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zoom RSS 琳派を再興した酒井抱一の代表作は、どんな屏風の裏に描かれたものなの?

<<   作成日時 : 2012/01/04 08:53   >>

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★歴史★
問題:あけましておめでとうございます。本年も弊クイズをよろしくお願いします。
m(_ _)m
■本日1月4日は、江戸時代を代表する大物画家の1人、酒井抱一(ほういつ)の命日だそうです。183年前、1829年の今日、満67歳で死んだらしい。和暦では文政11年11月29日とのこと。
■酒井抱一は世が世なら大名だった人のようです。1761年8月1日、和暦では宝暦11年7月1日に神田小川町の姫路藩別邸で産声をあげたらしい。名門酒井家の酒井忠仰(ただもち)の次男だったとのこと。長男でなかったのは残念ですが、平均寿命の短い江戸時代のことです。長男がいつ死んでしまうかもしれません。虎視眈々と遺産・跡目を狙って生きていく。そんな人生もありだったかもしれません。実際、長男の忠以(ただざね)が18歳で姫路藩の家督を継いだあと、姫路に参勤交代で帰る際には、忠以にもしものことがあったときにそなえる仮養子として抱一が選ばれていたらしい。
■忠以に長男忠道(ただみち)が誕生して以降は、仮養子になることもなく、いわゆる部屋住みでいたようです。禄は十分に貰っていたので、貧乏ではなかったようですが、武士としてはなんとなくちゅうぶらりんな暮らしだったらしい。ホントの養子の話もあちこちから声がかかっていたようです。でもすべて断っていたらしい。
■幸い、酒井家は代々風雅を解する家系だったようです。兄の藩主酒井忠以も俳人・茶人として知られているとのこと。忠以は茶人としても名高い松江の松平不昧公(ふまいこう)と仲が良かったともいわれます*3。江戸城大手門前の酒井邸は一種の文化サロンであり、当時の有名画家文人の類が頻繁に出入りしていたらしい。酒井抱一はこの空気の中で、自分でも何かを表現したくなったのかもしれません。
■狩野派を習い、長崎派を習い、浮世絵師歌川豊春(とよはる)にも習って画家としての修練を積んだそうです。
■寛政(かんせい)2年(1790年)に兄忠以が死にます。忠以の息子忠道が家督を継ぎます。その後、忠道は抱一の実弟を養子に迎えたらしい。なんとなく家の中で居場所が狭くなっていったようです。どんな決心があったのかはわかりませんが、寛政(かんせい)9年(1797年)に抱一は出家しています。
■狩野派に始まり、さまざまな画派を遍歴した抱一は、最後に尾形光琳(こうりん、1658〜1716)へたどりついたようです。出家前後に光琳への私淑が強まったらしい。尾形光琳は「燕子花図(かきつばたず)」など国宝を3点も生み出している江戸最大級の巨匠ですね。弟の乾山(けんざん、1663〜1743)とともに、江戸前〜中期を代表する芸術家です。
■武士としての桎梏(しっこく、束縛)から解放された抱一は、画家、俳人、狂歌師としての活動にのめりこみます。絵画では琳派への傾倒から江戸琳派と呼ばれる独特の画風を創出したとのこと。代表作といわれる重要文化財「夏秋草図屏風(なつあきくさずびょうぶ、口絵参照)」という銀屏風は、出家後に制作されたものらしい。
■ところで、この「夏秋草図屏風」は、尾形光琳のきわめて有名な作品の裏側に描かれたものだそうです。表は尾形光琳の名作、裏は酒井抱一の代表作という凄い屏風だったらしい。残念ながら近年では、保存維持の観点から、表裏を分離して2つの屏風に仕立てられているそうです。では、「夏秋草図屏風」の表側に描かれていた尾形光琳の作品とは次のどれでしょうか?
[い]「燕子花図」国宝
[ろ]「太公望図(たいこうぼうず)」重要文化財
[は]「風神雷神図(ふうじんらいじんず)」重要文化財
[に]「躑躅図(つつじず)」重要文化財
[ほ]「紅白梅図(こうはくばいず)」国宝
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]「風神雷神図(ふうじんらいじんず)」重要文化財
説明:風神雷神図でよく知られるのは、尾形光琳よりも前の琳派の巨人、俵屋宗達(たわらや そうたつ)の作品です。こちらは国宝に指定されています。尾形光琳は、俵屋宗達の技法を知ろうとしたのか、模写したらしい。模写した作品ではありますが、立派に表装されて屏風に仕立てられていたようです。
▼風神雷神図(尾形光琳の作品)
画像

■酒井抱一は、風神の裏側には風に翻弄される秋草を描き、雷神の裏側には驟雨(しゅうう、強いにわか雨)に濡れる夏草を描いているそうです。なかなか洒落た趣向ではあります。
■尊敬する先人の作品の裏側に絵を描いてしまうのは、大胆きわまりないことではあります。酒井抱一にはその資格があったのでしょうし、自分の絵もけっして負けないという自負もあったのでしょう。
■俗な話で恐縮ですが、もし当時のままに、つまり表裏のままに保存されていれば、表裏ともに重要文化財に指定されるクラスの最高の骨董品です。鑑定団に登場したらいくらの値がつくでしょうか。ひょっとしたら値はつけられないと鑑定士が値を上げる、失礼、音を上げるのかもしれませんね。
◆参考*1:HP「酒井抱一 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E6%8A%B1%E4%B8%80
◇*2HP「松平不昧公の誕生日。落語「火炎太鼓」のモデルの殿様なの?」
http://blog.q-q.jp/201003/article_16.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
あけましておめでとうございます。
今年もコメントをさせていただきますのでよろしくお願いします。
酒井抱一が、あの酒井家と繋がりがある画家とは知りませんでした。というか忘れていたのかもしれませんが・・(^^ゞ
教育テレビで、この屏風の両面に描かれているというのは取り上げられていたのは記憶していたんですけどね。
当時の次男三男は大変だったようですね。
養子先が見つからねば、一生部屋住みの冷や飯食い。
画家になったのもずいぶんいたようで、謎の浮世絵師「写楽」も侍であったらしいですからね。
ねこのひげ
2012/01/05 06:41
コメントをありがとうございます。

 今年もよろしくお願いします。
m(_ _)m
 部屋住みは武士だけでなく、貴族にもあったようですね。「御曹司」という言葉がありますが、この「曹司」は「部屋」という意味とのこと。もともとは部屋住みの公達を「御曹司」と呼んだそうです(「御伽草子集」54頁、小学館完訳日本の古典49巻)。きっと御曹司は長男に比べれば「もらいが少ない」のでしょうね。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2012/01/05 09:32

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