伏見稲荷に対し、日本中の狐を殺してしまうぞと脅した武将はだれなの?

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★歴史★
問題:ある武将のお話です。可愛がっていた娘を嫁(とつ)がせましたが、出産後、体調が思わしくありません。病を占ってもらったところ、狐に憑かれていることがわかりました。
■心配した武将は、部下に命じ、全国稲荷神社の総本社である伏見稲荷を脅したらしい。稲荷神社のおつかいが狐だからでしょうか。もし病気が速やかに治らないときには、伏見稲荷はぶっ壊すし、全国の狐を皆殺しにしてやると言い渡したとのこと。
■娘かわいさのあまり血迷い、暴言を吐いたこの大将は、歴史上かなり有名な人物でもあります。誰でしょうか?
[い]織田信長
[ろ]豊臣秀吉
[は]徳川家康
[に]三好長慶(ながよし)
[ほ]松永久秀(ひさひで)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]豊臣秀吉
説明:朝鮮征伐や刀狩りで知られる人物は、稲荷征伐や狐狩りもやるところだったんですね。知りませんでした。
■秀吉は、男の実子は秀勝(ひでかつ)、鶴松(つるまつ)、秀頼(ひでより)の3人だったそうです。このうち、秀勝と鶴松は学齢前に死んでしまいます。秀頼は成長しますが、実子かどうかが疑われています。
■身長五尺(152cm)ほど、人一倍小柄だった秀吉の子供秀頼が身長6尺5寸(197cm)になるというのは、たしかにちょっと妙ではあります。ただし、母方淀殿の祖父・祖母にあたる浅井長政(ながまさ)・お市の方はどちらも長身だったらしい。隔世遺伝ならありうるのかな*3。
■秀吉はたくさんの養子をとったそうです。そのうちの1人に前田利家の4女豪姫(ごうひめ)がいるとのこと。天正(てんしょう)2年(1574年)に生まれてすぐに秀吉夫妻に引き取られたそうです。秀吉はこの養女をたいへん慈(いつく)しんだらしい。北政所(きたのまんどころ、正室の高台院、通称ねね)にあてた手紙の中で、もし豪姫が男の子だったら関白職を与えたいと書いているそうです。
■豪姫は天正(てんしょう)16年(1588年)に宇喜多秀家(ひでいえ)に嫁ぎます。ところが、その後は病気で臥せることが多かったようです。文禄(ぶんろく)3年(1594年)10月には産後に原因不明の病に冒されたらしい。で、占ってもらったら狐が憑いていたとのこと。
■秀吉は占い師の言うことを信じたのか、五奉行の石田三成(みつなり)と増田長盛(ました ながもり)に命じて、伏見稲荷大社に次のように迫ります。
■「日本国においてたれか公儀(秀吉)を軽んじるものがあろうか。いわんや畜類が秀吉の畏(おそ)れをのがれることができようか。すみやかに秀家夫人から狐を退去せしめよ。万が一にもまだ憑いていて秀家夫人の身に危険がおこったならば、稲荷社を即時に破却し、以後、毎年日本国中の狐狩をおこない、一匹もいなくなるまで殺し果たすであろう。したがって社人は、秀吉の命にしたがって祈祷(きとう)に励め」
■この文章は、石田三成と増田長盛の連名で書かれ、伏見稲荷につきつけられたらしい。伏見稲荷側では驚いたでしょうね。運悪く宇喜多秀家夫人が亡くなりでもしたら、自分たちも運の尽きかもしれません。責任はまったくないのに。いい加減な占い師と暴力的な独裁者のせいで破滅してしまうのか。
■豪姫と秀吉、そして稲荷神社、さらには日本の生態系にとって幸いなことに、豪姫の病気は回復します。寛永(かんえい)11年(1634年)まで生きていますから、満60歳前後での死去かな。当時としてはごくふつうの寿命です。危機を乗り切った伏見稲荷大社は、いまでも善男善女の参詣が絶えません。日本の狐も絶滅をまぬがれ、江戸時代には全国的に大活躍して人間を化かしていたようです。
◆参考*1:書籍「日本史こぼれ話 古代・中世 正編」新書初版179~181頁、笠原一男/児玉幸多編、ISBN4-634-60330-6、山川出版社
◇*2HP「豪姫 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%AA%E5%A7%AB
◇*3HP「日本代表「豊臣秀頼」と中国代表「安禄山」ではどちらがデブ?」
http://blog.q-q.jp/200706/article_33.html

