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zoom RSS 西南戦争が始まった日。西郷軍の死者は官軍の10倍に及んだの?

<<   作成日時 : 2012/02/15 07:48   >>

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★歴史★
問題:明治10年(1877年)の今日、2月15日。おそらく木曜日だったろうと思われます。西郷隆盛を指導者とする旧薩摩藩の不平士族たちは武装して鹿児島を出発、熊本に向かったらしい。
■ご承知のとおり、江戸から明治へと時代がかわり、士農工商の身分制度の頂点で威張っていた武士は立場を失います。廃刀令で武士の魂を失い、俸禄を失うことですべての特権をもぎ取られてしまいました。残されたのは士族という身分呼称だけだそうです。士族だからといっていまや「斬り捨て御免」もできません。落語風に言えば、「山賊」よりも「一ゾク」多いだけの呼称だそうです。
■1876年(明治9年)の統計では、士族は人口の5%余りだそうです。かなりの部分が、環境の変化に適応できず、大きなストレスを抱えていたとされています。教科書などでは、連中を不平士族と呼んでいます。世の中を変えてやるとばかりに佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱など、数々の事件を起こしましたが連戦連敗です。西南戦争はその中での最大の戦いでもあったようです。
■本日は日本最後の内乱とも呼ばれる西南戦争の出陣の日を記念した雑学クイズです。次のうち正しい記述はどれでしょうか? (正解は複数かも)
[い]大きなキッカケのひとつとなったのは鹿児島にあった軍需産業を他県に移したことだった
[ろ]直前に西郷を暗殺するために爆破事件が3件ほど起きた
[は]西郷軍の総司令官は桐野利秋(としあき)がつとめた
[に]西郷軍は官軍の指揮官乃木希典(まれすけ)に連隊旗を奪われ、士気を落として敗北した
[ほ]西郷軍の死者数は官軍の10倍にも及んだ
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]が正しい
説明:[い]大きなキッカケのひとつとなったのは鹿児島にあった軍需産業を他県に移したことだった(○)
■当時の歩兵の主力の武器は鉄砲ですね。スナイドル銃と呼ばれる薬莢式の弾丸を使う銃が使われていたそうです。薬莢を作る装置は西南戦争の直前まで旧薩摩藩にしかなかったらしい。少量の生産はどこでも可能だったようです。でも、戦争で使われるぐらいの大量の弾丸製造装置は他県にはなかったとのこと。旧薩摩藩が中央政府に対して発言力が強かったのは、明治維新の主役だったからという理由のほかに、スナイドル銃の薬莢製造をほぼ独占していたからというのも大きな理由になっていたらしい。
□スナイドル銃に対して旧式の銃ではエンフィールド銃という種類が使われていたそうです。連射速度に差があったらしい。戊辰戦争ではエンフィールド銃の弱点が明確になったとのこと。
□旧薩摩藩士にしてみれば、スナイドル銃の弾丸製造装置は薩摩藩士がみんなで分担した金で購入した大事な宝物です。旧薩摩藩士やその子孫たちを守るために使われるべきです。それをみすみす中央政府に奪われたことに腹を立てたらしい。
□ただし、旧薩摩藩以外の者から見れば、これは馬鹿げた考えです。薩摩藩は調所(ずしょ)広郷(ひろさと、笑左衛門)が天保(てんぽう)9年(1838年)に財務担当職に就任したときに500万両という膨大な借金を抱えていました。破綻寸前だったらしい。調所は商人たちを脅して250年の無利子の分割払いにさせたといわれます。しかも明治5年(1872年)以降は廃藩置県にともない債務は不履行となったようです。ホントなら2085年まで支払い続けるべき借金なのに。
□薩摩藩以外の者にとっては、スナイドル銃の弾丸製造設備は鹿児島県だけの財産ではありません。明治政府の山縣有朋(ありとも)と大山巌(いわお)、陸軍における長州と薩摩の代表者もそう考えたのでしょうか。協力して弾丸製造設備を大阪に移送してしまったそうです。ついでに弾丸も大量に運ばれたようです。
[ろ]直前に西郷を暗殺するために爆破事件が3件ほど起きた(×)
■西郷隆盛を暗殺する企てがあったのかどうか。残念ながら明白な証拠はないようです。爆破事件などは起こっていないらしい。
□西南戦争直前に、東京から帰郷した薩摩出身の複数の者が暗殺者の疑いをかけられ、拷問されて死んだらしい。そのうち1人は暗殺者であることを自白したともいわれます。当時の警視総監にあたる川路利良(としよし)に命じられたと語ったらしい。川路利良は薩摩出身の官僚で警察組織の生みの親といわれます。
□自白の信憑性にはやや疑問も残ります。死に至る拷問です。楽になりたい者が嘘をついた可能性も考えられますけど。いずれにせよ、川路利良と大久保利通は同郷の西郷暗殺の命を下したと鹿児島では見られており、現在でも不人気だそうです。
