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zoom RSS 江戸時代の行商人が集めたものとは?

<<   作成日時 : 2013/05/18 09:23   >>

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★歴史★
問題:以前に弊クイズでもご紹介した「おちゃない」という不思議な商売があります。抜けた髪の毛を買い集め、かもじ屋(かつら屋)に売る商売だそうです。「落ちた髪の毛はないか」という言葉が「おちゃない」になったらしい。
■江戸時代はさまざまなものを再利用していました。江戸市民の屎尿は近隣の農家が買い取り、肥料として利用していたそうです。老若男女の雲古も疾呼もみんな食品へと化けて口に入るわけですね。すばらしい循環型社会といえるでしょう。
■では、江戸時代の江戸で、買い集められて再利用されたものは次のなかのどれでしょうか? (正しいものは無いかもしれないし複数かもしれません)
[い]灰
[ろ]野菜の切りくず
[は]魚のあら
[に]お茶の出し殻(だしがら)
[ほ]綿ぼこり
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]灰
説明:ひょっとしたら他のものも買い集められていたかもしれません。たとえば現在の江東区砂村あたりでは、生ゴミが発酵する際に発生する熱を利用した促成栽培が行なわれていたそうです*2。17世紀に始まって戦後まで続いていたとのこと。江戸時代中はずっと生ゴミを必要としていた可能性はあります。[ろ]の野菜のきりくずや[は]の魚のあらも必要だったかな。
■たまたま砂村は江戸時代には生ゴミの廃棄地だったようです。人々は熱源を無料で得ていた可能性が高いらしい。でも他の地域で発酵熱利用促成栽培を試みる農民は、長屋をまわって買い集めていたかも。ただし、参考資料*1などには、掲載されていませんでした。
■[に]のお茶の出し殻もとくには触れられていません。お茶の出し殻は、一般家庭では掃除の際に再利用されていました。昭和30年代でも、掃除をする前にお茶の出し殻を撒く家がありました。ゴミと一緒に箒で掃き集めるわけですね。小さなホコリが出し殻の水分に付着します。お掃除の効果があがるようです。ただし、お茶の出し殻は家庭や職場で生成され、どこでも掃除は必要でしょうから、その場で消費されてしまいます。あらためて収集して再販売することはなかったと勝手に推測します。
■[い]の灰は、灰買いと呼ばれ、江戸や京大坂で見られた商売だそうです。京大坂では「ぬか、たね、はいはございござい」という呼び声で買い集めたらしい。米の糠や綿の種なんかも欲しがったようです。一般家庭に綿の種があったというのが不思議ですけど。
■江戸では灰1本で勝負していたらしい。天秤棒の前後にもっこをぶらさげ、買った灰を入れて歩いたとのこと。目のつまった布あるいは紙をひいて、落ちこぼれるのを防いだのかな。冬の空っ風は江戸の名物かもしれませんが、そんな日は商売にならなかったかもしれません。飯の種が飛んで行ってしまいそうです。
■灰は灰問屋に買い集められ、酒造業者・染色業者・製糸業者などに売られたようです。灰問屋で大きく儲けた人に灰屋紹由(はいや じょうゆう)という人がいます。元和(げんな)8年(1622年)に亡くなった江戸初期の京都の豪商です。息子が灰屋紹益(じょうえき)。風流人として知られた親子だそうです。
■灰屋紹由は、京都で藍染に使用する紺灰を扱う業を営んでいたとのこと。紹益は本阿弥光悦(こうえつ)の甥である光益(こうえき)の息子さんだそうです。本阿弥光悦は安土桃山時代から江戸初期にかけての超大物芸術家です。陶芸・書画・漆芸などに作品を残しています。書は「寛永の三筆」とも呼ばれています*4。朝廷に影響力が強く、家康は彼を恐れ、御所から離れた鷹峯(たかがみね)に土地を与え、ていのいい島流しにしたとも言われます。そこには物を創る人たちが集まり、一種の芸術家村となったそうです。当時は京都のモンマルトルと呼ばれていた…かどうかは知りませんが、現在の北区、光悦寺がある地だったようです。金閣寺から40分ほど北に歩いたあたりです。なお、光悦の甥である本阿弥光益もまた工芸家です。
■工芸家の息子、本阿弥紹益は、紹由の養子となったようです。養父の富と実父の趣味性の相乗効果で、紹益は当時の男性の理想の生き方を送ったらしい。井原西鶴(さいかく)が「好色一代男」で描いた世之介は、紹益を手本としているともいわれます。単なる成金ではなく、文化の香りの高い遊び人になったのかな。
■灰は、農家にも売れたらしい。ご存じのように木や藁の灰はアルカリ性だそうです。そもそもアルカリという言葉はアラビア語の灰に由来するという話もあります*3。農家では酸性土壌を中和するために用いられたようです。
■なお、[ほ]の綿ぼこりが再利用されたかどうかはわかりませんでした。なんでも再利用する江戸の人のことですから、ひょっとしたら糸に再生させているかもしれません。でもなんの証拠もないので、今回ははずれにさせていただきます。
◆参考*1:書籍「大江戸おもしろ商売」初版94〜95頁、北嶋廣敏(ひろとし)著、ISBN4-05-402993-0、学習研究社
◇*2HP「生ゴミを腐らせた熱で行なう促成栽培。いつごろから行なわれているの?」
http://blog.q-q.jp/201109/article_12.html
◇*3HP「「アルカリ性」の「アルカリ」ってどんな意味?」
http://blog.q-q.jp/200601/article_57.html
◇*4HP「「今の時代、書の名人は誰?」と問われた本阿弥光悦の返答は?」
http://blog.q-q.jp/200707/article_47.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
江戸庶民のリサイクル精神はみならうべきものがありますね〜
ウンコもけっこうな値段で取引されたそうで、千葉方面から薪や野菜を運んできた船が帰りはウンコを運んで帰り、肥料として百姓に売っていたそうで・・・
ねこのひげ
2013/05/19 05:41
コメントをありがとうございます。

 江戸時代のリサイクル精神は、江戸だけではなく、上方でもおなじだったようです。
 上方落語の「野崎詣り」にも屎尿を運ぶ舟の話が紹介されます。
 家賃を払ってくれないので、屎尿を回収・販売する金だけが目当ての貧乏長屋が登場するお話もあったと記憶します。
 江戸時代の人々は、自然と調和しながら生きていたのかな。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/05/19 09:51

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