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zoom RSS 「本郷も かねやすまでは 江戸の内」といわれたかねやす。どんな商売だったの?

<<   作成日時 : 2012/07/18 06:28   >>

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★歴史★
問題:「本郷も かねやすまでは 江戸の内」という川柳みたいな決まり文句があります。ある時期、江戸市中のいちばん外側は、かねやすという店があったあたりまでらしい。ではこのかねやすという店は何を売る商売だったのでしょうか?
[い]酒
[ろ]米
[は]炭
[に]歯磨粉
[ほ]質屋
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]歯磨粉
説明:以前弊クイズでもご紹介した「医心方(いしんぽう/いしんぼう)」という医学書があります。丹波康頼(やすより)という平安時代のお医者さんが東アジアの医書を寄せ集めて編集したものらしい。房中術なども記されていたとのこと*4。房とは閨房のことです。永観(えいかん)2年(984年)には完成していたらしく、朝廷に献上されているそうです。
■丹波康頼の末裔に兼康家があるそうです。兼康家の5代目は兼康祐元(ゆうげん)という人物です。江戸初期に口中医、つまり歯科医師として活躍したらしい。兼康家は江戸芝の柴井町と源助町に薬種・歯薬・香具を商う店を持っていたそうです。歯医者さんが兼康で、失礼、兼業でドラッグストアを営業していたのかな。元和(げんな)3年(1617年)に兼康祐元医師は本郷に3番目の店を開いたらしい。
■祐元氏は「乳香散(にゅうこうさん)」という歯磨き粉を開発したらしい*3。元禄時代、別の説では享保時代に別家の兼康祐悦(ゆうえつ)が本郷店で販売すると、流行品となったとのこと。「かねやす」というだけで歯磨粉を意味したそうです。固有名詞が広く人口に膾炙(かいしゃ)して一般名詞化してしまった例ですね。
■享保(きょうほう)15年(1730年)に消防制度の改革があったそうです*5。当時の町奉行大岡越前守は本郷三丁目から江戸城にかけての家は、塗屋(外壁を土や漆喰で塗り、柱を塗り込む)・土蔵造りを奨励します。耐火建築補助金制度はなかったのかな。
■屋根は茅葺きを禁じ、瓦で葺くことを許したとのこと。江戸の町並みは本郷まで瓦葺が続き、それから先の中仙道は板や茅葺の家が続いたそうです。その境目の大きな土蔵のある「かねやす」は目だちます。「本郷も かねやすまでは 江戸の内」の句は、その表現だったようです。その後、江戸は拡張を続けています。たとえば文化(ぶんか)15年/文政(ぶんせい)元年(1818年)に幕府が決めた市街地の朱引き(しゅびき、境界線設定)では、西方向でいえば現在の渋谷区代々木、かつての代々木村とか、新宿区角筈(つのはず)村あたりまでが江戸市中とされたらしい*6。山手線の外側に少しはみだしているようです。
■余談です。芝の店と本郷の店ではのちに本家・元祖を争う訴訟沙汰が起きたとのこと。裁いたのは大岡忠相(ただすけ、越前守)だったらしい。芝は「兼康」、本郷は「かねやす」と表記を変えることで決着したようです。例の決まり文句で「かねやすまでは」と平仮名で表記されているのはそんな事情があるらしい。
■現在でも本郷三丁目の角には「かねやす」があるそうです。7階建てのビルにはなっています。通りに面したところに、例の決まり文句が金属製の句碑になって掲げられているようです*1。
■なお、乳香散の開発者名や兼康祐悦の活動時期など、各参考資料によってさまざまな記述が見られます。上に記したものが正しいのかどうか、簡単には確認できません。ひとつの説としてご理解ください。かねやすが歯磨粉を売っていたという点では、どの資料も一致しているのですが。
◆参考*1:HP「本郷三丁目交差点」
http://homepage2.nifty.com/tokyo-walk/a050168.htm
◇*2HP「かねやす - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%AD%E3%82%84%E3%81%99
◇*3HP「兼康祐元 とは - コトバンク」
http://kotobank.jp/word/%E5%85%BC%E5%BA%B7%E7%A5%90%E5%85%83
◇*4HP「【★15禁★】日本現存最古の医学書「医心方」に書かれた房中術とは?」
http://blog.q-q.jp/200703/article_47.html
◇*5HP「江戸の火事 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%81%AE%E7%81%AB%E4%BA%8B
◇*6書籍「江戸の町(下)」初版78〜79頁、内藤昌(あきら)著、草思社

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
本郷三丁目のかねやすの前は、何度か通ったことがありますが、この語句の載った句碑には気が付きませんでした。
こんど通る時には気を付けて観ます。

しかし、江戸時代の江戸というのは、ずいぶん小さかったんですな〜
なんとなく今と同じイメージを思ってしまいますが・・・
渋谷村が、いまや世界有数の繁華街ですからね〜
ねこのひげ
2012/07/19 05:04
コメントをありがとうございます。

 江戸時代は、人口が世界一とはいえ、100万人余りしかいなかったといわれますよね。
 現在でも東京から京都に行くと、その小ささにちょっと驚きます。いまの東京の人が江戸に行けたら、おなじような驚きを味わうのでしょうね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/07/20 09:37

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