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zoom RSS 天台宗僧侶覚猷(かくゆう)の命日。滑稽味を愛した坊さんはどんなものを後世に残してくれたの?

<<   作成日時 : 2012/10/27 08:41   >>

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★歴史★
問題:本日10月27日は、872年前に覚猷という天台宗の僧侶が亡くなった日です。和暦では保延(ほうえん)6年9月15日だったらしい。
■覚猷というお坊さんについてはあまりご存じないと思います。かくゆう素町人もあまり知りません。でもユーモアあふれる人物として知られており、ある作品は21世紀の人々をも魅了するものになっています。
■では覚猷がこの世の中に残してくれたものとは、次のどの分野のものでしょうか?
[い]落首(狂歌)
[ろ]漫画
[は]漫文(日記)
[に]滑稽小説
[ほ]舞踊
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]漫画
説明:覚猷という名前ではあまり知られていません。でも鳥羽僧正という名前だと多くのかたがご存じだと思います。「鳥獣人物戯画」という国宝にも指定されている絵画を残しています。日本最古の漫画とも呼ばれる作品ですね。
■ただし、「鳥獣人物戯画」には鳥羽僧正の筆は入っていないとする説もあるようです*2。「鳥獣人物戯画」以外では、「放屁合戦」、「陽物くらべ」の下ネタも鳥羽僧正の作と伝えられているらしい。
■覚猷は、天喜(てんぎ)元年(1053年)に源隆国(たかくに)の第九子として生まれたとのこと。源隆国は、平安時代後期の公卿です。一時は「今昔物語」の作者に擬せられました。現在では否定説が有力だそうです。また「宇治大納言物語」の作者ともいわれます。こちらはとくに否定はされていないらしい。
■高級貴族にして文学者かもしれない父親をもった覚猷は、幼くして出家したそうです。天台宗を学びながら、絵も上達していったとのこと。長寿の人です。長承(ちょうしょう)元年(1132年)、満79歳前後に僧正になり、その2年後には大僧正に任じられたとのこと。
■保延(ほうえん)4年(1138年)、満85歳前後で天台座主となります。頂点に立ったわけですが、その3日後には辞任しています。鳥羽上皇が住む鳥羽離宮の証金剛院に引っ越し、この離宮の護持僧となったとのこと。これ以降に鳥羽僧正と呼び習わされるようになったらしい。
■余談です。「古事談」という本によれば、崇徳天皇は白河法皇と璋子(鳥羽天皇の愛人)が密通して生まれた子だそうです。鳥羽は崇徳を「叔父子(おじご?)」と呼んで忌み嫌っていたという逸話が記されているらしい。これがホントなら、わがままな白河法皇のおかげで、鳥羽も不幸、後に保元の乱で滅亡する崇徳院も不幸になりました。
■鳥羽僧正こと覚猷が亡くなったのは保延(ほうえん)6年(1140年)、満87歳ぐらいでしょうか。源平の盛衰が烈しく入れ替わる時代の直前だったようです。源義朝(よしとも)は満17歳ぐらい。平清盛は満32歳ぐらいで覚猷の葬儀に参列したのかな。
■覚猷は、いまわのきわに、弟子たちから遺産分与にかんする遺言を求められたそうです。「遺産の処分は腕力で決めるべし」と言い残したと伝えられています。そらっとぼけた坊さんですね。
■絵の弟子が作品を持って来たとき、少し誇張が過ぎるなと文句を言ったことがあるらしい。弟子も負けていません。先生の作品なんて、みんな誇張じゃないですかと言い返したらしい。「……」。鳥羽僧正は何も返せなかったとのこと。
◆参考*1:HP「覚猷 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%9A%E7%8C%B7
◇*2HP「鳥獣人物戯画 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E7%8D%A3%E4%BA%BA%E7%89%A9%E6%88%AF%E7%94%BB


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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
覚猷・・・・・・だれだっけ?でありましたが、・・・
鳥羽僧正の事でありました。
当時の高級貴族の跡継ぎ以外の子供というのは、ほとんど出家させられて坊さんにさせられたようですね。
寺の方もそれによって多額の寄付があるので、おおいに助かったようで・・・・

現在放映中のNHK大河ドラマ『平清盛』でも、白河法王と鳥羽上皇、崇徳院のドロドロも描かれてました。
平清盛も白河法王の子供とか・・・
精力絶倫というや、それ以外やることがなかったんでしょうな〜(*_*)
ねこのひげ
2012/10/28 04:54
コメントをありがとうございます。

 平清盛が武士なのに太政大臣になれたのは白河の血が流れていたからだとよく聞きますね。顔がよく似ていたのかな。

 皇族は血縁があるから当然として、公卿などの高級役人たちも、清盛を通じて血縁のものは多かったとなると、御所に出入りする幹部連中はみんな顔が似ていたりするのかな。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/10/28 09:13
うーん、面白いお坊さんだな。

貴族社会も見た目よりは、結構ドロドロだよね。

出家させられたり。可愛そう。

写真が無いのが、本当に残念だよね〜。

平安貴族どんな顔かなあ。
ブータ
2012/11/25 22:38
コメントをありがとうございます。

 平安貴族たちは、額に汗することもなく、楽に暮らしていたようにも見えます。でも、なかなか激しい競争社会のようですね。
 たとえば地方の国守になるための猟官運動は、「枕草子」にも「すさまじきもの」として特記されているほど、ナマナマしい戦いだったようです。
 当時の除目(じもく、官職の任命)のときの争いは、現代の組閣時における大臣病患者たちの戦いに似ているのかな。なかなか楽ではなさそうです。
(^^;)
ブータ様<素町人
2012/11/25 23:27
「枕草子」に有るんですか…。
いつの時代も楽じゃ無いねぇ…
ブータ
2012/11/25 23:54
コメントをありがとうございます。

 もうじき国政選挙が実施され、政治家とよばれる現代の貴族たちが任命されるかどうかを争いますね。首相経験者でさえ落選を噂される人がいるとか。
 たしかに楽じゃありませんね。
(^^;)
ブータ様<素町人
2012/11/26 07:43

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