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zoom RSS 武田信玄の誕生日。金を掘る技術者集団を酷使して戦費を調達していたの?

<<   作成日時 : 2012/12/02 14:44   >>

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★歴史★
問題:大永(だいえい)元年11月3日。西暦では1521年の今日、12月1日。武田信玄は、守護大名武田信虎(のぶとら)の嫡男として生まれたそうです。信玄は出家してからの名前であり、それまでは晴信(はるのぶ)だったらしい。ここではまぎらわしいので信玄と呼びます。
■お父さんの信虎は、いわゆる苛政の人だったらしい。「苛政(かせい)は信虎よりも猛(たけ)し」という言葉があります。失礼、「虎よりも」でしたね。苛政は、税を厳しく取り立て、人民に無理な要求をする政治です。そうした政治の害は虎の害よりもはなはだしい。そんな意味らしい。野山に虎のいない我が国では、ちょっとわかりにくい諺ですけれど。
■向嶽寺(こうがくじ)というお寺の関係者による「塩山向嶽禅庵小年代記(えんざんこうがくぜんあんしょうねんだいき?)」という記録には、「信虎は平生から悪逆無道」と記されているらしい。どうも領民たちに評判があまりよくなかったようです。
■天文(てんぶん)5年(1536年)、信玄は満14歳で初陣を飾ります。少ない手勢で城を落とす功績をあげ、家臣達の注目を集めたらしい。信虎の家臣たちは、ひそかに「早く代替わりしないかな」と思ったのかもしれません。
■天文(てんぶん)10年(1541年)、満20歳ちょっと前ぐらいでしょうか。家臣たちと信玄の策謀により信虎は追放され、息子信玄が当主の座にすわります。以後、30年あまり、戦さと領国経営に明け暮れた人生でした。
■信玄が長く戦さを続けられた理由がいくつかあるそうです。ひとつは、豪族管理のうまさだそうです。信虎の時代には支配の及ばない豪族、言うことをきかない豪族もあったようです。信玄は、豪族たちを手なずけるのが上手だったのかもしれません。信州に領土を広げていく過程で、多くの豪族たちにたくさんの分け前を与えていったそうです。信玄殿は、手柄をたてれば必ず報いてくれる。こうした気持が生まれたのかな。豪族を上手にまとめていったそうです。
■もうひとつは治水事業の成功だそうです。甲府盆地には、南北に流れる釜無川(かまなしがわ)と東西に横切る御勅使川(みだいがわ)がありました。このふたつの川は支流を多くもって甲府盆地を網目のように覆っていたようです。信玄のころには、釜無川と御勅使川の交差が6箇所もあったらしい。
■無秩序に流れている川は、山の雪解け水によって氾濫することがあります。あるいは台風などで豪雨があれば、たちまち氾濫し、家々を押し流し、田畑の作物を台無しにしてしまいました。
■従来は、豪族単位でそれぞれが治水事業を行なっていたそうです。でもそれでは問題が解決しません。信玄は、国を挙げて治水事業に取り組むことを考えます。万民の愁いを救わん。なんとかしなければ、米の収穫も増えません。農民が貧しければ、領主も貧しいまま。わずかな収穫を奪い合えば、父の信虎時代と同様の苛政に陥るだけです。
■信玄は、豪族すべてを巻き込んで、治水事業を始めます。御勅使川から釜無川に流れ込む地点を2つに絞り込みます。人の住まないような荒廃地に御勅使川を導き、釜無川との合流点には自然の岩々を使います。網目のように流れていた川は整理されます。仮に氾濫が起こったとしても、最小限の被害で済むはずです。
■総延長50kmに及ぶ治水事業です。領地の米の取れ高に応じて工事する堤防の長さが割り当てられたそうです。「甲陽日記」という記録によれば、「米10貫(40kg)あたり3間5尺(およそ7m)」の長さの堤防工事だったらしい。堤防は徐々に形をなし、洪水は徐々に減っていきます。領民は信玄に対して厚い信頼をおいたらしい。俗に信玄堤(しんげんづつみ)と呼ばれる一連の堤防群ですね。
■信玄の戦さを支えたもうひとつの力は金だったそうです。信玄が国主となったころ、甲州には約20の金山があったとのこと。
■信玄は鉱山の経営にも力を入れたそうです。では、金を掘り、精錬する技術者集団、いわゆる金山衆(かなやましゅう)と信玄の関係はどんなものだったのでしょうか? 次のなかから近いものを選んでください。
[い]金山衆を武力で威して生産力をあげさせた
[ろ]金山衆は各豪族の支配下にあったので、信玄は手出しできなかった
[は]金山衆を保護するかわりに一種の税をおさめさせた
[に]金山衆は完全に独立した集団だったので、さすがの信玄も扱いには苦戦した
[ほ]金山衆から搾りとり過ぎたので、東北に逃げられてしまった
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]金山衆を保護するかわりに一種の税をおさめさせた
説明:参考資料*1によれば、金山衆は金の採掘・精錬についての技術を持つ独立した集団だったらしい。豪族の支配を受けていなかったようです。信玄は金山衆と契約を結んだようです。彼らの立場を守るかわりに、一定の量の金を得たらしい。
■金山衆は、まずしい暮らしをしていたのでしょうか。現在、彼らの住居跡から出土するものを眺めるとどうもそうではないらしい。たとえば天目茶碗のカケラなどが見つかるそうです。テレビ番組「開運!なんでも鑑定団!」をご覧のかたはご存じのように、天目茶碗は庶民に手が出る代物ではないようです。金山衆がいかに優遇されていたかを示すあかしになっているとのこと。
■金山衆と信玄の関係をあらわすのは、元亀(げんき)2年(1571年)の深沢城攻めだそうです。駿河の今川領内、甲斐に近い位置にある深沢城を信玄が包囲します。信玄はこの城攻めに多くの金山衆を帯同したらしい。金山衆のトンネル掘りの技術を城攻めに使ってみたようです。
■金山衆は坑道を掘り、城内にまで達します。井戸の水を抜いたらしい。籠城の生命線となる水を失わせる戦法ですね。城壁の一部を陥没させたりもしたらしい。そんなこんなで深沢城はわずか半月で陥落したようです。信玄はおおいに褒め称え、金山衆の税の一部を免除するという書状を与えたようです。
◆参考*1:DVD「その時歴史が動いた 武田信玄 地を拓き水を治める」NHKソフトウェア

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
先週、『笑っていいとも』のゲストが、歴史好きのビビル大木さんで、1/100クイズで、「歴史上の人物の子孫の方?何人?」と出したら、2人いて、1人が、武田信玄の直系の子孫でした。

秩父山中には、武田信玄の隠し財宝があるそうです。
探している人がいるみたいです。
ねこのひげ
2012/12/03 05:51
コメントをありがとうございます。
 
 たまたまそのコーナーを観ていました。タモリとビビる大木がアンケートの問題を検討しているとき、お客さんの反応は、かなり冷ややかなものでしたね。「そんなのいるわけないじゃん」。でも実際には2人もいました。

 嘘かホントか、現人類はたった1人の女性、ミトコンドリア・イブを共通祖先とするという説もあります。つまりはみんな兄弟みたいなものなのです。
 ひょっとしたら我が家も英国王室やブルボン王家とつながりがあるはず…はありませんけどね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/12/03 15:02

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