「一揆」が増えているということは、農民の圧力がどんどん強くなることを意味しているのでしょうね。

 農地の面積は江戸初期が200万ヘクタールぐらい。末期では300万ヘクタールを超えているそうです。
 生産性も少しずつは高くなっているでしょう。比率として武士の取り分が減ったとしても、絶対量としては武士の分け前も増えているのかもしれません。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/05/23 10:00

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