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この記事へのコメント

ねこのひげ
2011年12月15日 05:20
ありゃ~っ、秀吉さん、そんなことまでやっていたんですか?
頂点に立つまでは、見事な人生なんですが、それからがいけませんね。
暴走が始まって・・・きちんと固めてれば、まだ豊臣政権は、続いていたかもしれませんよね。
ねこのひげ様<素町人
2011年12月16日 08:57
コメントをありがとうございます。

 独裁者は大きな事業をなしとげることもありますし、くだらない失敗をすることもあるようですね。狐狩りは、おそらく当時の人々の失笑を買ったんでしょうね。
(^^;)
丹波鬼
2016年03月28日 03:36
ちょっと本意は違うと思いますねぇ
秀吉はこれを迷信と思ってた、されどそれをそのまま言えば迷信深い者達に不快感を持たせる。
そこでこんな茶番を仕組んで自身の威信を保ちつつ周囲を納得させた。
秀吉の人たらしが計算され尽したものだった、という解説をこの逸話を紹介していた本で読んだ事があります。
丹波鬼様<素町人
2016年03月28日 09:27
コメントをありがとうございます。

 なるほど。そういう仮説もあるわけですね。勉強になります。
 でも、この仮説にはちょっと不自然な点もありますね。
 いちばん大きな疑問は「迷信だと思っているならなぜ占い師に依頼したのか」という点でしょうか。
 歴史は証明不能な仮説の集合体でしょうから、さまざまな仮説があっていいわけでしょうけれど。
(^^;)
丹波鬼
2016年04月30日 20:06
そうですね。
結局秀吉と言う人に持つ各々のイメージでいくらでも見方が変わる程度の逸話だと思います。
秀吉は複雑な人です。万人を魅了する魅力を持ちながらも猜疑心が強く、ドライな一面も持つ。それゆえ様々な憶測が成り立つのでしょう。
小説の題材としては持って来いな人ですね。

疑問に持たれた点ですが、この逸話は豪姫が宇喜多秀家に嫁いだ後の話ですので宇喜多家で祈祷が行われた上での報告を秀吉が聞いた上での行動、とも読み取れます。
何分、出典が願文と江戸中期に編纂された「武徳編年集成」ですので確かな事は解りませんが、後者によると「宇喜多家の室、妖怪に侵され悩乱す。秀吉来臨しこれを聴く云々」とありますので見舞いに訪れた秀吉が宇喜多家の者からこう聞いた、と読み取る事が出来ます。
一次資料ではないので確定情報ではありませんが、私が読んだ本はこれを論拠に推測を組み立てた物だと思われます。
名無し
2017年01月04日 06:02
こういうブログが秀吉への悪意を生むんですねー。
秀吉が在来宗教(日本人系神道)と外来宗教(外国人系の仏教、稲荷。が中国百済に居た日系人が秦氏の可能性もありますが。)を区別していた感はありますが。

なんせ願文ですし出典を見て「この話は本当に信憑性あるのか?」って気にしかならないですが、何にせよハメた占い師が問題ですね。
秀吉の晩年の政策を見ればわかりますが、暴力的独裁どころか日本人奴隷の英雄ですから。

【豊臣秀吉太閤さんから見る楽しい政策等】

・バテレン追放令(日本人奴隷+宗教侵略者カス白人側を成敗し、日本人奴隷化の阻止に励む秀吉 = 日本人奴隷の英雄、秀吉
・庶民が太閤記、太閤さん秀吉ワッショイ
・刀狩り
・神社等を保護
・太閤堤、御土居(ナイス竹林)荒れ果てた京都を復興
・大和四座保護政策等、能を保護→徳川幕府に継がれ現代まで活きる
・太閤能等、自ら能を演じる文化人っぷり
・北野大茶湯でなんと天下人自らが最下層だろうともてなすというフリーダム
・金をばらまく
・呼子大綱引
・海中盆綱引き
・石清水八幡宮に釣灯籠奉納
・深山プレゼント
・1594年 吉野山の大花見5000人コスプレパーティー
・1594年 禁中能で天皇陛下に披露
・1585年 正親町天皇へ禁中献茶
・1585年 秀吉の禁裏献茶で台子点前
・醍醐の花見
他大量

・交渉人の景轍玄蘇「朝鮮征伐は朝鮮人がした元寇の自業自得」
・落書き事件も仏教ゲリラ一帯の自業自得。ゲリラ頭領の顕如との対立からも明らかで、1584年には仏教ゲリラが大坂大破壊(岸和田の戦い云々

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