「モナ・リザ」が盗まれた日。容疑者として捕まったのはパブロ・ピカソなの?
●●●●●★歴史★●
問題:1911年(明治44年)の今日、8月22日。レオナルド・ダ・ヴィンチの作品「モナ・リザ」がパリのルーブル美術館から持ち去られました。
■ダ・ヴィンチは、1503年(文亀(ぶんき)3年)から「モナ・リザ」を描き始めたらしい。描き終えたのはのは1506年(永正(えいしょう)3年)です。満67歳で生涯を終える万能の芸術家が満51歳のころに描き始め、54歳ぐらいで描き終えたようです。77cm×53cmぐらいの絵です。人によっては1日で描いてしまうかもしれません。よほど何度も描き直したのかな。
■1510年(永正(えいしょう)7年)に、フランソワ1世というフランスの王様によって4000エキュで買い上げられたとのこと。エキュは通貨の単位らしいのですが、金貨あるいは銀貨の通称でもあったそうです。16世紀初頭における1エキュにどの程度の価値があったのか。わかりませんでした。価格の高低はともかく、フランス人が正当な商取引の結果、手に入れた商品だったようです。
■事件のあった1910年(明治43年)ごろ、絵画や彫刻を傷つける犯罪が相次いでいたそうです。「モナ・リザ」も保護ガラスにいれて守ることになったらしい。その1年後の暑い夏。看板作品は美術館から忽然と姿を消しました。
■本日は約1世紀前に起きた「モナ・リザ」の盗難事件についての雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか? (正しい記述は無いかもしれないし複数かもしれません)
[い]「モナ・リザ」盗難の容疑者として捕まったのはパブロ・ピカソである
[ろ]実際の犯人はルーブル美術館の学芸員だった
[は]2年後に作品が取り戻されるまでにある詐欺師は富豪たちに贋作を売りつけ続けた
[に]「モナ・リザ」は厚みのあるキャンバスの上に描かれている
[ほ]「モナ・リザ」は、日本でも展示されたことがある
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)
●●●●●★歴史★●
正解:[い]と[は]、[ほ]が正しい
説明:[い]「モナ・リザ」盗難の容疑者として捕まったのはパブロ・ピカソである(○)
■満29歳のピカソが捕まったのは事実のようです。まず超現実主義の詩人ギョーム・アポリネールという満30歳の人物が逮捕され、友人のピカソも捕まりました。でも容疑不十分で1週間後には釈放されたらしい。
□ギョーム・アポリネールはイタリア出身のポーランド人だそうです。シュールレアリズム(超現実主義)という言葉は、彼の作品から生まれたらしい。気の毒なことに1918年(大正7年)にスペイン風邪で亡くなってしまったとのこと。ピカソのほうは1973年(昭和48年)まで天寿をまっとうし、満91.5歳で他界しています。
[ろ]実際の犯人はルーブル美術館の学芸員だった(×)
■正しくは、「保護ガラスをとりつけた職人だった」だそうです。ヴィンチェンツォ・ペルッジャというイタリア人だったようです。「ナポレオン時代にフランスにとられたイタリアの文化遺産を取り戻す目的で盗った」と語っていたとか。でもこれは誤りですね。作者であるダ・ヴィンチ君は、16世紀初期にフランスの王様から作品の対価4000エキュを受け取っています。ナポレオン時代でもなければ奪われたわけでもない。通用しにくい言い訳だったようです。
□1913年(大正2年)の12月12日。作品はフィレンツェの画商の手に渡る直前に発見されたようです。
[は]2年後に作品が取り戻されるまでにある詐欺師は富豪たちに贋作を売りつけ続けた(○)
■盗難の2年3か月後に作品は発見され、ルーブル美術館に本物がもどりました。それまでは本物がどこにあるのかわからないわけですね。
□本物が消えてしまったあとで、詐欺師が暗躍したそうです。贋作をたくさん作らせ、アメリカの富豪などに売りつけた男がいたらしい。実はこの詐欺師がガラス職人を雇って盗ませたんだそうです。「モナ・リザ」の行方不明状態を作り出し、馬鹿な金持ちたちをだまくらかしてやろう。そう計画していたらしい。
□金持ちたちは、もちろん盗難の事実を知っています。それが自分の手に入る。盗品故買ではありますが、歴史的な作品が自分の手に入るならそんなことはかまってはおれない。いくらでも出そう。そんな気分だったのかな。道徳心の低い金持ちたちを騙した痛快な詐欺師の名前は、エドゥアルド・デ・"マルケス"・バルフィエルノというらしい。
[に]「モナ・リザ」は厚みのあるキャンバスの上に描かれている(×)
