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zoom RSS 女医第1号荻野吟子の誕生日。男の医者に局部を覗かれた恥ずかしさに発奮したの?

<<   作成日時 : 2012/04/04 07:11   >>

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★歴史★
問題:嘉永4年の3月3日。西暦では1851年の今日、4月4日、おそらく金曜日だったでしょう。近代日本における最初の女医となった荻野吟子(ぎんこ)が生まれました。武蔵国幡羅(はたら)郡俵瀬(たわらせ)村、現在の埼玉県熊谷市俵瀬だそうです。名主の5女、末娘だったらしい。
■彼女は国家が公認した医師としては第1号だったようです。その前にも、シーボルトの娘、オランダおいねこと楠本イネ嬢は産科医として活躍していました。でも国家試験は通っていないので未公認記録です。
■荻野吟子は、明治3年(1870年)、19歳のときに女医になろうという決心を固めたそうです。ある出来事がきっかけだったといわれます。それは次のどれでしょうか?
[い]性病にかかったが診察してくれる医師はすべて男性で顔から火が出るほど恥ずかしかった
[ろ]従姉妹が出産するのに立ち会ったが、医師が酔っぱらっており、卑猥な言葉を妊婦に吐きかけたのを見た
[は]娼婦たちが男性医師に見られるのがいやだからと性病検診を受けず、性病が蔓延するのを止められないことを知った
[に]盲腸の手術をしたが、剃毛されたり全裸にされたりして死ぬほど恥ずかしかった
[ほ]西洋には女医が多く存在するのになぜ日本には1人もいないのだと学校の外人教授に質問された
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]性病にかかったが診察してくれる医師はすべて男性で顔から火が出るほど恥ずかしかった
説明:荻野吟子は慶応(けいおう)3年(1867年)に、武蔵国北埼玉郡上川上村、現在の熊谷市上川上の名主の長男と結婚したらしい。満16歳ぐらいでしょうか。戊辰戦争の1年前です。秋には大政奉還がありました。世の中は騒然としていましたが、武士以外の人々はそれぞれに幸せを求めて日々を過ごしていたようです。
■この長男の名前は稲村貫一郎(かんいちろう?)というらしい。のちに足利銀行の初代頭取に就任した人だそうです。年を経てから偉い人になるわけですが、若い頃には普通に遊んでいたらしい。娼婦から淋病を移されたようです。夫の淋病は若い妻にも感染してしまいます。このことが原因で夫婦別れとなってしまったようです。
■上京して順天堂医院に入院します。婦人科の治療を受けますが、そのときの医師がすべて男性でした。下半身をさらして診察される屈辱を味わい、強く決心したらしい。他の女性にはおなじ思いをさせてはならないというわけですね。
■明治6年(1873年)に上京し、漢方医の弟子になったりしています。漢方医からは後妻にのぞまれたりしたらしい。でも断ったようです。
■明治8年(1875年)に、東京女子師範学校(お茶の水女子大の前身)の一期生として入学しています。明治12年(1879年)に首席で卒業したとのこと。教授の紹介で私立の医学校好寿院に特別に入学を許可されます。男子学生の中での紅一点です。ちやほやされるかと思いきや、さまざまなイジメを経験したらしい。でも3年間で優秀な成績で卒業できたそうです。
■余談です。明治に入ってからの歌舞伎に河竹黙阿弥(もくあみ)の作品で「富士額男女繁山(ふじびたいつくばのしげやま、女書生繁)」という芝居があるそうです。学問を志した美女が男装して書生となるというお話だそうです。さまざまな艱難辛苦をなめることになります。ちょっと荻野吟子の立場と似ていますね。
■閑話休題。卒業した明治15年(1882年)、東京府に医術開業試験願を提出します。でも女性であることを理由に却下されます。翌年も提出しますがまた却下されます。埼玉県に提出してみましたが、これも却下されたらしい。満32歳ぐらいでしょうか。辛かったでしょうね。
■2年後の明治17年(1884年)に医術開業試験の前半を他の女性3人と受けることができたそうです。荻野吟子だけが合格します。翌明治18年(1885年)3月に後半の試験を受験し、合格します。ついにこの年の5月に東京の湯島に診療所、産婦人科荻野医院を開業します。国が認めた初めての女医が誕生したわけですね。荻野吟子は34歳、淋病で恥ずかしい思いをしてから15年の歳月が流れていたようです。父はだいぶ前に他界し、母親も開業の1か月前に亡くなっていたらしい。でも新聞が大きく取り上げてくれたおかげで医院は繁盛し、すぐに手狭になってしまったため、翌年には新しく下谷に移転したとのこと。大きな需要に支えられ、商売としてもみごとに成功したようです。
◆参考*1:HP「荻野吟子 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BB%E9%87%8E%E5%90%9F%E5%AD%90

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
日本人は、わりと性病に平気ですよね。
ねこのひげの友人に、立て続けに3回淋病にかかったのがいて、3回目に医者にいったら「お前は、ばかか?」と怒られたそうです。
徳川家康の腹心の本多正信は、とうじ唐瘡と呼ばれていた梅毒にかかっていますしね。
女性は旦那からうつされるケースが多かったようですね。
詩人の金子みすずも旦那から淋病をうつされてますからね。
ねこのひげ
2012/04/05 05:35
コメントをありがとうございます。

 梅毒の特効薬、サルバルサンは、ドイツ人と日本人医師秦佐八郎(はた さはちろう)の共同研究の成果だそうです。秦は北里柴三郎の弟子だったらしい。

 サルバルサンがあれば、本多正信も結城秀康もひよっとしたら大谷吉継も助かっていたかもしれません。歴史は大きく変わっていたのでしょうが、なにせサルバルサンの開発は20世紀初頭です。戦国武将たちや能吏の病には間に合いませんでしたね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/04/05 18:52

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