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zoom RSS 希代の毒婦夜嵐お絹。何人の男を殺したの?

<<   作成日時 : 2012/01/14 08:40   >>

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★歴史★
問題:高橋お伝という妖女の名前を耳にしたことがあると思います。明治12年(1879年)に8代目山田浅右衛門に斬首され、死刑を執行されました。日本における女性死刑囚として最後の斬首刑だったらしい*1。
■お伝の7年前、明治5年(1872年)に斬首された夜嵐お絹という毒婦がいます。明治5年は太陰暦最後の年ですね。この年の12月2日が大晦日、翌日は12月3日ではなくて明治6年1月1日になったそうです。
■余談です。最近聞いた話によれば、太陽暦に変えたのは、明治新政府の財政逼迫も理由のひとつだったらしい。明治6年は閏月のある年であり、旧暦のままだと月給を13か月分払う必要があったとのこと。1か月分多く人件費がかかるわけですね。明治5年の12月を2日までとして翌日から明治6年にしてしまえば節約できる。どうも明治5年12月分の官吏の給料は支払われなかったようです。日割り計算でいいから払って欲しかったでしょうけど。
■閑話休題、本日の問題。夜嵐お絹という毒婦はのちに小説や芝居の題材になったり、歌に歌われたりしたそうです。では、彼女は何人の男性を殺したのでしょうか?
[い]誰も殺していない(未遂に終わった)
[ろ]1人
[は]2人
[に]3人
[ほ]4人以上
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]1人
説明:夜嵐お絹の事件は、かいつまんでいうと、「高利貸の妾が美少年の役者と通じ、旦那を鼠捕りで毒殺した事件」ということになるようです。ただお絹の出自とか犯罪にいたるまでの経歴については、諸説が入り乱れており、どれがホントなのかよくわからないところもあります。実は処刑されたのも明治4年説と5年説があってはっきりしないようです*3*4。
■参考資料*4によれば、旗本の娘だったらしい。幕末の混乱の中で両親も失い、芸者として暮らしていたところ、高利貸の小林金平(かねへい?)という人物にであったようです。金で苦労したくなくなったお絹は妾となったらしい。
■明治2年(1869年)の春に風邪をこじらせてお絹は数ヶ月ほど寝込んだらしい。占いによれば、方角が悪いとのこと。猿若町(現台東区)に引っ越したところ、快方にむかったようです。
■猿若町は、中村座・市村座・森田座の歌舞伎劇場三座があったところです。お絹はここで昔の知り合いに解逅します。聞けばいまは役者になって嵐璃鶴(りかく)一座にいるとのこと。知り合いに紹介されて座長の璃鶴に会ってみると、25歳という若さであり、美しい役者だったそうです。
■明治3年(1870年)5月のある雨の夜。2人はなるようになってしまったらしい。当時の草双紙によれば、「数も重なる一間の中、人目もなければ酔にまぎらし、たがいに解きし心の謎、罪をば酒にかこつけて、夜のふけるまで転び寝の、窓もる月のつめたきが、二人が中の結びの神、この仇夢の夜嵐が散らす花とは誰か知る」。
■お絹は旦那をうとましく思うようになります。板橋にある縁切り榎の皮を剥いで煎じて飲ませてみたらしい。でも効果はなかったようです。当たりまえか。
■やがて小林金平もお絹と璃鶴の仲に気付きます。璃鶴に会えないようにと、お絹の頭を剃ってしまったらしい。お絹はここにいたってもう金平を殺すしかないと覚悟を決めたようです。石見銀山の殺鼠剤を使い、飯の中にも混ぜ、薬と称して白湯でも飲ませ、ついに毒殺に成功したらしい。
■死体のあちこちが紫色になり、怪しい死にかたではありましたが、内々に埋葬してしまったらしい。このとき、お絹は満30歳の直前ぐらいだったようです。
■37日が過ぎたころ、お絹は璃鶴のもとに行き、お前と一緒になりたいばかりに旦那を毒殺したと白状したそうです。璃鶴は仰天し、真っ青になりますがお絹は冷静です。こうなったうえはお前と死ぬまで連れ添いたいと口説きます。元はといえば璃鶴の過ちでもありますので、やむをえず、その後も関係を続けたらしい。
