町人思案橋・クイズ集

アクセスカウンタ

zoom RSS 江戸城中での刃傷沙汰は江戸時代を通じて何件ぐらい起こったの?

<<   作成日時 : 2011/11/05 09:36   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 21 / トラックバック 0 / コメント 7

画像
★歴史★
問題:「殿中でござるぞ」。赤穂浪士にまつわるお話で知られるとおり、江戸城の中では刀は抜いてはいけないことになっています。忠臣蔵の加害者が切腹を命じられたように、殿中で刃傷沙汰を起こせば当人は生きていられません。領地は召し上げられてしまいます。一族郎党は失業。路頭に迷うことになります。
■厳しい罰則があるにもかかわらず、何人かの侍たちは堪忍袋の緒を切ってしまい、遺恨ある人物に一太刀を浴びせたそうです。元禄(げんろく)14年(1701年)に浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)の額に傷を負わせた事件がいちばん有名です。
■歴史の授業で習うところでは、田沼意次(おきつぐ)の息子意知(おきとも)も、天明(てんめい)4年(1784年)に斬られ、8日後に死亡しているそうです。これをきっかけに反田沼派が勢いをつけ、松平定信(さだのぶ)らが台頭したらしい。
■では、江戸時代260余年のあいだに、殿中での刃傷沙汰は何件ぐらいあったのでしょうか?
[い]2件
[ろ]4件
[は]9件
[に]15件
[ほ]22件
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]9件
説明:参考資料*1によれば、全部で9件発生しているらしい。
■江戸時代も中期ぐらいまでは、武士は武士らしかったようです。享保(きょうほう)元年(1716年)9月に成立したという「葉隠」には、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という有名な台詞が記されているそうです。
■でも後期になると、武士道も廃れます。以前、弊クイズでご紹介した変な事件もありました。江戸の北町奉行所内で刀を持った百姓が暴れた事件です。武士と奥方が2人ずつ斬殺されています。助かった武士たちも逃げ惑うばかりであり、下人たちが百姓を取り押さえたそうです*2。殿中刃傷沙汰9件のうち、いちばん最後に起こった事件でも、似たようなぶざまな武士が出てくるそうです。
■文政(ぶんせい)6年(1823年)の4月22日のことだったそうです。西丸御書院番松平外記(げき、忠寛(ただひろ))という旗本が加害者です。剛毅木訥(ごうきぼくとつ)な人物だったらしい。調子がいいだけの同僚の旗本たちとは反りがあわず、つねに摩擦があったようです。
■被害者5人。沼間(ぬま)右京、本多伊織(いおり)、戸田彦之進(ひこのしん)の3人は斬り殺されたようです。間部源十郎(まなべ げんじゅうろう)、神尾五郎三郎(ごろうさぶろう)の2人は負傷したらしい。他にも大勢が負傷しているという話もあります。
■神尾五郎三郎は、抵抗もせずに慌てて逃げ出したらしい。背後から尻を切られたそうです。「武士にあるまじき後傷(うしろきず)」ですね。
■「おのおの方!、狼籍者だ!、出合え!、助けてくれー!」と叫んだようですが、肝心の「おのおの方」はみな逃げ出し、部屋の戸を外から押さえていたらしい。参考資料*1には次のような場面が描かれていました。
---「神尾だ。戸を開けてくれい!、頼む、助けてくれ!」
---「神尾氏、だいじょうぶか、危なくはないか」
■「戸の内外ではおよそ武士らしからぬ情けない問答が続いた」。で、戸を押さえていた連中は手を離すと、後をも見ずに逃げ出したそうです。ひどいのになると縁の下に逃げこんだのがいたとのこと。臆病者の1人は便所に隠れたらしい。夜が更けるまで恐くて出てこられなかったとのこと。事件の吟味が行なわれた際には、「突然に痔が起きまして」といいわけしたそうです。なんじゃ、そりゃ。
■松平外記は、殿中で腹を切って死にました。その父親は職を免じられたとのこと。でも、外記の子の栄太郎が家を相続できたそうです。被害者側はむしろひどい処罰を受けています。免職・改易・家禄の削減、没収などが行なわれたらしい。勝手な憶測を申し上げれば、外記の激情のおかげで綱紀が粛正された。ユルフンだった連中は酷い目にあい、松平外記の家に穏便な取り計らいが行なわれた…のかもしれませんね。
◆参考*1:書籍「大江戸かくれ話事典」初版140〜141頁、平田公(ひらた こう)著、ISBN4-7947-0288-4、叢文社
◇*2HP「丸腰の一般人が複数の武士を殺傷する事件。江戸時代にそんなことがあったの?」
http://blog.q-q.jp/201103/article_25.html
◇*3HP「松平忠寛 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%A4%96%E8%A8%98

