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zoom RSS 江戸城の石垣積みの工夫。子供を使って地盤を固めさせた知恵者はどの大名なの?

<<   作成日時 : 2012/03/14 07:01   >>

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★歴史★
問題:慶長(けいちょう)8年(1603年)は徳川幕府が成立した年だそうです。同時にこの年から江戸城の天下普請が始まったらしい。
■天下普請というのは、全国の大名たちが協力して工事を行なうことだそうです。江戸城の天下普請では、築城の名手といわれた藤堂高虎(とうどう たかとら)が基本の計画を練り、指揮を執ったらしい。当時は「縄張り」と呼ばれた作業とのこと。暴力団の勢力範囲と似た言葉ですね。
■藤堂高虎は、豊臣家に仕えているときから、郡山城・和歌山城・小倉城を計画して実績を積んだようです。さらに関ヶ原の戦い後には、二条城や伏見城を縄張りしたとのこと。そしていよいよ天下一の城の縄張りをまかされることになったようです。
■藤堂高虎は全国からすぐれた土木技術者を集めたらしい。豊臣家の築城を行なった際に起用した戸波一族の駿河・三河という穴太(あのう、石工・土木技術者)を今回も起用したようです。これらの土木技術者の指導で、各藩の大名はそれぞれに石工を雇い、割り当てられたところに石垣を作っていったらしい。
■江戸城は、あまり地盤のよくない場所にも堀や石垣を作らねばなりません。ご存じのとおり、日比谷などは元は入り江だった土地だそうです。重い石はズブズブと沈んでしまいます。松の木を並べて筏(いかだ)を組み、長い杭を打ってとめ、石垣をのせるという工法をとったそうです。最近のテレビCMでは、丸ビルの基礎にも松の木の杭が使われているといっています。松の木は松明(たいまつ)に使われるぐらいですから油が含まれているのかもしれません。腐食しにくいのかな。
■松の木で筏を組む工法は「筏地形(いかだじぎょう)」と呼ばれたらしい。残念ながら筏地形を施しても、石垣が沈んでしまう例は多かったようです。石垣が崩れてしまい、多数の犠牲者を出す事故も起きています。
■筏地形では無理と考えたある大名は、人夫に命じて武蔵野に生い茂っていた萱(かや)を刈り取らせました。それを泥沼の中に敷きます。10歳から15歳ぐらいの子供たちをその上で遊ばせました。どのぐらいの期間に渡って遊ばせたのかはわかりませんが、工事は遅れそうになったらしい。期限ぎりぎりで完成したその石垣は、大雨にも地震にも負けなかったといわれます。江戸城についてのひとつの伝説になっているとのこと。
■本日のクイズは、江戸城の石垣作りに手腕を発揮したその大名の名前をあてていただきましょう。次のうちの誰でしょうか?
[い]細川忠興(ただおき、豊前小倉藩主)
[ろ]加藤清正(きよまさ、肥後熊本藩主)
[は]福島正則(まさのり、安芸広島藩主)
[に]浅野長晟(ながあきら、紀伊和歌山藩主のち安芸広島藩主)
[ほ]前田利常(としつね、加賀藩主)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]加藤清正(きよまさ、肥後熊本藩主)
説明:朝鮮で虎退治をした武将は、土木事業にもなかなか通じていたようです。加藤清正は、泥沼の水分を減らすことと、地盤を固めることに重きを置いたといわれます。
■萱を泥沼に敷いたのは水分を吸収させたらしい。毎日取り替えたのでしょうかね。子供たちに遊ばせたのは、水分を上にあげる目的もあったでしょうし、振動で地盤を固めていくのも狙いだったようです。
■浅野但馬守長晟と共同で地盤の悪い場所に石垣を作ることを命じられたようです。浅野長晟は、筏地形を使って納期よりだいぶ前に石垣を完成させたらしい。お褒めの言葉を頂戴したようです。加藤清正の工事は、子供たちに遊ばせる時間、つまりは地盤を固める時間をとっていたので納期ギリギリになってしまったようです。周囲の失笑を買ったらしい。
■慶長(けいちょう)19年(1614年)に江戸地方に大雨があったようです。浅野長晟の作った石垣は、基礎から崩れてしまったとのこと。加藤清正が工事した部分は何事もなかったらしい。あらためて加藤清正の手腕が再評価されたそうです。とはいえ、このときには加藤清正はすでにこの世にはなかったのですが。
■なお、参考資料*1の説では、浅野但馬守長晟の石垣が崩れたのは工事半ばだったそうです。石垣の下敷きになって百数十人の犠牲者が出たとのこと。どちらがホントなのかはわかりませんでした。
◆参考*1:書籍「江戸の町(1)」34〜35頁、内藤昌著、草思社
◇*HP「江戸城 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%9F%8E
◇*HP「Collegio - 之潮 コレジオ 書籍・古地図/出版・販売 ≫ Blog Archive ≫ 江戸の崖 東京の崖 その14」
http://collegio.jp/?p=357

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
きのうは大きな地震がふたつありましたが、江戸城の石垣も崩れたことがあるそうで、加藤清正の石垣は崩れなかったようですね。
八重洲あたりも砂で埋めて土地を作ったので、大震災の時には、液状化する危険があると、先日地震の特集で言っておりましたよ。
ねこのひげ
2012/03/15 06:40
コメントをありがとうございます。

 浦安の事例でいうと、三井不動産は浅野長晟で、UR(都市住宅機構)が加藤清正かな。
 大きな地震の液状化現象で三井不動産の建物はゆらぎました。一方、URは液状化を想定してサンドコンパクションという地盤強化を実施していたとか。まさか子供を遊ばせたわけではないでしょうけれど。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/03/15 09:12

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