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zoom RSS 応仁の乱に登場する珍名奇名。芋俵語種真(いもだわらごしゅま)って実在の人物なの?

<<   作成日時 : 2012/02/22 07:41   >>

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★歴史★
問題:Wikipediaによれば、本日2月22日は応仁の乱が始まった日だそうです。
■今から545年前の今日、1467年2月22日。和暦では文正(ぶんしょう)2年1月18日に京都市上京区にある上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)で畠山氏同士の私闘が行なわれたとのこと。一方は畠山政長(まさなが)。もう片方は畠山義就(よしひろ)という武将だったそうです。例によって跡目争いが原因だったらしい*1。ご存じのように畠山氏は斯波家・細川家とともに三管領という室町幕府の最高級幹部の家柄です。
■この日以降、約11年にわたり、足利将軍家・三管領・有力な守護大名等々、さまざまな人々を巻き込んで、京都と全国各地で応仁の乱がくり広げられたそうです。まったく端迷惑な話であり、一般の町人からすると、単なる災難です。でも武士たちは権力と富に目がくらみ、妥協せずに争い、戦い、散っていったようです。
■ところで、Wikipediaの応仁の乱の項を読んでいると、面白い名前がいくつか登場します。本日はその珍名奇名についての問題です。下の5つの選択肢の人名のうち、何人かは実在した人名だそうです。どの名前が応仁の乱の中を生きた人物なのでしょうか?
[い]季瓊真蘂(きけいしんずい)
[ろ]芋俵語種真(いもだわらごしゅま)
[は]骨皮道賢(ほねかわどうけん)
[に]猫屋敷忠信(ねこやしきただのぶ)
[ほ]甘露寺親長(かんろじちかなが)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]季瓊真蘂(きけいしんずい)と[は]骨皮道賢(ほねかわどうけん)、[ほ]甘露寺親長(かんろじちかなが)が実在の人物
説明:[い]の季瓊真蘂(きけいしんずい)は、中国あたりから帰化した僧侶かなんかの名前のように見えます。でも日本で生まれた人らしい。応永(おうえい)8年(1401年)、播磨の赤松氏の支族である上月氏の血を引いて誕生し、文明(ぶんめい)元年(1469年)に死んだらしい。職業は臨済宗の僧侶だったとのこと。やっぱりね。
■嘉吉元年6月24日(1441年7月12日)、赤松満祐(まんゆう、みつすけ)が籤引き将軍こと6代将軍足利義教(よしのり)を暗殺した嘉吉(かきつ)の乱では、幕府側の使節として赤松氏の領国播磨国の坂本城に赴いて義教の首を受け取っているとのこと。夏の事件です。義教の首はさぞや見るかげもなくなっていたでしょうね。鼻が曲がりそうです。大事な役目ではありますが、いやな仕事だな。
■足利義政が将軍に就いてからは、政治顧問として活躍したそうです。実子足利義尚(よしひさ)誕生後は、義政が起請文まで書いて跡目を約束した実弟足利義視(よしみ)を排斥しようと画策したらしい。文正(ぶんしょう)元年(1466年)に細川勝元(かつもと)、山名宗全(そうぜん)らによる文正の政変で失脚したとのこと。応仁の乱が始まると近江へ逃れたそうです。
■季瓊真蘂の「瓊」という漢字は、常用漢字表には掲載がありません。漢和辞典「字通」によれば「ケイ、セン、たま」という字音・字訓があります。この漢字はどこかで見覚えがあると思ったら、安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)という人物がいました。関ヶ原の戦いで負けた西軍の大名の1人です。六条河原で斬首され、石田三成や小西行長とともに晒し首にされたそうです。なお、安国寺は足利尊氏が室町幕府を開いたのちに全国各地に建立した一連の寺の名前とのこと。戦乱から平和の世になることを願って建立したと言われます。
■[は]の骨皮道賢は元は盗賊を追う立場だったようです。司法関係の役人だったのかな。応仁の乱が起こると足軽の大将として活躍したとのこと。東軍の大将細川勝元(かつもと)にヘッドハンティングされ、東軍側に立ちました。伏見の稲荷山を拠点とし、放火などを起こして後方攪乱を担当したそうです。
■応仁(おうにん)2年(1468年)に畠山義就や西軍大将の山名宗全(そうぜん)などに包囲されてしまったらしい。骨皮氏は女装して包囲網をすり抜けようとしたそうですがばれてしまい、討ち取られたといわれます。そういえば300年あまり前、平治(へいじ)元年(1159年)の平治の乱では、源義朝方に拉致された二条天皇は十二単を着て女装して牛車に乗り、脱出して清盛に保護されたと聞きます。真似しようとしたのかな。
■骨皮氏は名前のとおり皮革加工業者だったという説もあり、また太らない体質で骨格がはっきり見えた人ではないかとする説もあるそうです。記録にはあまり多く登場していないので、実像はわからないらしい。骨皮が死んだとき、「昨日まで 稲荷廻し 道賢を 今日骨皮と 成すぞかはゆき」という皮肉な歌が詠まれたそうです。最後の「かわゆき」は「皮」にかけたのでしょう。意味としては「いたわしい」という同情が込められているらしい。
■[ほ]の甘露寺親長(かんろじちかなが)は公家さんだそうです。応永(おうえい)32年(1425年)に産まれ明応(めいおう)9年(1500年)に亡くなっています。実務家の公家である藤原北家勧修寺流甘露寺家の当主とのこと。
■実務家であり、日記も多く残しているそうです。「親長卿記」は史料としても貴重なものらしい。またそれまでの記録の写本も多く残しているとのこと。後世の歴史家にとってはありがたい存在なんでしょうね。
■正二位・権大納言まで上り詰めた人だそうです。高級公家・公卿ですね。ただし、時代が時代ですので、応仁の乱に直接関与することはありませんでした。町人たちと同様に家を焼け出され、あちらこちらと放浪する暮らしだったようです。どちらかといえば被害者ですね。
■なお、残りの2つの名前、芋俵語種間と猫屋敷忠信は勝手につくった人名です。おそらくは実在しないと思われます。
◆参考*1:HP「応仁の乱のきっかけとなった喧嘩が起きた日。どこの神社が舞台となったの?」
http://blog.q-q.jp/200802/article_21.html
◇*2HP「応仁の乱 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%9C%E4%BB%81%E3%81%AE%E4%B9%B1
◇*3HP「季瓊真蘂 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A3%E7%93%8A%E7%9C%9F%E8%98%82
◇*4HP「骨皮道賢 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AA%A8%E7%9A%AE%E9%81%93%E8%B3%A2
◇*5HP「甘露寺親長 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E9%9C%B2%E5%AF%BA%E8%A6%AA%E9%95%B7

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
骨皮より芋俵のほうがありそうな名前ですね。
安国寺恵瓊は、甲斐武田の支派である安芸武田氏の子供だったそうですね。
きのうTBSの『ザ・今夜はヒストリー』で応仁の乱を取り上げてましたよ。
ねこのひげ
2012/02/23 06:05
コメントをありがとうございます。

 安国寺恵瓊はあまり潔くなかったという話をどこかで読みました。関ヶ原に敗れて追っ手も迫り、もう駄目だから自害しようということになったらしい。介錯の人が刀を振りおろしたら、首を引っ込めて空振りにさせ、もうちょっと逃げてみようと言いだしたというのですが。
 素町人ならそう言い出しそうですけど、武士なんですからもうちょっと格好をつけてほしいですね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/02/23 21:26

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