■正しくは、「ポプラ材の木の上に描かれている」だそうです。昔の作品では、板の上に描かれている「板絵」はそんなに珍しいことではないらしい。16世紀の半ばにキャンバスが普及しはじめます。それ以降は徐々に板絵も減ってくるようです。
[ほ]「モナ・リザ」は、日本でも展示されたことがある(○)
■「モナ・リザ」は、1974年(昭和49年)に日本の東京国立博物館で展示されたとのこと。1962年(昭和37年)にはアメリカに貸し出されてワシントンD.C.やニューヨークで展示されたそうです。
◆参考*1:HP「モナ・リザ - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B6
ぬけられます→歴史雑学クイズ一覧
問題:1911年(明治44年)の今日、8月22日。レオナルド・ダ・ヴィンチの作品「モナ・リザ」がパリのルーブル美術館から持ち去られました。
■ダ・ヴィンチは、1503年(文亀(ぶんき)3年)から「モナ・リザ」を描き始めたらしい。描き終えたのはのは1506年(永正(えいしょう)3年)です。満67歳で生涯を終える万能の芸術家が満51歳のころに描き始め、54歳ぐらいで描き終えたようです。77cm×53cmぐらいの絵です。人によっては1日で描いてしまうかもしれません。よほど何度も描き直したのかな。
■1510年(永正(えいしょう)7年)に、フランソワ1世というフランスの王様によって4000エキュで買い上げられたとのこと。エキュは通貨の単位らしいのですが、金貨あるいは銀貨の通称でもあったそうです。16世紀初頭における1エキュにどの程度の価値があったのか。わかりませんでした。価格の高低はともかく、フランス人が正当な商取引の結果、手に入れた商品だったようです。
■事件のあった1910年(明治43年)ごろ、絵画や彫刻を傷つける犯罪が相次いでいたそうです。「モナ・リザ」も保護ガラスにいれて守ることになったらしい。その1年後の暑い夏。看板作品は美術館から忽然と姿を消しました。
■本日は約1世紀前に起きた「モナ・リザ」の盗難事件についての雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか? (正しい記述は無いかもしれないし複数かもしれません)
[い]「モナ・リザ」盗難の容疑者として捕まったのはパブロ・ピカソである
[ろ]実際の犯人はルーブル美術館の学芸員だった
[は]2年後に作品が取り戻されるまでにある詐欺師は富豪たちに贋作を売りつけ続けた
[に]「モナ・リザ」は厚みのあるキャンバスの上に描かれている
[ほ]「モナ・リザ」は、日本でも展示されたことがある
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)
●●●●●★歴史★●
正解:[い]と[は]、[ほ]が正しい
説明:[い]「モナ・リザ」盗難の容疑者として捕まったのはパブロ・ピカソである(○)
■満29歳のピカソが捕まったのは事実のようです。まず超現実主義の詩人ギョーム・アポリネールという満30歳の人物が逮捕され、友人のピカソも捕まりました。でも容疑不十分で1週間後には釈放されたらしい。
□ギョーム・アポリネールはイタリア出身のポーランド人だそうです。シュールレアリズム(超現実主義)という言葉は、彼の作品から生まれたらしい。気の毒なことに1918年(大正7年)にスペイン風邪で亡くなってしまったとのこと。ピカソのほうは1973年(昭和48年)まで天寿をまっとうし、満91.5歳で他界しています。
[ろ]実際の犯人はルーブル美術館の学芸員だった(×)
■正しくは、「保護ガラスをとりつけた職人だった」だそうです。ヴィンチェンツォ・ペルッジャというイタリア人だったようです。「ナポレオン時代にフランスにとられたイタリアの文化遺産を取り戻す目的で盗った」と語っていたとか。でもこれは誤りですね。作者であるダ・ヴィンチ君は、16世紀初期にフランスの王様から作品の対価4000エキュを受け取っています。ナポレオン時代でもなければ奪われたわけでもない。通用しにくい言い訳だったようです。
□1913年(大正2年)の12月12日。作品はフィレンツェの画商の手に渡る直前に発見されたようです。
[は]2年後に作品が取り戻されるまでにある詐欺師は富豪たちに贋作を売りつけ続けた(○)
■盗難の2年3か月後に作品は発見され、ルーブル美術館に本物がもどりました。それまでは本物がどこにあるのかわからないわけですね。