ぬけられます→歴史雑学クイズ一覧

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 21
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた
面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
去年、国立公文書館で『江戸時代の武士の暮らし』という展示会があって、江戸城の部屋で切腹している絵を見ました。
このときの模様を描いたものかもしれません。
ねこのひげ
2011/11/06 05:54
コメントをありがとうございます。

 浅野内匠頭は捕まってからいったん他の大名家に移送され、その日の夕方に大名家の庭で切腹だったようですね。
 それまでの刃傷沙汰では、切腹という処罰はなかったとも聞きます。
 田沼意知を斬った佐野政言(まさこと)も意知の死が確定してからの切腹だったらしい。江戸城内ではなさそうです。
 9件の殺人/傷害事件のうち、江戸城内で加害者が切腹したという例は、かなり少ない可能性があります。

 ねこのひげ様がご覧になった切腹の絵は、松平外記の最期を描いたものという可能性は十分にありそうですね。
(^_^)v
ねこのひげ様<素町人
2011/11/07 11:31
去年だったので、どこか引き出しにチラシが残っているかもしれないと思い、探したら出てきました。
文久6年となっているので、外記ではないようです。
切腹のさいに白装束ではなく、色の付いた袴と裃で、前をはだけて、刀を腹に突き立てている横でふすまに手を挟まれている人物と物入れの後ろに隠れよとしている人物が描かれているので、状況は似たようなものですかね。
『文久6年 いじめにあい江戸城内にて刃傷におよんだ事件の覚書』と書かれていた文章に添えられていた絵だそうです。
残念ながら切腹している人物の名前は書いてないようです。
ねこのひげ
2011/11/08 03:55
いま、名前が載ってないかと検索したら、文久って4年までしかないんですよね。
でもチラシには文久6年・・・・印刷ミスかもしれません。
文政6年の間違いとすれば、絵で切腹しているのは外記ということになります。
政→久かと?
たぶん、印刷ミスでしょう。
ねこのひげ
2011/11/08 08:19
コメントをありがとうございます。

 ひょっとしたらと思って、「松平外記 切腹」という検索語でグーグルやヤフーの画像検索を調べてみました。
 ねこのひげ様がご覧になったのと似たような絵がどちらも1番目に掲載されていました。

 この絵を掲載しているブログによれば、この絵はいじめにあった松平外記が周囲の連中に復讐したあとで自分の腹に刀を立てているところのようです。
 いかがでしょうか。
 この絵がご覧になった絵であれば、文久は誤植であり、文政なのかもしれません。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2011/11/08 17:07
検索してみました。
チラシと同じ画像です。
松平外記でまちがいないですね。
念のため、『国立公文書館』のホームページを見てみたら、そこにもこの絵が掲載されてました。
その年号が、文久6年・・・・説明を書いた人が誤植に気がついてないようです。
松平外記で検索したら、ウィキペディアにありました。
外記は本名忠寛といい、この事件のことは芝居にも文学にもなったとありました。
かなり有名な事件だったようですね。
ねこのひげ
2011/11/09 03:59
コメントをありがとうございます。

 疑問が氷解されたようでなによりです。国立公文書館のHPにも「誤植じゃないの」と伝えたほうがいいかもしれませんね。
(^^;)


ねこのひげ様<素町人
2011/11/09 08:07

コメントする help

ニックネーム
本 文
江戸城中での刃傷沙汰は江戸時代を通じて何件ぐらい起こったの? 町人思案橋・クイズ集/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる