日本の男性が初めて欧米の女性と結婚したのはどこの国の人となの?

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★歴史★
問題:幕末から明治にかけては日本の女性が外国人と結ばれる事例がいくつかありました。たとえばシーボルトの現地妻は楠本瀧(たき、滝)という女性であり、ふたりのあいだには女性産婦人科医オランダおいねが生まれているそうです。シーボルト先生は瀧が雇った女中にも手をつけたといわれます。ホントでしょうかね。なかなかやるな。
■おいねの異母弟であるハインリッヒ・フォン・シーボルトもまた外交官として来日し、日本橋の商家の娘岩本はなと結婚し、2男1女を儲けたとのこと。
■明治6年(1873年)3月8日、明治新政府は日本人と外国人との結婚を許すというお達しを出したらしい。
---一、日本人外国人との婚嫁せんとするものは政府の允許(インキョ、許可)を受くべし。
---一、外国人に嫁したる日本の女は日本人たるの分限を失うべし。もし、ゆえあって再び日本人たるの分限に復せんことを願うものは免許を得あたうべし。
---日本人に嫁したる外国の女は日本の国法にしたがい日本人たるの分限をうるべし。
■お達しはもっとあるようですが、省略します。このお達しに従い、日本人女性が正式に外国人の妻に迎えられる事例が少しずつでてきたらしい。でも逆に日本人の男性に嫁ぐ外人女性というのは、なかなかいなかったようです。早い話が日本にやってくるのは男が多かったわけですね。
■外国人女性との結婚第1号といわれるのは、明治7年(1874年)になって登場します。築地の教会で式を挙げたそうです。では、この勇気ある女性の出身国は次のどこでしょうか?
[い]アメリカ
[ろ]イギリス
[は]フランス
[に]ドイツ
[ほ]イタリア
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]ドイツ
説明:日本人男性最初の国際結婚は、森鴎外の小説「舞姫」にちょっとだけ似た話のようです。ドイツに留学していた宮崎県の士族三浦十郎という人物が主人公です。現地で学問に励むついでに恋愛の道にも励んだらしい。クレーセンツ・ゲルストマイエルという長い名前のドイツ人女性と深い仲になったとのこと。
■当時のドイツはドイツ帝国という新興国家だったそうです。1866年(慶応(けいおう)2年)の普墺戦争でオーストリアの影響下から脱し、プロイセンを中心とした北ドイツ連邦が誕生したらしい。さらに1870年(明治3年)~1871年の普仏戦争で勝利し、南ドイツも含めたドイツ帝国が誕生したようです。プロイセン王だった人物はドイツ皇帝ヴィルヘルム1世として即位したとのこと。宰相は有名なビスマルクですね。
■三浦十郎は弘化(こうか)3年11月24日(西暦1847年1月10日日曜日仏滅)に日向佐土原(さどわら)藩士の息子として生まれたそうです。日付が残されているところをみると、底辺の人ではないのかな。文久(ぶんきゅう)3年(1863年)に藩校学習館の塾頭となっています。明治3年(1870年)に藩命でフランスへ留学、翌年ドイツに転じてウイルヘルム大学などで学んだとのこと。長い名前の女性との色恋沙汰はこのときのお話ですね。なお、ウイルヘルム大学はノルトライン=ヴェストファーレン州にあるとのこと。現在ではフランスとの国境線を含み、デュッセルドルフなどの町がある地域だそうです。香川選手が在住したドルトムントもこの州の町らしい。
■閑話休題。三浦十郎氏は、帰国にあたり、いったんは別れて来たそうです。ところがクレーセンツ・ゲルストマイエル嬢は、日本まで遠路はるばる押しかけてきたんだとか。この情熱は何でしょうか。妊娠かな。事情は不明ですが、ともあれ年貢の納め時と感じた三浦十郎氏は彼女を受け入れる決心をしたそうです。
■そこで明治7年(1874年)1月27日火曜日先負に築地の教会において米国人牧師ダビッド・トムスンの手によりめでたく結婚式をあげたとのこと。当時の新聞は彼女の「貞操」をほめたたえ「ドイツでも相当の階級の女性で、五カ国語に通じ、裁縫もうまい」と紹介しているそうです。
■三浦十郎氏は陸軍省から大蔵省紙幣寮につとめ、調査局長をへて明治19年(1886年)に印刷局技師となったらしい。大正3年(1914年)8月に満67歳で亡くなっています。クレーセンツ・ゲルストマイエルさんと最後まで添い遂げたのかどうかについてはわかりませんでした。
■三浦十郎氏が他界した年の7月28日に第一次世界大戦が始まっています。日本も8月23日には参戦しています。旦那とカミサンの出身国は敵同士となるようです。その前後でしょうか。2人は愛国心をむきだしにして夫婦喧嘩を始め、ついに激昂したカミサンは旦那を突き飛ばします。柱の角に後頭部を打ちつけた三浦十郎氏はあえなく絶命します。醜聞をおそれた家族はかかりつけの医者に多額の現金を渡し、死因を脳梗塞として処理してもらいます。後日、この秘密は医者の助手の知るところとなり、医者と三浦家はともに脅迫されてしまいます…なんてね。あくまでも憶測です。2時間ドラマの観すぎかな。
◆参考*1:書籍 「幕末明治風俗逸話事典」初版469~470頁、紀田順一郎(きだ じゅんいちろう)著、ISBN4 -490-10338-7、東京堂出版
◇*2HP「三浦十郎 とは - コトバンク」
http://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%8D%81%E9%83%8E

