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zoom RSS 相撲の歴史。土俵ができたのはいつごろなの?

<<   作成日時 : 2013/01/19 07:27   >>

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★歴史★
問題:昔の埴輪には、相撲の力士を模したように見える人形があるらしい。たとえば、福島県の原山古墳という遺跡からは、力士像と呼ばれる埴輪が出土しているそうです。口絵の写真のように、なんともとぼけた表情の関取です。
■推定されるところ、相撲は古墳時代よりももっと前に始まったようです。2000年近い歴史があるらしい。でも定期的な興行・娯楽として成立したのは江戸時代に入ってからといわれます。室町時代にもすでに有料の相撲はあったかもしれません。でもそれは散発的な興行だったと思われます。
■では、相撲の土俵はいつごろできたものといわれているのでしょうか? 次の中から選んでください。
[い]奈良時代後期
[ろ]平安時代末期
[は]室町時代後期
[に]江戸時代初期
[ほ]江戸時代後期
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]江戸時代初期
説明:参考資料*1によれば、天正年間から慶長年間にかけて土俵ができたとのこと。それまではただ人垣の中で相撲をとっていたようです。人々のつくる円陣は自在に伸縮したり移動したりしたらしい。土俵ができて初めて相撲は競技になったようですね。
■江戸時代の直前までは、相撲は武芸の一種と見られていたようです。戦場で組み合ったときに応用するわけですね。相手を投げ飛ばして組み伏せれば、首も取りやすいのかな。
■幕府は、江戸に増えていく浪人の対策なのでしょうか。慶安(けいあん)元年(1648年)、素人が力くらべで行なう辻相撲を禁止したそうです。同時に興行として行なう勧進相撲も禁止してしまったらしい。治安維持のためだそうです。その3年後の慶安(けいあん)4年(1651年)に由井正雪(しょうせつ)らによるクーデター未遂計画、慶安の変が起きています。そのころ、浪人が多くて世の中が不安定だったようですね。
■貞享(じょうきょう)元年(1684年)、関係者の熱心な陳情があり、幕府は勧進相撲を許可したようです。勧進相撲というのは、神社仏閣の建物や仏像などを創建したり再建したり修理したりする費用を集めるためという目的限定の相撲です。ただし、それは伊勢詣りが旅行の目的なのに、実は遊興だったというのとおなじで、名目だけの場合も多かったらしい。
■最初は深川の富岡八幡で勧進相撲が再開されたとのこと。それ以降、大相撲は深川の富岡八幡、蔵前八幡、本所回向院(えこういん)などで開かれたらしい。最終的には天保(てんぽう)4年(1833年)、春秋の年2場所で、現在の両国にある本所回向院が定場所(じょうばしょ)となったそうです。
■江戸の庶民は、ちょっと涼みに道に出ると若者がいる場所では相撲が始まったりします。夏です。本気で戦うとかえって火照ったりして暑くなってしまいます。で、「投げるなと いふは涼みの 角力(すもう)なり」という川柳があるらしい。「谷風はここでたいてい前褌(まえみつ)を取るんだよな」。人気力士の物真似をしたりして楽しんでいたのかもしれません。
◆参考*1:書籍「川柳で読み解く『お江戸』の事情」新書初版34〜35頁、中江克己(かつみ)著、ISBN4-413-04113-5、青春出版社

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コメント(8件)

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江戸は血の気の多い若者も多かったようですから、殴ったり蹴飛ばしたりするより、相撲の方が怪我が少なくてよかったのかも。

勧進というのは宝くじも一緒ですね。
残念ながら、今回の年末ジャンボも当たりませんでしたけど。
ねこのひげ
2013/01/19 07:46
コメントをありがとうございます。

 「勧進帳」の昔から、「勧進」の威力はなかなかのものがあったようですね。
 日本国政府も、収入の不足分を国債頼みにせず、東日本大震災の「復興勧進富くじ」に頼ったほうがいいのかな。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2013/01/19 11:12
「相撲神社」<奈良県桜井市穴師鎮座>

祭神:野見宿禰・当麻蹴速第11代垂仁天皇のころ、野見宿禰と当麻蹴速が「カタケヤシの地」ではじめて天皇の前で角力をとった<天覧相撲の開祖地

相撲神社には土俵がありましたね(笑)
sadakun_d
2013/01/20 16:51
コメントをありがとうございます。

 野見宿彌のころの闘いかたは、現在でいえばキックボクシングのようなものではなかったかと言われているらしい。
 当麻蹴速は「速く蹴る」のが得意そうです。でも力を発揮する前に野見宿彌に蹴り殺されたそうです。ご愁傷さまです。
⇒http://blog.q-q.jp/200709/article_42.html
(^^;)
sadakun_d様<素町人
2013/01/20 18:20
そういえば、野見宿禰・当麻蹴速の相撲の絵、見たことあったわ。
まあ、想像の絵なんですけど。けはや、と読むんだっけ?蹴りわざが有ったんですか?
うわ〜。ムエタイみたいな感じかね。
ブータ
2013/01/21 00:28
コメントをありがとうございます。

 Wikipediaによれば、「たいまのけはや、たぎまのけはや、タエマクエハヤ」などと呼んだらしい。「腰を踏み折られて」亡くなった…と「日本書紀」なんかに記されているようです。
 「踏む」という動作は、上から圧力をかける感じですね。すでに倒れている人に対する動作のように見えます。現在とはルールが異なっているようです。

 死ぬまでやるのはなかなか徹底しています。文字通りのデスマッチ。リングに鉄条網を設けたりするのは、現在の格闘技でも行なわれます。でもあれはあくまでも見世物らしい。雰囲気を盛り上げるためだけに使われるようです。
 古代の格闘技はそんな甘っちょろいものではなかったようですね。
(^^;)
ブータ様<素町人
2013/01/21 06:56
http://youtu.be/3cNLlCh8L5E

織田信長〜御相撲が大好き〜土俵は、織田信長がヒント❗

土俵の"東(ひがし)""西(にし)"も織田信長〜

初耳〜
sadakun_d
2015/01/13 07:50
コメントをありがとうございます。

 織田信長が相撲好きというのは面白いですね。明治天皇も昭和天皇も相撲好きでしたけど、偉いヒトは意外に格闘技愛好のヒトが多いのかな。
(^^;)
sadakun_d様<素町人
2015/01/13 16:17

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