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zoom RSS 石田三成が関ヶ原で命を投げ出したのは何の恩を返すためなの?

<<   作成日時 : 2012/09/27 06:44   >>

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★日本語★
問題:石田三成は例の三献茶(さんけんちゃ)と呼ばれる逸話で秀吉に仕えるようになったと伝えられています。
■秀吉は、近江国伊吹山の観音寺という寺に鷹狩りの帰りに立ち寄ります。のどが渇いていたらしい。寺小姓に茶を飲ませよというと、その寺小姓は茶の温度ぬるめ、やや熱め、熱めの順番で三杯出したらしい。器は大きめ、中ぐらい、小さめの順にしたらしい。のどが渇いているので最初はいちどにたくさん飲みたいであろう。次は少し熱めでゆっくり飲み、最後は熱い茶でしめよう。そんな気のきいたやりかただったとか。これでのちの天下人の小姓として就職が叶ったというお話ですね。
■石田三成はまれにみる美少年だったらしい。面接では見た目も大切な要素です。優れた容姿に優れた立ち居振る舞い、優れた機転。突然の社長面接もかるく突破できたのでしょう。
■江戸時代の庶民は、石田三成についてたくさんの噂話を流しています。本日はそのうちから川柳として固まったお話のクイズです。下の5句の川柳は石田三成について読まれています。虫喰い部分に入る言葉を考えて下さい。参考資料*1の川柳を正解とします。
[い](  )茶で 段々あつい お取り立て  ヒント、平仮名3文字
[ろ]初めは茶 のちには(  )を 奉り(たてまつり)  ヒント、漢字1文字
[は]三成は 肩より(  )で 風を切り  ヒント、漢字1文字
[に](  )の恩 命投げ出す 関ヶ原  ヒント、平仮名2文字
[ほ](  )で 味方負けるを 石田聞き  ヒント、漢字2文字
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★日本語★
正解:各項目を参照してください
説明:[い](  )茶で 段々あつい お取り立て…の虫喰い部分にはぬるいが入る
■これは三献茶の逸話をそのまま川柳にしたようです。ぬるい茶から熱い茶へ。小姓から五奉行へとお取り立てはだんだん熱くなったようです。
□なお、秀吉の死の翌年、慶長(けいちょう)4年(1599年)には武断派の加藤清正(きよまさ)・福島正則(まさのり)・黒田長政(ながまさ)・細川忠興(ただおき)ら7人の大物武将と対立し、大坂の屋敷を襲撃される事件が起きています。伏見城に逃げ込んだらしい。家康の仲裁で和議が成立します。そのとき三成は五奉行からの辞任を承諾しているそうです。
[ろ]初めは茶 のちには(  )を 奉り(たてまつり)…の虫喰い部分にはが入る
■一般には秀吉は女色専門であり、男色には興味がなかったともいわれます。女色のほうはわりと盛んだったらしい。千利休を切腹に追いやったのも、利休の娘を妾として提供せよと言ったら断られたのが原因という説もあるようです。
□織田信長は前田利家を愛し、徳川家康は井伊直政(なおまさ)を愛したといわれます。石田三成は並外れた美少年だったので秀吉もちょっと浮気心がわいたのかもしれません。三成自身も寺小姓あがりですから衆道はよく理解していたのかな。
□なお、「たてまつる」は、「やる」「おくる」の、その対象を敬っていう謙譲語だそうです。上位の人に差し上げる。献上するという意味ですね。
[は]三成は 肩より(  )で 風を切り…の虫喰い部分にはが入る
■これまた衆道のお話です。肩で風を切るという言葉はよく聞きますが、尻で風を切るのは凄いですね。現代に焼き直すと、「カマタレは 肩より尻で 風を切り」となるのかな。
□Wikipediaの石田三成の項には次のように書かれています。「三成が豊臣政権で絶大な権力を握っていたことをあらわす発言が残っている。『江州佐和山の城主・石田治部少輔、太閤公の股肱の臣として、その勢威、比肩の人なし』」。同時代薩摩の武将島津義弘の発言だそうです。石田治部少輔(じぶしょうゆう)とは石田三成のことですね。「股肱(ここう)の臣」は「いちばん頼りになる部下」だそうです。「勢威」は「権勢と威力」だそうです。「比肩」は「肩を並べて比べる」という意味らしい。
[に](  )の恩 命投げ出す 関ヶ原…の虫喰い部分にはけつが入る
■またまた衆道のお話です。秀吉に釜を掘られて出世した石田三成は、宿敵徳川家康の専横を許すことはできず、ついに関ヶ原で雌雄を決するところまできます。
□ご存じのとおり、結果は負け戦。捕まって最後は六条河原で公開処刑されます。首は三条河原にさらされたらしい。生前に親交のあった沢庵和尚らが引き取って京都大徳寺に葬られたとのこと。
□命を投げ出したのもすべては秀吉様の珍宝へのご恩返しというのが江戸の町人の解釈ですね。
[ほ](  )で 味方負けるを 石田聞き…の虫喰い部分には雪隠が入る
■関ヶ原で敗れた石田三成は伊吹山に落ち延びようとしました。小さいころ伊吹山の寺にいたわけですから土地勘があるのかな。途中で野糞を召されたとのこと。紙で拭いて捨てたのを追っ手に見られ、身分の高い人物が通過したことを察知されてしまったようです。当時は排便の処理、肛門の清掃に紙を使うなんていうのは贅沢な話だったらしい。
□この逸話から、石田三成は関ヶ原の戦いのときには下痢だったという想像が生まれたようです。雪隠(せっちん)はトイレですね。やはり三成を揶揄した「甲冑(かっちゅう、よろいかぶと)で 雪隠へゆく 関ヶ原」という川柳もあるらしい。
◆参考*1:書籍「川柳末摘花詳釈(下巻)」初版660〜661頁、岡田甫著、有光書房
◇*2HP「石田三成 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E4%B8%89%E6%88%90

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
今も昔も、日本人はオカマに寛容なようですね。
欧米だとオカマというだけで殺されて離しますけどね〜

『のぼうの城』という映画が11月に公開されますが、これは豊臣秀吉が実務派だった石田三成に、戦で手柄を立てさせてやろうと2万人の兵をあたえて2千人が立てこもる埼玉県行田市にあった忍城を攻めさせた話ですが、忍城は落ちなかったんですね。
よほど、戦争がヘタだったようですね。
ねこのひげ
2012/09/27 07:08
コメントをありがとうございます。

 「のぼうの城」における三成の武運・武才のなさは面白いですね。
 徳川家康もよく戦には負けていて、昔の子供は、「むか〜し、徳川さん、負けるが勝ちよ」という囃し言葉を言ったと落語の枕では言われます。
 あまり戦さが上手ではない者がそれぞれリーダーとなって天下分け目の戦いに臨んだのかな。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/09/27 08:18

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