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zoom RSS 20世紀最大の歌手エンリコ・カルーソーの誕生日。ホントはサッカー選手になりたかったの?

<<   作成日時 : 2012/02/25 07:42   >>

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★歴史★
問題:史上もっとも成功したグループはビートルズだといわれます。20世紀の後半に登場し、21世紀に入ってもまだその音楽はすたらないようです。では史上もっとも成功した個人の歌手は誰でしょうか。マイケル・ジャクソンかな。それともエルビス・プレスリーかな。
■ポピュラー音楽の世界においてはわかりませんが、クラシック音楽の世界ではエンリコ・カルーソーこそが史上最大の歌手とされています。大正10年(1921年)に亡くなったというのに、20世紀最大の歌手と呼ばれるのは、後世にいたるまで影響力が強かったことを示しているのでしょう。
■149年前の明治6年(1873年)の今日、2月25日にエンリコ・カルーソーは生まれました。イタリアのナポリ出身だそうです。貧民窟で育ちましたが、母親が歌を習わせたことで才能が磨かれたようです。残念ながら最初のころの先生がたにとってはエンリコ・カルーソーは光った存在ではなかったようです。母親はカルーソーの成功を目にすることなく亡くなったらしい。
■明治27年(1894年)、21歳のころから声楽家としての活動を始めたそうです。イタリア国内の劇場を歌い歩き、明治31年(1898年)ごろにミラノで大成功を収めます。アメリカのレコード会社からの依頼でレコードを吹き込み、大評判をとり、ニューヨークのメトロポリタン劇場の専属歌手となります。以後は押しも押されもしない世界最高の歌手として約20年ほど君臨しますが、大正9年(1920年)に喀血し、翌年48歳の若さで亡くなってしまいました。
■では、世界最高の美声の149回目の誕生日を記念しつつ、エンリコ・クルーソー氏にかんする雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか?(正解は複数かも)
[い]エンリコ・カルーソーに会った録音プロデューサは会社の命令を無視して契約を結んでしまった
[ろ]子供のころはサッカー選手になるのが夢だった
[は]メトロポリタン劇場の専属歌手なのにマンハッタン歌劇場で歌って訴訟を起こされたことがある
[に]日本のオペラ歌手藤原義江(よしえ)に教えたことがある
[ほ]他の有名人に間違えられたことがある
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]と[ほ]が正しい
説明:[い]エンリコ・カルーソーに会った録音プロデューサは会社の命令を無視して契約を結んでしまった(○)
■レコード史上最初の録音プロデューサーはフレッド・ゲイスバーグと呼ばれる人物だそうです*3。ゲイスバーグ氏はミラノ・スカラ座でエンリコ・カルーソーの歌声に出会い、この男こそ新しい星だと確信したようです。「高すぎる、契約を取り消せ」という会社の指令を無視して25cm盤10面で100ポンドという契約を結んだらしい。明治35年(1902年)のことだそうです。
□1900年前後の郵便料金が1ペニーだったと聞いたことがあります。12ペンスで1シリング、20シリングで1ポンドでしたから、240ペンスが1ポンドですね。現在の日本の物価で表現するために1ペニーを80円(封書の料金)と考えると1ポンドは約2万円ぐらいでしょうか。100ポンドは200万円ということになります。有望な新人歌手の契約料としてはそんなに高くないようにも思われますね。
□別の話としてはシャーロック・ホームズが活躍していたころ(つまり1900年前後)年収200ポンドあればメイドが雇えたとも聞きます。今の日本でフルタイムのお手伝いさんを雇えるのは年収が最低でも1500万円ぐらいはないとむずかしいかもしれません。そう考えると、100ポンドは750万円となりますね。
□エンリコ・カルーソーが史上最大の歌手とされる大きな理由のひとつは、彼の歌が円盤再生形の蓄音機と円盤(レコード)の普及を後押ししたからだといわれます。逆にいえばレコードと蓄音機の普及によって彼の歌声も世界の津々浦々まで響くようになったわけですね。一種の共生関係ができたわけで、運もあるようです。
□なお、エンリコ・カルーソー氏は、10面分の歌をわずかに2時間ほどで吹き込んだといわれます。ビクターのシンボルマークにあるようなラッパ筒のついた録音機で行なわれたらしい。ゲイスバーグ氏は最悪の場合には自腹で契約金を弁済する覚悟だったようです。でもレコードは大人気となり、支払われたギャラの数千倍もの売り上げを記録したそうです。
[ろ]子供のころはサッカー選手になるのが夢だった(×)
■正しくは絵描きになるのが夢だった…だそうです。少年のころから絵が上手だったらしい。歌手になって渡米してから、ウッドロー・ウイルソン大統領の戯画を描いたことがあるそうです。誰かが売りに出したらしく、美術商の店頭に飾られていたようです。
□エンリコ・カルーソー氏はカミサンと散歩中にたまたま自筆の戯画を見かけたとか。カミサンが店で値段をたずねると、75ドルだったようです。カルーソー氏は、「10分間で75ドルの儲けならば悪くないな」と相好を崩したとのこと。