■小林金平の死に怪しい点があるという噂が流れ、警察が動きます。事件の半年後にお絹は逮捕されます。璃鶴も訴えでなかったことをとがめられ、2人は裁かれます。お絹は斬首による死刑。璃鶴は懲役(徒罪)2年だったらしい。
■お絹は璃鶴の種を宿していたらしい。死刑は延期され、出産後にあらためて首をちょん切られることになります。子供は明治4年11月末に生まれ、璃鶴の知人が引き取りました。
■翌明治5年の5月20日。お絹は晴れ着を着て刑場に向かいます。手には珠数が握られています。この珠数は強く握ると壊れてしまうもの。108粒の飯粒を糸で貫いたものだそうで、ムショ仲間の女囚たちが作ってくれたものらしい*3。
■首切り浅右衛門は関孫六兼光(せきのまごろくかねみつ)の2尺3寸5分の愛刀を使い、一刀のもとに切り落としたそうです。関孫六といえば、三島由紀夫が割腹自殺を遂げた際に介錯に使われた刀とおなじなのかな。よく切れるんでしょうね。三島由紀夫の場合は介錯人が慣れていなかったせいか、なんども切り損じて遺体の首にはたくさんの傷が出来ていたらしい。
■斬首刑の場合、晒し首にするわけですから座りがいいように切らねばならないらしい。専門職としての首切り浅右衛門の存在価値は、そういったところにもあるのでしょうか。
■浅右衛門は世間で話題になった人物の生前の最後の顔と死に顔を両方見られるようです。役得ですね。夜嵐お絹を見た感想では、「大したものとは思えなかった。細面で顔は蒼白い。そうとびつきたいほどの女ではありません」とのことでした。
■それにしても毒婦とか妖婦という呼称はあてになりません。高橋お伝も夜嵐お絹も1人だけを殺して死刑だそうです。昔の死刑は見せしめとして犯罪抑制の効果を狙っていたからなのかな。現代の欧州では、たとえば平成23年(2011年)7月に起きたノルウェーのテロでは、70人以上を殺しても禁錮30年がせいぜいだとか*6。「毒夫」とも呼ばれないようです。人殺しをするなら時と場所を選ぶべきかな。
◆参考*1:HP「高橋お伝が処刑された日。お伝のあの部分はホルマリン漬けになっているの?」
http://blog.q-q.jp/200801/article_18.html
◇*2HP「今の暦を採用した教皇の誕生日。明治の日本が採用したときは大混乱だったの?」
http://blog.q-q.jp/201001/article_7.html
◇*3書籍「明治百話」初版31〜32頁、篠田鑛造(こうぞう)著、角川書店
◇*4書籍「幕末明治風俗逸話事典」初版280〜283頁、紀田順一郎(きだ じゅんいちろう)著、ISBN4-490-10338-7、東京堂出版
◇*5HP「夜嵐おきぬ - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E5%B5%90%E3%81%8A%E3%81%8D%E3%81%AC
◇*6HP「ノルウェー連続テロ事件 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E9%80%A3%E7%B6%9A%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
うちの先祖には、旅役者の女にのぼせて、後を追いかけて行き、行方不明になったのがいるそうです。
今も昔も、役者というのは魅力があるもののようですね。
いまだったら、懲役3年、執行猶予5年というところでしょうかね。
高橋お伝の墓は、谷中墓地にありますね。道路に面してありました。
墓参りすると、三味線がうまくなるとか・・・
ねこのひげ
2012/01/15 05:58
コメントをありがとうございます。

 旅役者の女性にのぼせて行方がわからなくなる。堅気の人間としては失格でしょうけれど、一人の人生として眺めると、なかなか大胆であり、後悔のない決断だったのかもしれません。
 多くの人はやってしまった愚行よりも、勇気や決断力が不足してやらなかったことを悔やむそうですから。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/01/16 09:49

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