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zoom RSS 名作の末尾の文章。「ありがたいありがたい」という言葉で終わるのはどんな作品なの?

<<   作成日時 : 2012/02/09 12:34   >>

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★日本語★
問題:「私(わたくし)はその人を常に先生と呼んでいた」。この文章はどんな名作の冒頭の言葉でしょうか。ご存じのかたも多いでしょう。夏目漱石の「こころ」ですね。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」。こちらはさらに多くのかたがご存じでしょう。「平家物語」の開巻第一の一節です。
■名作の書き出しを問うクイズはときどき見かけます。でも、つむじ曲がりの弊クイズといたしましては、たまには末尾の文章を問うクイズを出題してみたくなります。本日は、いくつかの名作のいちばん最後の文章を並べました。すべて大変によく知られた作品です。作者は、50音順に芥川龍之介、太宰治、夏目漱石、松尾芭蕉、森鴎外の5人です。[い]〜[ほ]のそれぞれの作者と作品名を当ててください。
■なお、「最後の一文」は、読点で区切られた文章をひとつの単位と考えています。出典を示す言葉、あるいは日付などは本文以外とみなして無視しています。
[い]「旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の迂宮(セングウ、遷宮)おがまんと、又舟にのりて、  蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行(ゆく)秋ぞ」
[ろ]「下人は、既に、雨(あめ)を冐(をか)して、京都の町へ強盗を働きに急いでゐた。」
[は]「二人はぴったり抱き合った。」
[に]「勇者は、ひどく赤面した。」
[ほ]「ありがたいありがたい。」
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★日本語★
正解:各項目を参照してください
説明:[い]「…蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行(ゆく)秋ぞ」は松尾芭蕉作「おくのほそ道」
■「おくのほそ道」は元禄(げんろく)15年(1702年)に刊行された芭蕉の紀行文集ですね。この年は、あの事件の関係者にとっては緊張の時間でした。大石内蔵助たちは必死で吉良上野介の動静を探り、逆に吉良側は浪士たちの行動を追っていたらしい。ちなみに浅野内匠頭の刃傷事件と切腹は元禄(げんろく)14年3月14日(1701年4月21日)。赤穂浪士の討ち入りは元禄(げんろく)15年12月14日(1703年1月30日)だそうです。
□「蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行(ゆく)秋ぞ」。松尾芭蕉は江戸を立って北にむかい、裏日本をとおって大垣に至っています。最後に伊勢に向かうところで終わるわけですね。はまぐりの貝がらが上下に別れることと、伊勢の二見浦をかけた駄洒落なのでしょうか。素人には善し悪しのわからない作品ではあります。
[ろ]「…京都の町へ強盗を働きに急いでゐた。」は芥川龍之介作「羅生門」
■「羅生門」は大正4年(1915年)に発表された短編だそうです。東京帝国大学在学中に書いた作品だそうです。満23歳ぐらいだったのかな。素材は「今昔物語」から頂戴したものらしい。
□「羅生門」の末尾の文章は、変更されているそうです。初出の文では「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあつた。」となっているらしい。弊クイズで掲載したのは短編集に掲載されていたものです。わずかに違います。現在では、「下人の行方は、誰も知らない」となっているとのこと*2。現代の教科書に多く掲載されているのは、「誰も知らない」だそうです。
[は]「二人はぴったり抱き合った。」は森鷗外作「山椒大夫」
■「安寿と厨子王」としても知られる悲しい物語です。人買いに騙された姉と弟は山椒大夫という野卑な荘園主に買われ、母と離ればなれになります。成長して脱走し、都に戻った弟は、国司となって山椒大夫の苛政を糺します。
□残念ながら姉はすでにこの世の人ではありませんでした。別れた母が佐渡に居ると聞いた厨子王は島に渡ります。最後の場面でぴったりと抱き合うのは母と息子です。奇跡が起こり、母の視力は回復し、「厨子王!」と叫んだ母と息子はぴったりと抱き合い、感動のフィナーレを迎えます。
[に]「勇者は、ひどく赤面した。」は太宰治作「走れメロス」
■これはいわずと知れた「走れメロス」のラストシーンですね。友を救うという目的を果たしたメロスは自分の格好に気がつかなかったようです。少女にマントを渡され、友人に「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」と言われて初めて、全裸であることに気がついたらしい。まっ、赤面するしかないですね。
□「走れメロス」は太宰治30歳ごろの作品だそうです。創作のきっかけは次のような出来事だったともいわれます。熱海の旅館に逗留していた太宰治は、東京から金を持って迎えにきた檀一雄(かずお)とともに宿泊代・酒代にあてるはずの金を使い果たしてしまったそうです。檀一雄を人質として旅館に置き、懇意にしている井伏鱒二(ますじ)に金を借りてくるといって自分だけ東京に帰ってしまいます。
□いつまで経っても金も太宰もやってこないのに業をにやした檀一雄は、旅館と飲み屋を説得していったん東京に戻り、井伏宅をたずねてみると、井伏鱒二と太宰治は暢気に将棋を指していたとか。太宰は借金の申し込みはしたかったのですが、いままで散々迷惑をかけているので言い出すタイミングがつかめなかったと言い訳をします。太宰治は、「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」と檀一雄にたずねたそうですが、そりゃ「待つ身に辛き置きごたつ」。待たせる身のほうが少しは楽なような気がしますね、凡人としては。
[ほ]「ありがたいありがたい。」は夏目漱石作「吾輩は猫である」
■夏目漱石の処女作にして出世作、「吾輩は猫である」の最後の場面では、主人公の猫はビールを飲んで酔っぱらい、庭に置かれた甕のなかに落ちて水死するようです。「…吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。」というのが饒舌だった主人公の最後の言葉のようです。
□この作品は満37歳ぐらいのころに書かれたらしい。わりと遅くに書かれたんですね。50歳で亡くなってしまうわけですから、活躍した時期はわずかに10年あまり。そういえば漱石の弟子である芥川龍之介も満23歳で「羅生門」を書き、亡くなったのは満35歳だそうです。昔の作家は短命であり、かつ活動期間も短かったんですね。
◆参考*1:HP「おくのほそ道 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%81%AE%E3%81%BB%E3%81%9D%E9%81%93#.E5.A4.A7.E5.9E.A3
◇*2HP「羅生門 (小説) - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%85%E7%94%9F%E9%96%80_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)
◇*3HP「山椒大夫 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%A4%92%E5%A4%A7%E5%A4%AB
◇*4HP「走れメロス - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%B0%E3%82%8C%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%82%B9
◇*5HP「吾輩は猫である - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%BE%E8%BC%A9%E3%81%AF%E7%8C%AB%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
えっ!?なんだっけ?
と一部だけだと、全部読んでいるのに考えてしまいました。
太宰治のこの逸話は有名ですね。井伏鱒二さんは面倒見がよい人だったようですね。
ねこのひげも、人に金を貸したことがありますが、どうも広島の人間は人がいいようで・・・(^^ゞ
ねこのひげ
2012/02/10 06:27
コメントをありがとうございます。

 太宰治とか石川啄木など、経済観念のない作家たちが昔はいたようですね。

 ちかごろ学校教育で金についてもヘえるべきだという意見が強まっているそうです。賛成ですけど、貯蓄が好きな石川啄木では、いい作品を産まないんだろうな。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/02/10 08:30

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