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zoom RSS 赤松満祐(まんゆう)の叛逆はいつのことだっけ?

<<   作成日時 : 2012/09/06 08:09   >>

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★日本語★
問題:我が国には昔から落首という社会諷刺の手段があります。落首のなかにはなるほどと思わせる作品が少なくないですね。
■田沼意次(おきつぐ)がワイロをとって汚い政治を行なったとして批判した落首がよく知られています。「田や沼や よごれた御世を 改めて 清くぞすめる 白河の水」。田沼失脚の後に白河藩の松平定信(さだのぶ)が寛政の改革を始めます。世直しへの期待感も含まれた落首ですね。
■ところが、松平定信の政治は窮屈で、江戸の町民はたちまち音をあげることになります。「白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」。水清ければ魚棲まず。極端から極端に走られた江戸町民の困惑がよく出ています。
■本日は歴史の勉強にもなる落首の問題です。「赤松は 伊豆に播磨を 取られじと 御所の頸をば (  )元年」という落首が主題です。この虫喰い部分には年号が入ります。どんな年号が入るでしょうか。下の中から選んでください。
[い]文亀
[ろ]嘉吉
[は]永和
[に]至徳
[ほ]貞治
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★日本語★
正解:[ろ]嘉吉
説明:「赤松は 伊豆に播磨を 取られじと 御所の頸をば 嘉吉(かきつ)元年」。
■赤松は赤松満祐(まんゆう、みつすけ)という人物ですね。室町時代の守護大名だそうです。播磨国(現兵庫県西部)を所領としていました。伊豆は赤松伊豆守貞村(さだむら)という武将です。姓はおなじ赤松氏ですが利害は対立しています。
■御所は建物の名前ではなく、そこに住んでいる人を指すようです。時の6代目将軍足利義教(よしのり)です。4代目義持(よしもち)の弟です。籤(くじ)引きで1/4の確率を引き当て、将軍になったという幸運な人物らしい*4。就任当初は周囲の言うことをおとなしく聞いていましたが、徐々に独裁者と化したようです。ちなみに御所は天皇だけでなく、将軍の住まいもそう呼ぶことがあるようです。そういえば、足利将軍家は花の御所と呼ばれる建物に住んでいたと聞きます。
■で、落首そのものは、嘉吉の変と呼ばれる義教暗殺劇の事情を読み込んだものです。赤松は、伊豆守貞村に播磨の所領をとられそうになったので、義教の首を掻(か)いた。嘉吉と「掻きつ」を掛けた洒落ですね。「掻く」には「刃物を手前に引いて切り取る」という意味があります。嘉吉元年は西暦では1441年にあたるらしい。1330年代から約240年間続いた室町時代のちょうど真ん中あたりの出来事ですね。
■嘉吉の変は、江戸時代の人の心をも動かす出来事だったらしい。近松半二(はんじ)の浄瑠璃「天竺徳兵衛郷鏡(てんじくとくびょうえさとのすがたみ)」や4代目鶴屋南北の歌舞伎「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)」にも、赤松満祐の幽霊が登場するそうです。さらに落語の「蛙茶番(かわずちゃばん)」にも引用されています。
■嘉吉の変の源は、4代将軍足利義持にさかのぼるようです。義持は赤松持貞(もちさだ)を寵愛したらしい。持貞は貞村の父であるという説と叔父という説があります。義持は持貞を備・作2国の守護に任じたとのこと。備は備州であり備前・備中・備後の総称らしい。作は美作(みまさか)であり、ようするに岡山から広島東部ぐらいまでの広い領地を与えたらしい。
■赤松持貞は増長します。播磨の守護をも望んだらしい。義持はこれを許します。赤松満祐は怒り、応永(おうえい)34年(1427年)10月に自ら京都の邸宅に火を放って播磨に帰ります。居城白旗城に立て籠もって幕府に叛旗をひるがえしたそうです。
■余談です。ご存じのとおり、近代以降では白旗は非交戦対象を示す象徴です。とくに降伏の意思表示として知られます。でも昔は源氏の軍旗ですし、赤松氏の城の名前でもあり、決してゲンの悪い名前ではなかったらしい。赤松氏の白旗城は、紅白そろってむしろ縁起がよかったのかな。
■4代将軍義持は管領である細川・山名氏に討伐を命じます。ところが諸将はみな持貞を憎んだらしい。満祐に同情して赦免を願います。末期症状の民主党政権並みに影響力の下がっていた義持は独走するわけにはいかなかったらしい。満祐は赦されて12月に帰洛し、髪を落とし、性具と号したとのこと。
■出家した人にしては震えがきそうな凄い名前ですね。でも「セイグ」ではなく「ショウグ」と読み、仏教用語にちなんでいるようです。辞書によれば、「本覚の性に十界三千の善悪のあり方を具えていること」という意味があるらしい。何のことやら、よくわかりませんけど。
■4代目から譲位された息子、5代目将軍義量(よしかず)は在位2年足らずであっけなく他界し、しばらく4代目義持が出家剃髪のまま将軍職をつとめていましたが、3年ほどで義持もまた他界します。その後、籤引きで4代目の弟、義教が6代目将軍になります。4代目と6代目の父親は金閣寺で名高い3代目義満君らしい。
■義教は持貞の息子(あるいは甥)である貞村を寵愛します。貞村の妹が側室となって男児を儲けたので、寵愛は深かったらしい。ふたたび赤松満祐の播磨の所領を割いて貞村に与えようとします。満祐は怒り狂います。嘉吉(かきつ)元年(1441年)6月24日、京都の自邸に義教を招いて殺し、邸を焼いて播磨の白旗城に立て籠もります。今度はさすがに討伐軍が動き、無念の人赤松満祐は自刃する羽目にいたります。
■くだくだしくご説明申し上げましたが、以上のお話の要点は、落首の31文字に込められています。なかなかよく出来た落首だと感心させられます。
◆参考*1:書籍「落首辞典」初版5頁、鈴木棠三編、東京堂出版
◇*2HP「赤松満祐 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%9D%BE%E6%BA%80%E7%A5%90
◇*3HP「赤松貞村 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%9D%BE%E8%B2%9E%E6%9D%91
◇*4HP「くじ引きで将軍になったのは誰?」
http://blog.q-q.jp/200707/article_71.html
◇*5HP「将軍暗殺劇の主役赤松満祐。何が赤松を犯行に駆り立てたの?」
http://blog.q-q.jp/201102/article_19.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
昔の人は、うまく作るものだと感心しますが、ばれたら打ち首獄門か、貼り付けでしょうからね。

いまは、直線的すぎて、炎上という火あぶりにあっている人がおりますけどな〜
ねこのひげ
2012/09/07 08:02
コメントをありがとうございます。

 上手な落首ができて評判になったとき、ついつい「それは俺がつくったんだ」と自慢したくはならないのでしょうかね。最後まで匿名を貫きとおす自信がない場合は、落首なんか作れなかったのかな。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/09/07 11:55

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