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zoom RSS 籠城する城内を通してくれと頼み込んだ敵の伝令。結果はどうなったの?

<<   作成日時 : 2012/10/31 07:13   >>

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★歴史★
問題:関ヶ原の戦いの直前の話です。信州上田城には石田三成と姻戚関係にあった真田昌幸(まさゆき)・信繁(のぶしげ)親子が立て籠もり、徳川秀忠の軍勢を迎え撃ちました。昌幸は口絵の人物、信繁は後に幸村(ゆきむら)とも呼ばれる伝説の武将ですね。大坂夏の陣では家康にあと一歩のところまで迫ったといわれます。
■上田城には2000人ほどがいたらしい。秀忠の軍勢は3万8000人といわれます。秀忠の使命は、上田城を短期間で攻め落とし、本番である関ヶ原に駆けつけて戦うことだったようです。
■ところが真田昌幸と信繁の親子は知略では史上最高ともいわれるぐらいの武将です。秀忠はなかなか攻め落とせなかったらしい。やがて家康からは「もうそっちはいいから、こっちにこい!」といわれたようです。でも悪天候もあって関ヶ原の本番には3万8000人の軍勢が間に合わなかったらしい。真田親子は十分にその職責を果たしたようです。
■この戦いの15年ほど前にも、徳川・北条連合軍が上田城を攻めたことがあったらしい。このときも真田昌幸の戦術の前に徳川軍は手痛い敗北を喫しているそうです。北条氏直(うじなお)らと一緒に攻めたのが第一次上田合戦。秀忠が攻めたのが第二次上田合戦と呼ばれるらしい。
■第二次上田合戦のとき、不思議な出来事があったそうです。秀忠の命をうけた伝令が上田城の大手門(正門)にあらわれます。城の番兵に向かってこういったらしい。「私は江戸中納言(秀忠)の家来の島田兵四郎(へいしろう)という者。君命を帯びて、我が先陣の冠が岳まで連絡にいくところです。急ぎますので、どうか城内を通してくだされ」。
■これには番兵も驚きます。現在交戦中の敵陣を通して欲しいというのですから、奇妙な話です。何か策略かもしれない。自分では判断ができないと思った番兵は、昌幸にはかります。真田昌幸は熟考した末にある決断をします。それは次のどれに近い行動でしょうか?
[い]中に入れて捕まえ、秀忠の軍に向けて磔柱にかけてさらした
[ろ]中に入れて捕まえ、命令書を書き換え、容姿の似た者を冠が岳に派遣して届けさせた
[は]中に入れて訊問し、奇妙な行動の意図を問うたが何も答えなかったので大手門から帰した
[に]中に入れて保護し、酒を飲ませてベロベロにし、命令書は奪い、大手門の外にころがしておいた
[ほ]そのまま通した
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]そのまま通した
説明:冠が岳にいたのは先陣の石川玄蕃(げんば)、日根野徳太郎(とくたろう)という者たちだったらしい。秀忠は連絡する必要が生じ、島田兵四郎という者を伝令として出します。兵四郎は地理がよくわかりません。上田城を避けて迂回していたのでは時間がかかりすぎると思ったらしい。で、敵の城の前にあらわれて、通してくれと頼んだらしい。
■真田昌幸は報告を聞いて、「なんと肝っ玉の太い武士だろう。通してやらねばこちらの料簡の狭さになる。門を開けてやれ」といったらしい。兵四郎は図々しい男で、「帰りももういちど来ますので、また通してくだされ」といって去っていったらしい。
■言葉どおり、帰りもあらわれたそうです。真田昌幸はとても感心したらしい。「そなたは城内を通過したので様子を見たであろう。しかし真の守りは城の大将の心の中にあるのだ」といったとか。直々に城の中を詳しく見せたそうです。その後、門を開けて帰してやったというのですが。
■この話は「名将言行録(めいしょうげんこうろく)」という幕末から明治初年にかけて記された本に載っているらしい。残念ながら、歴史家からは俗書扱いされている本だそうです。でも話としては面白いのでご紹介しました。
◆参考*1:HP「真田昌幸 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%B9%B8
◇*2HP「名将言行録 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%B0%86%E8%A8%80%E8%A1%8C%E9%8C%B2

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
真田昌幸も度量の広いところ見せておかないと、後からなにを言われるかわかったものではないというのが、あったんでしょうね〜
ケツの穴の小さい奴とは言われたくなかったかな?

あのころは、けっこうこういう話があったようですね。
籠城していても、坊主は比較的自由に出入りできたし、戦闘で死んだ者は、お互いが引き取って寺で葬儀をあげてやったというし、農民なんかは自由に出入りしたという話もありますね。

籠城といえば『のぼうの城』という映画が11月2日から公開されますよ。
埼玉県行田市にあった忍城に籠城した成田氏500人とと石田三成2万人の攻防戦です。
後から、真田氏も加わってますが、ついに落城しなかったんです。
ねこのひげ
2012/10/31 07:34
コメントをありがとうございます。

 「のぼうの城」というのは面白そうですね。宣伝を見る限りでは、日本人の好む指導者像のひとつは、ああいう人物なのかなと思ってしまいます。

 現実問題としては、でくのぼうの首相はたいへん困りものですけどね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/10/31 10:33

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