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zoom RSS 家康の隠し子ともいわれる江戸初期の老中はだれなの?

<<   作成日時 : 2012/01/21 08:25   >>

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★歴史★
問題:徳川家康は、英雄らしくかなりの色好みだったといわれます。年配になってからも盛んだったらしい。参考資料*1によれば、2妻15妾といわれます。それも表立ったものだけであり、隠されたものはさらに数が多いらしい。「表立った」とは、子供を儲けたという意味だそうです。孕まなかった女性は当時の記録にも残らないわけですね。
■江戸時代初期の老中にも、家康の血を受け継いだものがいるといわれます。最初の正室である築山殿(つきやまどの)が生きていたころの子供らしい。築山殿に遠慮して部下に押しつけてしまったといわれます。では江戸時代初期の有名な老中であり、家康の実の息子であると言われるのは次のだれでしょうか?
[い]本多正純(まさずみ)
[ろ]松平信綱(のぶつな)
[は]土井利勝(としかつ)
[に]酒井忠勝(ただかつ)
[ほ]阿部忠秋(ただあき)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]土井利勝(としかつ)
説明:土井利勝の文字面を眺めていると、ひょっとしたら板前かなとも思えます。「おふくろの味」という言葉を流行させ、さらに日本語として定着させた関西の名料理人土井勝(まさる)と似ているからかな*2。どちらの土井氏も得手に刃物で世渡りしたという点では共通ですけど。
■庖丁人ではないほうの土井利勝は、元亀(げんき)4年(1573年)3月18日に生まれたそうです。徳川家康の伯父水野信元(のぶもと)の3男として生まれたことになっています。ややこしいのですが、系図としては土井利昌(としまさ)の子供となっているらしい。
■土井利昌は三河国土居村の住人だそうです。家康に仕えて500石どり。徳川四天王・徳川三傑の一人である榊原康政(やすまさ)の支配下だったという話もあります。天正元年(1573年)12月27日の夜、土井利昌が岡崎城に詰めていると家康に呼ばれます。家康は、「その方に男児が出生したそうであるが、めでたい」といいます。土井利昌は意味がわからず、家康の顔を見上げると、重ねておなじことをいったとのこと。土井利昌は「はっ」といって引き下がったようですが、「上様は何をいっているのかな」と思ったことでしょう。
■帰宅すると男児を抱いた女性がいます。聞くと、家康に内々に養ってもらえと言われてやってきたといいます。これで合点がいきました。正室築山殿の手前をはばかり、母子を預けるために謎をかけたようです。土井利昌はこの子を甚三郎と名付けて大切に養育したとのこと。「土井喜左衛門家譜」という書物には、そのように記されているらしい*3。
■Wikipediaによれば、徳川家の公式記録である「徳川実紀」にも実子説が紹介されているらしい。利勝は幼少時から家康の鷹狩りに随行することを許されるなど、破格の寵愛を受けていたとのこと。そのあたりから、ご落胤と噂されているようです。
■土井利勝は曲がったことが嫌いな人物だったらしい。知恵伊豆といわれた松平信綱があるとき、増上寺の櫓の白壁の修繕を家光に命じられたそうです。作業に入ってみると短時間ではとても修理できそうもありません。松平信綱は、櫓の戸をはずして欠損部分を覆い、修復したようにみせかけようとしたとのこと。土井利勝は姑息なごまかしはいけない。出来ないことは出来ないと率直に言上すべきであると信綱を叱責したそうです。
■元和(げんな)9年(1623年)に家光が3代目将軍を継ぎます。寛永(かんえい)9年(1632年)には秀忠が死にます。このとき、各大名家には、大納言忠長(ただなが、家光の弟でライバル)を将軍に推すのに同意してほしいという回状がどこからともなく回ったそうです。伊達政宗(まさむね)はまっさきに回状の件を家光に報告します。諸大名も次々と家光に報告したらしい。
■ところがごく少数の大名と忠長自身は回状のことを報告しなかったとのこと。報告しなかった大名は処分を受け、忠長も翌々年の正月に自殺することになります*4*5。この回状を回したのは土井利勝であり、大名の忠誠心を試したのだという説があるらしい。新井白石(はくせき)の「藩翰譜(はんかんふ)」という本にそんな意味のことが記されているそうです*3。新井白石は同時代の人ではありませんので、土井利勝がホントにそんな策略家だったのか、はっきりはわからないのですが。
◆参考*1:HP「土井利勝 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BA%95%E5%88%A9%E5%8B%9D
◇*2HP「土井勝 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BA%95%E5%8B%9D
◇*3書籍「世界人物逸話大事典」初版656頁、朝倉治彦・三浦一郎編、ISBN4-04-031900-1、角川書店
◇*4HP「徳川家光が弟を殺した理由は?」
http://blog.q-q.jp/200704/article_32.html
◇*5HP「秀頼の息子、7歳の国松が処刑された日。豊臣の祟りで徳川の国松も殺されたの?」
http://blog.q-q.jp/201006/article_17.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
明治以降、キリスト教が公になってから、女性蔑視がひどくなったような気がしますね。
女は弱いものという西洋的レッテルを貼った気がします。
江戸時代までの日本では、けっこう女性が強かった印象があります。
戦国時代には、長刀をふるって暴れた女武者もいましたし、死んだ夫の代わりに陣頭指揮を執って戦った女性ももいますからね。
ねこのひげ
2012/01/22 07:26
コメントをありがとうございます。

 実力主義の時代には、出自や身分、性別などよりも力量が重視されるのでしょうか。
 世の中が平和になり、秩序が生まれると、現在の優位な立場を維持したい人々によってさまざまな差別が生まれるのかもしれませんね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/01/22 22:00

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