町人思案橋・クイズ集

アクセスカウンタ

zoom RSS 「下郎めが推参でや」と語る名古屋方面出身の武将とはだれ?

<<   作成日時 : 2012/11/22 06:52   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

画像
★日本語★
問題:津本陽(つもと よう)という時代劇の作家がいます。名古屋方面出身のある武将について小説を書いています。ベストセラーになったそうです。
■作品中では、共通語で話していないらしい。「下郎めが推参でや」と、出身地の方言で話させたそうです。では、この推参でやと叫んだ戦国武将とは次の誰でしょうか?
[い]織田信長
[ろ]徳川家康
[は]豊臣秀吉
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★日本語★
正解:[い]織田信長
説明:津本陽氏は和歌山出身だそうです。尾張弁は文献で調べて学んだらしい。織田信長が尾張弁で話すとなかなか面白いようです。ちなみにベストセラーの書名は「下天は夢か」というらしい。
■永禄(えいろく)3年(1560年)、今川義元の大軍を迎え撃った織田信長の発言は、「皆の者、聞いての通りでや。これより田楽狭間を目指すだぎゃ」。田楽狭間は桶狭間の別名なのかな。名古屋の人には悪いけど、なんとなくずっこけてしまいますね。
■明智光秀の軍勢が本能寺に迫ったときの台詞が、「下郎めが推参でや」だそうです。「素っ首(そっくび)刎(は)ねてやらあず」と叫んだらしい。歴史の本などによれば、信長は最期に「是非に及ばず(しょうがねえな)」と言ったとも伝えられます。これは方言ではなんというんでしょうね。いまの名古屋弁では、しょうがないは「しょんない」というようですが。
■一説には明智光秀が重用されたのはその語学力が便利だったからともいわれます。京都の将軍や天皇・貴族達の言葉がわかりますし、もちろん風俗習慣も知っていますし、気質も理解している。そして尾張の言葉も素早く学んで理解したらしい。一種の通訳として信長は使っていたというのですが。
■津本陽氏は、たまたま親類宅にあった尾張弁に関する古い本を参考にして方言を研究したらしい。信長に話させたのは「上町(うわまち)言葉」という方言だそうです。上町はかつての名古屋城下で、武士も多く住んだ地域らしい。
■上町言葉では、「〜してくださいませ」を「〜ちょーだいあすわせ」というらしい。たとえば、子供を認知してくださいませは、「認知してちょーだいあすわせ」というのかな。それに対しては「それだけは勘弁させて貰おかなも」なんて答えるのかな。
◆参考*1:新聞「[新日本語の現場]方言の戦い(77)信長は尾張弁を話した!?(連載)」読売新聞060831東京朝刊37頁
◇Yahoo! J Dictionaries 大辞泉
◇Yahoo! J Dictionaries 大辞林

ぬけられます→日本語雑学クイズ一覧

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
小説を方言で、というのは面白いですね。

『鉄砲無頼伝』でも、津本陽さんは、津田監物ら登場人物に方言をしゃべらせてますね。
根来衆などの鉄砲を担いだ傭兵たちは、紀州ですから、和歌山県出身の津本陽さんとしては得意なところでしょう。
ねこのひげ
2012/11/22 07:53
コメントをありがとうございます。

 徳川家康とか豊臣秀吉には、方言で話すイメージがありませんね。でも実際には方言も使っていたはずです。生まれ故郷の言葉を捨てるはずもない。ドラマなどで標準語を話す彼らに慣らされてしまったのかな。

 西郷隆盛などは、逆に標準語で話すイメージがありません。明治天皇の前などでは、方言を控えたこともあったでしょうけれど。こちらもテレビによる刷り込みなのかな。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/11/22 12:37

コメントする help

ニックネーム
本 文
「下郎めが推参でや」と語る名古屋方面出身の武将とはだれ? 町人思案橋・クイズ集/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる