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zoom RSS 江戸時代の遠国奉行。首座と呼ばれ、なりたい奉行のナンバーワンだったのは京都町奉行なの?

<<   作成日時 : 2012/09/26 07:10   >>

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★歴史★
問題:江戸時代には各藩の領地の他に天領と呼ばれる幕府の直轄地があったそうです。元禄時代ごろには400万石ほどの収入分があったらしい。天領には代官と呼ばれる役人や遠国奉行(おんごくぶぎょう)と呼ばれる役人が派遣され、税の取り立てなどを管理していたようです。
■では遠国奉行の中で、江戸幕府に勤めるキャリアたちにいちばん人気だった…つまり「なりたい奉行ランキング10年連続トップで殿堂入り」だったのは次のどの奉行でしょうか?
[い]京都町奉行
[ろ]長崎奉行
[は]大坂町奉行
[に]日光奉行
[ほ]神奈川奉行
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]長崎奉行
説明:幕末の時点では、遠国奉行は次の16箇所のものがあったらしい。
---京都町奉行/大坂町奉行/駿府町奉行/長崎奉行/伏見奉行/山田奉行/日光奉行/奈良奉行/堺奉行/佐渡奉行/浦賀奉行/下田奉行/新潟奉行/箱館奉行/神奈川奉行/兵庫奉行
■もともと京都町奉行はなかったらしい。所司代が裁判なども行なっていたようです。経済が発展し、人口が増えると仕事が忙しくなります。京都所司代や京都郡代といった役職の他に京都の町奉行を設けたのは寛文(かんぶん)9年(1669年)だそうです。
■大坂の町奉行は江戸と同様に東西2箇所に設けられ、月番制で交替で裁判などを行なったそうです。ただし、はじめのうちは郡代と呼ばれており、町奉行という名前ではなかったようです。
■元禄時代以降、これらの遠国奉行の中でも首座とされたのが長崎奉行だそうです。天領長崎の行政・治安維持を任務としてます。それとは別に外国との貿易を管理するのが任務らしい。17世紀の間は、西国大名の監視、キリシタンの取締なども重要な役目だったとのこと。
■長崎奉行のポストは、江戸時代を通じて武士たちの垂涎の的だった役職だったそうです。役職手当が本給の約十倍もあったと参考資料*5には記されています。当然のごとく内外の商人が贈り物を届けます。また輸入品は格安で手に入れることができたらしい。これを売り払えばまたまた大きなお金になったようです。
■「長崎奉行を務めると一生食えるだけの財産ができる」といわれたそうです。商人だけがワイロを贈ったわけではないらしい。長崎奉行の職責の一つに、「長崎防衛」の役目があったとのこと。いったん事が起これば、近隣の筑前福岡藩や佐賀藩などを指揮する権限があったそうです。
■長崎奉行が交代するときには、これらの大名家は贈り物を持ってきて、その覚えをめでたくしようとしたとのこと。長崎奉行にヘソを曲げられると困るわけですね。幕府におかしな報告をされると、最悪の場合には改易の恐れもあるかもしれません。そうでなくても、土木工事などの「お手伝い」を命じられて余計な出費をさせられることも考えられます。そのぐらいなら、長崎奉行に物やお金を贈っておけば、話は丸くおさまるわけですね。
■なお、Wikipediaの長崎奉行の項によれば、長崎奉行就任のために使われた運動費、つまり猟官のために使われたワイロの相場は3000両だったとのこと。億単位ということでしょうか。それでも元がとれるのですから、長崎奉行は有り難い役職なのですね。
■余談です。以前にもご紹介しましたが、遠山金四郎景元、いわゆる遠山の金さんのお父さんは500石取りでした。遠山金四郎が結婚した相手の家は4200石取りだったそうです。本来ならば釣り合わない家柄です。ところが遠山金四郎景元のお父さんは昌平坂学問所の学問吟味試験を最優秀でパスしたともいわれます。遠山家の将来性に賭けた婚姻にも見えます*6。さらにお父さんは長崎奉行を勤めていたことがあるらしい。こちらの要素に惹かれたのだとすれば、単にお金持ちとの婚姻ということになるのかな。
◆参考*1:HP「遠国奉行 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E5%9B%BD%E5%A5%89%E8%A1%8C
◇*2HP「長崎奉行 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%A5%89%E8%A1%8C
◇*3HP「京都町奉行 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E7%94%BA%E5%A5%89%E8%A1%8C
◇*4HP「天領 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%A0%98
◇*5書籍「江戸のワイロ」初版179〜180頁、童門冬二(どうもん ふゆじ)著、ISBN4- 89036-887-6、文藝春秋
◇*6HP「遠山の金さんの好物はトルティーヤだったの? それともコーヒーだったの?」
http://blog.q-q.jp/201208/article_10.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
あの時代、ワイロを貰うのは当たり前だったようですね。身入りのいい役職に就けてもらうため、老中などの重役の門前には行列が出来たとか、貰う方も貰ったのを忘れたために恨みを買っての刃傷沙汰もあったようで・・・・
田沼意次なんかなんでわしだけがワイロを貰っていると責められるのかと悩んだようですね。
遠山の金さんのお父さんはワイロを貰っても評判は良かったようで、遠山の金さんの逸話のいくつかはお父さんの話だそうですね。
人徳の違いですかね・・・・(~_~;)
ねこのひげ
2012/09/26 07:38
コメントをありがとうございます。

 現在の公務員や政治家は、賄賂を受け取ることが一応は禁止されているようですね。
 江戸時代の中央政府では明文化された法で規制されていたわけではないのかな。
 まあ前例どおりに授受するのは、むしろ仕事を円滑に進める行為だったのかもしれません。「やり過ぎ/とり過ぎ」という事例はあったでしょうけれど。

 五代将軍綱吉の側用人柳沢吉保は、派手に賄賂を受け取っていたけれど、貰った相手の要求を律儀にのんでいったので、影響力を失った辞職後も隠居生活を楽しみ、綱吉ゆかりの六義園の造営・改修などを行なえた。
 田沼意次と息子さん意知(おきとも)は、賄賂をくれた人に対する「恩返し」をときどき忘れたたために、恨みを買った。息子さんは斬られちゃったし、意次は失脚後に何もかも失った。…そんな話を聞いたことがあります。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/09/26 08:21

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