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zoom RSS 閻魔様がお休みをとる年2回の休日とはどんな日なの?

<<   作成日時 : 2013/04/17 08:25   >>

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★歴史★
問題:江戸時代のお話です。いつも恐い顔をして亡者を裁き、地獄送りにしている閻魔様が年に2回だけお休みをとるそうです。超売れっ子タレント並ですね。過労死したりしないのかな。
■この日には地獄も定休日なんだそうです。罪人を煮る釜のふたが開かれるとのこと。亡者をいじめるのを休んだらしい。そうしてみると地獄の従業員である赤鬼とか青鬼も年2回しか休めないのかな。鬼のように働いているんですね。ILO(国際労働機関)からお叱りを受けそうです。
■では、江戸時代に閻魔様がお休みをとるといわれた年2回の定休日は次のどれでしょうか?
[い]春と秋の彼岸の中日
[ろ]夏至と冬至の日
[は]立春と立秋の日
[に]正月と盆の日
[ほ]大暑と大寒の日
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]正月と盆の日
説明:正確にいうと1月と7月の16日だそうです。旧暦ですから、いまでいえば2月と8月ぐらいになるのかな。
■閻魔様や地獄がお休みをとるのとどういう関係があるのかはわかりません。でも、この2日はいわゆる藪入りだそうです。藪入りとは「商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中など奉公人が実家へと帰ることのできた休日」です。
■年齢制限があるようです。奉公に出てから3年間は薮入りは認められなかったといわれます。里心がつくからという理由らしい。経営者たちは心を鬼にして小さい労働者たちに里帰りを禁じたのかな。
■奉公に出る年齢は現代でいう小・中学生ぐらいです。明治維新から明治40年(1907年)までは義務教育(尋常小学校)が4年まででした。ということは10歳ぐらいで奉公に出る子も多かったのかな。13歳で戻ってきたらずいぶん大人びていたでしょうね。落語の「藪入り」のようにお父さんお母さんはウロウロソワソワするばかりなのに当人は落ち着き払っていたりするのかな。
■成人も帰省は許されなかったらしい。ただし、1日の休暇は貰えたようです。店の主人は新調のお仕着せと小遣いを与えたらしい。丁稚も小僧もなぜかまず最寄りの閻魔堂に参拝したようです。閻魔堂は名前どおり「閻魔王を祭ってある堂」だそうです。閻魔様は骨休めにどこかに行っているはずなのですが。わざと留守に訪ねるのは何か意味があるのかな。
■それから実家へ帰ります。交通事情の悪い時代です。実家の遠い子供は帰れなかったかもしれません。ちょっと哀れです。
■小遣いは200文と相場が決まっていたらしい。落語では16文で立ち食いのしっぽく蕎麦が食べられています。勝手に換算すると、4文で100円ぐらいになるのかな。もしそうなら200文は5000円ぐらいの勘定になります。
■「ゑんまの日 二百の若衆 やたら出る」という川柳があるそうです。成人した奉公人は家には帰れず、200文を持って繁華街をうろつくしかなかったようです。なかにはこの金で下半身をさっぱりさせてしまう人もいたらしい。昔は安いお姉さんがいたようですね。21世紀初期の日本では「大衆○ープ」なんてうたっていても、400文以上は間違いなくとられるでしょう。
◆参考*1:書籍「川柳で読み解く『お江戸』の事情」新書初版18〜19頁、中江克己(かつみ)著、ISBN4-413-04113-5、青春出版社
◇*2HP「閻魔 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%BB%E9%AD%94

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
江戸の中なら帰れますが、大抵が店の旦那の故郷から方向に来ているのが多いようで、ほとんどが帰れなかったようですね。
まあ、浅草あたりで遊ぶのが関の山だったようで・・・・
「きょうは地獄の釜の蓋も開く日だぜ!」なんて歌舞伎のセリフもあったようですね。
ねこのひげ
2013/04/17 19:30
コメントをありがとうございます。

 「地獄の釜の蓋も開く日」という台詞は、舞台上の季節を特定しやすいし、言葉としても面白いし、便利に使われたのかもしれませんね。

 「醒睡笑」という笑い話集には、大岡越前や遠山の金さんよりずっと前の名奉行、板倉勝重(京都所司代)の裁きが記されていますが、その逸話の中でも、「地獄の釜の蓋」という言葉が使われていました。

 板倉の活躍も醒睡笑の成立も江戸初期のようです。ずいぶん古いころからこの言葉が使われていたようですね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/04/18 08:33

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