[は]西郷軍の総司令官は桐野利秋(としあき)がつとめた(×)
■参考資料*1によれば、西郷軍の指揮官は西郷隆盛だそうです。当たり前か。
□官軍の指揮官は有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)と山縣有朋、川村純義(すみよし)の3人だったらしい。有栖川宮は、皇女和宮(かずのみや)と婚約していたのに、公武合体論で14代将軍家茂(いえもち)にさらわれてしまった人物ですね。川村純義は薩摩出身の海軍の親分らしい。有栖川宮を担ぎ出すことで薩摩を朝敵とし、陸軍と海軍、長州と薩摩出身の大物を前面に立てることで明治政府の本気度とか平衡感覚を見せたのかな。
□桐野利秋は、幕末では人斬り半次郎と呼ばれ、戊辰戦争でも活躍した人物ですね。明治新政府では陸軍少将をつとめました。西南戦争では軍需品の調達を担当したり、四番大隊の指揮をとったりしたそうです。
[に]西郷軍は官軍の指揮官乃木希典(まれすけ)に連隊旗を奪われ、士気を落として敗北した(×)
■これは逆ですね。乃木希典は官軍の第14連隊を率いて2月22日の夕刻に現熊本市内で西郷軍との戦闘に入ったようです。乃木の部隊は西郷軍の半数ぐらいだったようですが、3時間ほどは持ちこたえます。午後9時ごろに撤退する決意を固めますが、連隊旗を持っていた尉官が狙撃され、旗を奪われてしまったらしい。
□西郷軍は連隊旗を見せびらかしたとのこと。乃木希典はおおいに傷つき、4月に入ってから司令官である山縣有朋に自分に対して厳しい処分を科してほしいと願ったようです。でも山縣は不問に付すと指令書で答えたとのこと*1。
□その後、乃木は何度か自殺を図っているとのこと。1度は乃木とともに日露戦争で活躍する児玉源太郎(げんたろう)に軍刀を奪われて失敗しているようです。自殺願望がある人なので明治天皇に殉死したのかな。
[ほ]西郷軍の死者数は官軍の10倍にも及んだ(×)
■参考資料*1によれば、官軍の死者数が6400人、西郷軍は6800人だそうです。大きくはかわりませんね。戦力では官軍7万人、西郷軍3万人とのこと。明治10年(1877年)の9月24日、半年以上におよぶ内戦は終結します。士族がどんな形で不平を鳴らしても時代の流れの前では無意味である。西郷隆盛、桐野利秋らは、この教訓を残して散っていきました。
◆参考*1:HP「西南戦争 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%8D%97%E6%88%A6%E4%BA%89
◇*2HP「乃木希典 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%83%E6%9C%A8%E5%B8%8C%E5%85%B8#.E8.A5.BF.E5.8D.97.E6.88.A6.E4.BA.89.E3.81.B8.E3.81.AE.E5.BE.93.E8.BB.8D
◇*3HP「警視庁の生みの親、川路利良(としよし)の命日。フランスで客車から雲古を不法投棄したの?」
http://blog.q-q.jp/201010/article_10.html
◇*4HP「第3代内閣が組閣された日。3人目の総理大臣って誰だっけ?」
http://blog.q-q.jp/200912/article_30.html
◇*5HP「桐野利秋 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%90%E9%87%8E%E5%88%A9%E7%A7%8B
◇*6HP「桐野利秋の命日。通称「人斬り半次郎」は、10人以上の幕臣を斬り捨てたの?」
http://blog.q-q.jp/200809/article_37.html

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2012/02/18 22:07

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
いつの時代でも、時代の変化についていけない人々というのがいるわけで・・・・
いまでも、熊本城の石垣から当時使われた鉄砲の弾が出てくることがあると、熊本出身の友人から聞いたことがあります。
ねこのひげ
2012/02/16 06:45
コメントをありがとうございます。

 素町人も時代の変化に取り残されています。でも武器をとって立ち上がる勇気はなく、酒を飲んで愚痴をこぼす程度が関の山です。
 ついていけない人には同情を覚えます。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/02/16 17:03

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