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zoom RSS 種子島よりも前に鉄砲が伝来していたのはどこ?

<<   作成日時 : 2012/04/28 08:08   >>

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★歴史★
問題:Wikipediaの鉄砲伝来の項を眺めると、ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝えるよりも前に我が国に銃がもたらされていたという説がいくつか見られます。天文(てんぶん)12年(1543年)以前の伝来説ですね。どれも仮説なのでしょうけれど、なかなか興味深い内容になっています。
■参考資料*2によれば、後北条氏の記録である「北条五代記」という本にも種子島よりも前に鉄砲を入手していた日本人たちの話が記されているそうです。では、「北条五代記」には次のどの説が紹介されているのでしょうか?
[い]1500年ごろ、朝鮮半島経由で近江の国友村の商人に買い上げらた
[ろ]1510年ごろ、中国経由で堺の商人に買い上げられた
[は]1520年ごろ、倭寇の親分が島津公に不逮捕特権の代金として献上した
[に]1530年ごろ、オランダの軍艦が水や薪と引き換えに宇和島港に置き土産とした
[ほ]1540年ごろ、難破して博多湾に打ち上げられたイギリス船から発見された
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]1510年ごろ、中国経由で堺の商人に買い上げられた
説明:享禄(きょうろく)年間(1528年8月20日〜1532年7月29日)に玉滝坊(ぎょくろうぼう?)という山伏が和泉の堺を訪れた際、轟音を発する武器を見たそうです。商人に「あれは何だ」と尋ねると、「鉄砲という物で、永正(えいしょう)7年(1510年)に唐国(中国)から渡来したものだ。遠くのものを撃つに絶妙なり」と教えてくれたそうです。
■一挺を購入して関東へ持ち帰り、北条氏綱(うじつな)公に進上したところ、「関東に類無き宝である」と仰せられて秘蔵された由。ちなみに北条氏綱は、後北条氏五代の2代目です。父親は北条早雲(そううん)、息子は3代目氏康(うじやす)です。長享(ちょうきょう)元年(1487年)に生まれ、天文(てんぶん)10年(1541年)に亡くなっています。その翌々年、天文(てんぶん)12年(1543年)にポルトガル人が種子島に鉄砲をもたらした…というのが教科書に書いてある定説ですね。
■3代目の氏康は、堺へ人をやって、国康(くにやす?)という鉄砲作りの名人を関東に呼んだらしい。根来(ねごろ)法師の杉房(すぎぼう?)、仁王房(におうぼう?)などという者が関東に下り、鉄砲の術を教えたそうです。種子島には、鉄砲そのものだけでなく、製造術・射撃術も伝わったということになっています。「北条五代記」に記された堺説のほうでも、鉄砲というハードウェアだけでなく、作ったり撃ったりするソフトウェアも伝来しているように見えますね。
■なお、根来法師というのは紀州根来寺の僧兵だそうです。「戦国時代には鉄砲で武装して一揆を起こすなどの威勢をふるった」と「大辞泉」にはありました。
■「北条五代記」の記述が正しいかどうかはよくわかりません。永正(えいしょう)7年(1510年)前後の中国は明の時代です。明の政府はしきりに海禁令をだしています。海賊や密貿易を防止するために、私用で船を出すことを禁じたらしい。鉄砲は、厳しい禁令をかいくぐって密輸されたものなのでしょうか。あるいは日明の正式な勘合貿易で輸入されたものなのかな。
◆参考*1:HP「鉄砲伝来 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E7%A0%B2%E4%BC%9D%E6%9D%A5
◇*2書籍「戦国逸話事典」初版303〜304頁、逸話研究会編、IBSN4-404-01585-2、新人物往来社

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コメント(6件)

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やっぱり、倭寇などによる密貿易でもたらされたと考えるのが妥当でしょうね。
でも、めずらしい武器程度の扱いで、火薬に使われる硝石も日本になかったから、実戦で使われることはなかったようですね。

種子島時尭の息子久時が、大量生産して売るようになり、作り方も隠すことなく教えたようで、根来寺の僧兵たちが傭兵として種子島を使うようになってから全国に広まっていったようですね。
根来の坊さんたちは、真言宗を広めるために種子島にも行っていたそうです。
ねこのひげ
2012/04/29 04:38
コメントをありがとうございます。

 硝石というか、KNO3(硝酸カリウム)という物質は、初めは輸入していたようですが、そのうちに国産品でまかなうようになってきたらしい。
 
 人家の床下の土から精製できるそうです。また屎尿からも精製できるとのこと。
 別の方法もあるようです。
 Wikipediaの硝石の項によれば、地方によっては火薬を潤沢に生産していた戦国大名がいたそうです。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/04/30 08:00
種子島に鉄砲伝来は最初でなくとも「鉄砲の構造と分解」の卓越した鋳鉄技術(鍛冶屋)は薩摩藩であればこそですよ。

他の藩ならば珍しい武器・火器だなあっで終わってしまい分解して日本製鉄砲を作ってみようとはならない気がする。
sadakun_d
2012/05/09 23:11
コメントをありがとうございます。

 薩摩藩は鋳鉄の技術が高かったんですね。知りませんでした。なるほど。
(^^;)
sadakun_d様<素町人
2012/05/10 13:03
浦賀に「ペリーの黒船来航」では、薩摩藩が"大砲""鉄砲"をしばらく貸してくれと頼む。この火器武器の貸し出しをアメリカ側が克明に記録しています。約一週間で大砲らを薩摩藩は黒船に返したが、卓越な鍛冶技術から大砲コピーしちゃった
sadakun_d
2012/05/19 01:29
コメントをありがとうございます。

 アメリカはよく貸してくれましたね。
(^^;)
sadakun_d様<素町人
2012/05/19 07:54

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