□本物が消えてしまったあとで、詐欺師が暗躍したそうです。贋作をたくさん作らせ、アメリカの富豪などに売りつけた男がいたらしい。実はこの詐欺師がガラス職人を雇って盗ませたんだそうです。「モナ・リザ」の行方不明状態を作り出し、馬鹿な金持ちたちをだまくらかしてやろう。そう計画していたらしい。
□金持ちたちは、もちろん盗難の事実を知っています。それが自分の手に入る。盗品故買ではありますが、歴史的な作品が自分の手に入るならそんなことはかまってはおれない。いくらでも出そう。そんな気分だったのかな。道徳心の低い金持ちたちを騙した痛快な詐欺師の名前は、エドゥアルド・デ・"マルケス"・バルフィエルノというらしい。
[に]「モナ・リザ」は厚みのあるキャンバスの上に描かれている(×)
■正しくは、「ポプラ材の木の上に描かれている」だそうです。昔の作品では、板の上に描かれている「板絵」はそんなに珍しいことではないらしい。16世紀の半ばにキャンバスが普及しはじめます。それ以降は徐々に板絵も減ってくるようです。
[ほ]「モナ・リザ」は、日本でも展示されたことがある(○)
■「モナ・リザ」は、1974年(昭和49年)に日本の東京国立博物館で展示されたとのこと。1962年(昭和37年)にはアメリカに貸し出されてワシントンD.C.やニューヨークで展示されたそうです。
◆参考*1:HP「モナ・リザ - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B6
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この記事へのコメント
偽物を返して、本物は収集家が秘蔵しているとか?
こっちが本物ではないか?と言われているのが、世界に7枚あり、いまだに論争の種になっているそうですが・・・・
とりあえずは、ルーブルにあるから本物ということになっているそうで(~_~;)
ルーブルに返された作品も偽物かも…というのは面白いですね。
500年前の板や画材なら残されているかもしれません。偽物づくりの名人の手にかかれば、「炭素同位体による年代測定」などでもみやぶれない贋作ができるのかも。
(^^;)
いまだに白状していない作品もあるのでは?と疑われているようです。
もしかして、ルーブルのモナリザも・・・・
もし、専門家が鑑定しても真贋不明な作品があるとなると、「ホンモノ、ニセモノってなんなのさ」という哲学の領域に踏み込んだ話になりますね。
いつだったか、明治のスーパーカップとハーゲンダッツのバニラ味アイスクリームを目隠しして食べ比べてみたら、違いはわかりませんでした。
その程度の感覚の人間にとっては、真の芸術家が描いた絵であろうと、贋作者が描いた絵であろうと、どっちでもいいな…と思ってしまいます。
(^^;)
さて、ルーブル美術館って「モナリザ」を約80枚ぐらい所蔵していることはご存知?
レオナルドが描いた本物「モナリザ」はただちに"模写"されるほどの人気。当時の腕利き画家が競い"贋作"を描きます
実はレオナルドダ・ヴィンチ。絵がうまいのかどうか。
ルーブルの約80のモナリザで一番できのよいのが飾ってあるという説
盗難モナリザは有名だが、対戦中に(画家になりたかった)ヒトラーも個人所有した時期(という噂)。背景を切ってしまったのではないか。
絵の才能がないヒトラー。ダ・ヴィンチに嫉妬したかな
有名な絵だけに、無数の噂が発生しているわけですね。多くの噂の存在がモナリザの価値をさらにあげているのかもしれませんね。
(^^;)
でさらに一枚"大富豪"がプライベートでモナリザを所有。これが本物であったらルーブルは困るので買い取りを考えている…とか。
80枚は最近のニュースから知る枚数
大リーグの松井秀喜。かつてルーブル美術館のモナリザの前で"秘密のデート"(売れないタレントと手を繋いでいた)
日本人はいないさっ!と、肩に手を回してデートしたら…後ろから日本からの団体客がわんさかモナリザに来てしまい
「あらっー松井じゃんか!まっ(女性同伴)」
週刊誌で読んだなあ
Wikipediaによれば、松井は高校時代の成績も悪くないらしい。いわゆる野球馬鹿ではないとのこと。取材の受け答えなどを見ていると、十分に常識もありそうです。
常識ある普通の日本人なら、「モナリザの周辺には日本人の人目はない」という判断はしないはず。
このネタは、週刊誌記者の「つくり」である可能性が高いかもしれませんね。
(^^;)
「モナリザ」の展示場は日本の企業が寄付金出して安全性向上。「Alsok」の吉田沙保里が目から光線出しております
ルーブル美術館の人気は「ミロのビーナス」もある
m(_ _)m
ダ・ヴィンチブームになりますかね