□ちなみにウッドロー・ウイルソン大統領は、大正2年(1913年)から8年間大統領職を勤めたようです。国際連盟を作るのに尽力した人物ですね。なぜかアメリカ自体は上院の反対があって加盟しませんでしたけど。
[は]メトロポリタン劇場の専属歌手なのにマンハッタン歌劇場で歌って訴訟を起こされたことがある(×)
■第一次世界大戦の際に、マンハッタン歌劇場で献金公演の軽演劇ショーがあったらしい。エンリコ・カルーソー氏は舞台の脇のボックスに腰掛けて観ていたそうです。
□前列にいた少年が「エンリコ・カルーソーがいる!」と大きな声で叫んだらしい。観客は総立ちになって彼の歌唱を求めたとのこと。カルーソー氏は舞台にあがって「♪オーバー・ゼアー」という観客がリクエストした曲を歌い、1曲だけで去っていったらしい*3。
□メトロポリタン劇場側では契約違反があったことは承知したものの、文句はいわなかったようです。うっかりしたことをいうと、右翼を刺激することになるから黙っていたのかな。
[に]日本のオペラ歌手藤原義江(よしえ)に教えたことがある(×)
■エンリコ・カルーソーは、日本人の歌手三浦環(たまき)や藤原義江と同時代の人です。藤原義江は、大正9年(1920年)の3月に欧州に留学します。残念ながらエンリコ・カルーソーはアメリカに滞在していたので、ミラノにはいませんでした。結局、いちども逢えずじまいだったようです。
□がっかりした藤原義江は三浦環にあったそうです。「歌ってごらんなさい」といわれて「♪リゴレット」を歌ったのですが、相手は世界で成功している歌手であり、超大物です。ピアノが弾けないぐらい身体が震えてしまったとのこと。ちなみに「♪リゴレット」はヴェルディの作曲による歌劇だそうです。
[ほ]他の有名人に間違えられたことがある(○)
■アメリカで自動車旅行をしていたカルーソー氏は田舎道で立ち往生し、近所の農家に泊めてもらったことがあるそうです。自己紹介をすると相手はびっくり仰天したらしい。まぁ、それはよくある反応なので、カルーソー氏はにこやかに頷いてみせたようです。
□相手は続けます。「あなたがあの有名な…知らない人がいないほどに有名な…ロビンソン・クルーソーさんなんですか。いやぁ、驚いたな」。カルーソー氏はきっとかなりずっこけたんでしょうね。
□似たような話を「ちょっとピンぼけ」という本で読んだことがあります。著者であるロバート・キャパという戦場カメラマンは、船で旅行中にどうもいつもより厚遇されているなと感じたらしい。そのうちに気がついたのは、映画監督のフランク・キュプラと間違われていたことだそうです*5。「或る夜の出来事」とか「スミス都へ行く」などの映画で知られる名監督です。
□似たような話を日本でも聞いたことがあります。作曲家の山田耕筰(こうさく)と詩人の北原白秋(はくしゅう)は、ある地方に旅行したら普段よりずっと丁重に扱われたらしい。そのうちに気がついたのは、山田公爵と北原伯爵という貴族と間違われていたことだそうです*6。2人の名コンビから童謡「この道」、「砂山」、「あわて床屋」、「からたちの花」、「待ちぼうけ」、「ペチカ」などの名作が生まれました。また「松島音頭」などの民謡も生まれているそうです。
◆参考*1:HP「エンリコ・カルーソー - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%BC
◇*2HP「世界一の名歌手・エンリコ・カルーソー: ケペル先生のブログ」
http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_7cfd.html
◇*3HP「ユーチューブの動画 Over there」
http://www.youtube.com/watch?v=wbggEGUaE28
◇*4HP「世界的プリマドンナ三浦環(たまき)は、34歳も年下の彼氏と同棲していた?」
http://blog.q-q.jp/200611/article_52.html
◇*5HP「いちばん著名な写真家キャパの命日。映画「裏窓」のモデルだったの?」
http://blog.q-q.jp/200905/article_27.html
◇*6HP「戦前、姦通罪で逮捕されたこともある有名な詩人はだれ?」
http://blog.q-q.jp/200611/article_4.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
人が売れるかどうかというのは、結局、その時代の要請に合うかどうかということなんでしょうね。
ピカソの絵も、最初、画商に売りに行ったら5フランでも買わん!と言われたそうで、それが後になると、小さなイタズラ描くでも何万フランで取引されるようになるんですからね。

しかし、ロビンソン・クルーソーと間違えられるとは、さぞやご本人はズッコケたでしょうね。
ねこのひげ
2012/02/26 06:42
コメントをありがとうございます。

 オペラ歌手の人が「♪オー・ソレ・ミーヨ」とか「♪サンタルチア」などを歌う機会が多いのは、ナポリ出身のカルーソー氏の影響が大きいそうです。
 最初に聴いたレコードのナポリ民謡に感動した人たちの遺伝子が、後世の人にまで受け継がれているのかな。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/02/26 09:27

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