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zoom RSS 樽屋藤右衛門・館市右衛門・喜多村彦右衛門って何をした人たちなの?

<<   作成日時 : 2013/03/13 09:30   >>

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★歴史★
問題:江戸時代のB級有名人のお話です。樽屋藤右衛門(とうえもん)・館市右衛門(たち いちえもん)・喜多村彦右衛門(きたむら ひこえもん)というのはどんな人たちなのでしょうか?
[い]いわゆる十八大通(じゅうはちだいつう)のメンバー。通人・粋人として知られた
[ろ]両国橋を作った豪商たち
[は]町火消しの親分として知られた人たち
[に]著名な寺大工たち
[ほ]町年寄(まちどしより)たち
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]町年寄たち
説明:この3人は江戸の町年寄として代々世襲で江戸を治めた人物だそうです。各家の当主は、代々この名前を名乗ったようです。純粋な個人の名前ではないようですね。役職名のほうに近いのかな。
■江戸の自治組織のトップです。都知事にあたるのでしょうか。江戸の町の親分としては町奉行がいるので、副知事あたりに該当するのかな。3人は月番で3ヶ月に1回ずつ役をおったそうです。町奉行所からのいろいろな達し(布令)を名主に交付します。名主の能力を調べて交替させる権限も持っていたらしい。
■名主は町年寄の配下です。2〜3町を掛け持ちで担当区域としていたそうです。江戸中に264人、別に新吉原に4人いたらしい。名主たちは、町年寄の命令を五人組以下に伝えます。また町内の小さな民事訴訟は名主の家の玄関先で裁いたらしい。村でいえば庄屋と似た存在だそうです。仕組みや役割はまるで異なりますが、名主は、数からいえば都会議員みたいな存在なのでしょうか。ちなみに、現在の都議会議員の議員定数は127だそうです。
■名主の配下である五人組というのは、町内の家主の組合だそうです。「…地主・家持を近隣ごとに五戸前後を一組として編成し、各組に組頭などと呼ばれる代表者を定めて名主・庄屋の統率下に組織化したものである。これは連帯責任・相互監察・相互扶助の単位であり、領主はこの組織を利用して治安維持・村(町)の中の争議の解決・年貢の確保・法令の伝達周知の徹底をはかった」*4。
■江戸の町民の自治機関としては、町年寄>名主>五人組>月行事>家主の段階があったらしい。この下に家主の管理する貸家に住む多くの店子(借家人)がいたとのこと。
■なお、3人のうちの館市右衛門は、本来は奈良屋市右衛門といいます。10代目が「業務によくつとめた」として褒められ、文政(ぶんせい)7年(1824年)に帯刀を許され、天保(てんぽう)5年(1834年)に館という苗字をもらったらしい。
■奈良屋の先祖は、本能寺の変の直後、現在の大阪近辺にいた家康が三河に戻るとき、「神君伊賀越え」と呼ばれる強行軍に従ったらしい。なお、樽屋も寛政の改革のときの働きを認められ、帯刀を許されたことがあるようです。
■江戸の初期には、町年寄たちは将軍と接触があったらしい。寛永(かんえい)11年(1634年)に家光が上洛したときには、江戸の町年寄たちは供をしたそうです。時代とともに徐々に接触は薄くなっていったらしい。それでも正月三日の御目見得では、大坂惣年寄や堺・京都の町年寄など他国の町人達も共に拝謁しますが、その際江戸の町年寄は全国の町人の筆頭として列席したとのこと*2。
■余談です。樽屋藤右衛門は、「♪しとしとぴっちゃん」の主題歌で知られる「子連れ狼」にも登場するらしい。主人公拝一刀(おがみ いっとう)と旧知の間柄だそうです。いろいろあって、拝一刀を「真の武士」と尊敬しているようです。
■江戸後期の風俗百科事典として知られる「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」を記した喜多村信節(のぶよ)は、喜多村彦右衛門の弟だそうです。何代目なのかはわかませんでしたけれど。天明(てんめい)3年(1783年)に生まれ、安政(あんせい)3年(1856年)に亡くなった国学者だそうです。
◆参考*1:書籍「大江戸復元図鑑 庶民編」初版2〜3頁、笹間良彦著・画、ISBN4-946525-54 -8、遊子館
◇*2HP「町年寄 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BA%E5%B9%B4%E5%AF%84
◇*3「東京都議会Kids〜都議会とは? 都議会議員の人数と任期〜」
http://www.gikai.metro.tokyo.jp/kids/togikaitoha2.html
◇*4「五人組 (日本史) - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E4%BA%BA%E7%B5%84_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2)

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
町内のもめごとのほとんどは、町年寄りの段階でケリが付いたようですね。
夫婦喧嘩や、隣人同士のいさかいは、名主あたりで解決していたようですね。
奉行所にまで行くのは、よほどの事件だけだったようですね。
ねこのひげ
2013/03/13 18:50
コメントをありがとうございます。

 昔の制度にケチをつけても始まりませんが、名主が家裁の裁判官の役をつとめ、ご近所に権力をふるうのは、あまりいいことのように思えません。
 人の移動の少ない時代です。名主の親戚などは、当主の家を中心に、あたりにたくさん住んでいるでしょう。
 名主の関係者とモメ事が起こったら、まぁ勝ち目はない。それじゃ、普通の住民は意気阻喪してしまいますよね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/03/14 00:20

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