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zoom RSS 慶安御触書の発布された日。農民が禁じられたのは飲酒・喫茶・喫煙のうちどれ?

<<   作成日時 : 2012/04/07 07:38   >>

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★歴史★
問題:慶安(けいあん)2年の2月26日。西暦でいえば1649年の今日、4月7日。慶安御触書と呼ばれる江戸幕府の法律が発布されたそうです。内容は、農民統制のための規則集らしい。
■弊クイズでも慶安御触書にはかつていちど触れたことがあります。3代将軍徳川家光(いえみつ)が、農民に豆腐を食べることを禁止したというお話ですね*2。家光自身は豆腐が大好物だったようです。農民たちが豆腐を食べると、大豆や豆腐の市場価格が高騰し、自分には回らなくなるかもしれない。トンデモない話だ。百姓などに豆腐を食わせるのはもったいない。禁止せよ。そんな経緯なのかしらん。
■慶安御触書では、豆腐以外でもいろいろと禁止されているものがあるそうです。それは次のどれでしょうか? (正解は複数かも)
[い]酒を飲むこと
[ろ]茶を飲むこと
[は]煙草を吸うこと
[に]将棋をすること
[ほ]碁をすること
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]と[ろ]、[は]が禁止された
説明:慶安御触書は、農民に節約を強いる内容になっているようです。農民自身はもちろん、妻子たちも茶を飲んではいけないらしい。酒も同様です。粟(あわ)や稗(ひえ)などの雑穀を食べ、米をあまり多くたべないこと。なかなか厳しいですね。
■煙草を吸うなといっています。「食物にもならず、いずれ病気になるものだから」という理由です。煙草を吸うのは時間の無駄であり、金もかかるし火の用心も必要になる。すべてにおいて損になる。まぁ喫煙についてのご意見は正しいといえば正しいのかもしれません。喫煙助役をクビにした橋下知事も「当然だ」というでしょう。でも嗜好品を全部禁止するというのもどうかと思われますよね。
■麻と木綿のほかは着てはならないそうです。絹なんか着るのは生意気だということなのかな。帯や裏地にも絹は使ってはならないらしい。
■笑えるのは女性についての記述です。「たとえ美しい女房であっても、夫のことをおろそかにし、茶を飲み、寺社への参詣や遊山を好む女房とは離別すること」。美しい女房なんて藩内を探してもそうはいないと思われますが、それはともかく、「寺社への参詣」まで制限するというのは凄いな。
■「ただし、子供が多くあり、以前から色々と世話をかけた女房であれば別である」。多産の世話女房でなおかつ美貌というのも想像しにくいのですが、それなら許しちゃうというのも昔風ですね。
■さらに、「容姿が醜くても、夫の所帯を大切にする女房には、親切にしてやるべきである」とのこと。妙に容姿にこだわる法律ではあります。
■なんだか息がつまりそうで、当時の農民が気の毒に思えてきます。でも、逆に考えると、こうした規則が必要になるということは、農民が豊かになり、嗜好品も手に届くし、絹物を着て物見遊山もできるようになったということなのかもしれません。
■慶安御触書がほんとに幕府が制定した法律なのか。またほんとに慶安年間に発布されたものなのかは明らかではないようです。元禄(げんろく)10年(1697年)ごろ、甲斐国甲府藩領で発布された農民教諭書が慶安年間の幕法であるとする伝承が広まったものという見方が強い…とWikipediaの慶安御触書の項には書いてありました*1。
■慶安御触書については「徳川実紀」という天保(てんぽう)14年(1843年)に成立した文書に日付こみで記録が残されているそうです。「徳川実紀」は幕府の役人である大学頭・林述斎(じゅつさい?)という人物が責任編集者です。家康から家治(いえはる、10代目)までの編年記とのこと。林述斎は資料の出所として「日記、條令拾遺(じょうれいしゅうい?)」と記しているそうです*3。
■つまり363年前の今日、慶安御触書を幕府が制定したというお話は、徳川政権が公認したお話らしい。憶測をたくましくするとすれば、「徳川実紀」が成立した年は天保の改革の最後の年です。慶安御触書の内容も天保の改革のように贅沢禁止令がひとつの柱になっています。ひょっとしたら政治的な意図のある幕府改革派のウソなのかな。
◆参考*1:HP「慶安御触書 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E5%AE%89%E5%BE%A1%E8%A7%A6%E6%9B%B8
◇*2HP「今日は豆腐の日。「豆腐と納豆は日本で入れ替わった」は俗説なの?」
http://blog.q-q.jp/200810/article_4.html
◇*3HP「江戸と座敷鷹 慶安御触書」
http://sito.ehoh.net/ofuregaki.html

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
戦国時代には、6対4で、武士のほうが多く取っていたのが、江戸時代になると、逆転して農民のほうが多く取っていたという話がありますね。
取り分を多くするために一揆とかを起こして、武士が拒否すると、逃散とかして村から逃げ出して困らせたとか。
小説やテレビの時代劇の話とは、ずいぶん違うではないかと思ったことがあります。
ねこのひげ
2012/04/07 08:02
コメントをありがとうございます。

 豊かな農民もいたでしょうし、佐倉宗五郎の村みたいにむしり取られていた人たちもいたんでしょうね。

 落語学で憶測しますと、総じて西日本のお百姓さんは豊かで、東日本は苦しかったように感じます。上方落語には干し鰯(ほしか、イワシの干したもの)を農村に売り歩く商人が登場したりします。動物性蛋白を肥料に使えたというのは余裕があります。
 東日本なら畑にまかずに農民がそのまま食べてしまいそうです。素人はそう感じます。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/04/07 22:48
西日本は、暖かいですからね。
京都の寺の坊さんに頼まれて年貢を取り立てに行った人間が、農民に難癖をつけられて苦労する話を読んだことがあります。
東日本では、今年の冬のようなときには、簡単に飢饉が起きたようですね。
当時の稲は弱く、簡単に枯れたようで、戦後改良されてから、多少の事では不作にならなくなったようですね。
佐倉惣五郎を祭る宗吾霊堂に行ったことがあります。
けっこう大きな寺でした。
ねこのひげ
2012/04/08 07:55
コメントをありがとうございます。

 暖かい地域は強いですね。
 温暖化で平均気温が4度Cぐらいあがると、北海道の北の端まで稲作に適した「最低必要環境」になったりするかも。「推奨環境」ではないかもしれませんが。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/04/08 15:08

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