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この記事へのコメント

ねこのひげ
2012年08月04日 07:23
唐人お吉があると思ったけど、あれはハリスの愛人でありましたね。
しかし、wikipedeiaに載っている写真を見ると、現代でも通じるような美人さんでありますよ。

下田にある葬られた寺に行ったことがありますが、観光地になっておりましたよ。
ねこのひげ様<素町人
2012年08月04日 08:03
コメントをありがとうございます。

 たしかに唐人お吉はなかなかの美人さんですよね。
 それより前の美人は写真術がなかったので現代には伝わりにくいのが残念です。小野小町の写真とかクレオパトラの写真があると面白いのですが。
(^^;)
sadakun_d
2012年08月06日 22:37
ちょっと付け加えようかな(笑)

唐人お吉は愛知県知多半島の船大工の娘。二歳まで知多半島育ちということで「知多半島お吉トライアスロン大会」が開催。苦難の象徴ということかねぇ
sadakun_d
2012年08月06日 22:43
同じ知多半島の美浜に「音吉・亀吉」の名とヘボン式ローマ字の記念碑

江戸末期、この美浜の漁船は難破をして太平洋を漂流→それが音吉たち(漁師は若者だったため苦難でも生き延びた)

その音吉は"鎖国の壁"により帰国叶わず英国女性と国際結婚をし"混血児"をつくる

明治政府となって帰国を許されたのは混血の息子。顔つきの違うことで異様な眼でみられたとか
sadakun_d様<素町人
2012年08月07日 06:33
コメントをありがとうございます。

 なるほど。音吉さんという人がいたわけですね。
 Wikipediaの音吉さんの項によれば、上海で英国人の女性と結ばれたようですね。時期としては江戸時代の末期ですから、三浦十郎氏よりも早かったと思われます。

 三浦十郎氏は「近代的な法律のもとで初めて欧米人と結婚した日本人男性」ということになるのかな。
(^^;)
sadakun_d
2012年08月12日 22:11
三浦綾子「海嶺」に音吉は詳しくありますね。またロンドンの博物館に"早く日本へ帰りたい"音吉の書物ある

結局は徳川幕府の鎖国日本。帰国の夢は叶わず…

泣けるなあ~
sadakun_d
2012年08月12日 22:12
三浦綾子「海嶺」に音吉は詳しくありますね。またロンドンの博物館に"早く日本へ帰りたい"音吉の書物ある

結局は徳川幕府の鎖国日本。帰国の夢は叶わず…

泣けるなあ~

江戸末期の知多半島出身。係累や親戚がいたような
sadakun_d
2012年08月12日 22:19
外交官ハリスとの関係が"唐人お吉"。まあ噂の域ですが

同じぐ外交官ハリスは"日米修好通商条約"を「外国奉行(今の外務大臣)」と締結。

外国奉行は岩瀬忠震(ただなり)。岩瀬は愛知県新城市出身(我が故郷)

つまりハリスは日中は岩瀬(愛知県新城)。夜はお吉(知多半島)にお世話

ペリーの4代か5代の子孫が来日。ハリスの子孫も…

うーんハリスは独身だったなあ
sadakun_d様<素町人
2012年08月13日 00:55
コメントをありがとうございます。

m(_ _)m

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