貝原益軒(えきけん)の命日。健康食として納豆を絶賛していたの?

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★歴史★
問題:貝原益軒先生といえば、われらシモジモの男性には「接して漏らさず」という言葉が有名です。まぐわいつつもいかない。そんな意味らしい。それじゃなんのためにまぐわうのか。よくわかりません。でも、そうすることで健康は保てると主張されているようです。「健康のためなら死んでもいい」という冗談がありますが、貝原益軒先生は、「健康のためには小さな死を避けよ」と教訓を垂れているらしい。
■代表作「養生訓(ようじょうくん)」のおかげで、江戸時代の健康学の大家というイメージがある貝原益軒先生です。もともとは福岡藩士とのこと。勤め先をいちどしくじって7年間も浪人していたようです。そのあいだに医学を学んだらしい。藩主が代替わりして許され、京都に留学し、本草学・朱子学なども学んだらしい。
■博識で知られた人です。84年ほどの人生のあいだで60点ほどの著書があるらしい。「養生訓」の他には、「和俗童子訓(わぞくどうじくん、教育書)」、「大和本草(やまとほんぞう、薬草を中心とした事典)」などが知られているようです。著書は、多くの人に伝わるように、文体をやさしくしている本があるとのこと。苦労人ならではの心がけですね。
■本日、10月5日は、貝原益軒先生の祥月命日だそうです。それにちなみまして先生にまつわる雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか? (正解は複数かも)
[い]前野良沢(りょうたく)、杉田玄白(げんぱく)、平賀源内(げんない)などと同時代人である
[ろ]著書の中で納豆をベタ褒めしている
[は]著書の中で朝粥(あさがゆ)を褒めている
[に]湊川(みなとがわ)の楠公(なんこう、楠木正茂(まさしげ))の墓が荒れているのを嘆き、石碑を建てた
[ほ]どこにいくのもカミサンと一緒で鴛鴦(おしどり)夫婦として知られていた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]が正しい
説明:[い]前野良沢(りょうたく)、杉田玄白(げんぱく)、平賀源内(げんない)などと同時代人である(×)
■貝原益軒は、1714年10月5日、和暦では正徳(しょうとく)4年8月27日。満83年9か月18日の人生を終えたそうです。現代日本ですら男性としてはご長寿の部類ですね。生まれたのは江戸時代が始まったばかりの1630年12月17日、和暦では寛永7年11月14日だそうです。江戸時代前期に活躍した人物のようですね。
---前野良沢(享保(きょうほう)8年(1723年)~享和(きょうわ)3年(1803年))
---杉田玄白(享保(きょうほう)18年(1733年)~文化(ぶんか)14年(1817年))
---平賀源内(享保(きょうほう)13年(1728年)~安永(あんえい)9年(1780年))
この3人は、いずれも18世紀に生まれた江戸中期の人物です。平賀源内は横死していますが、「解体新書」の医学者2人は貝原益軒先生と同様、天寿をまっとうされました。
[ろ]著書の中で納豆をベタ褒めしている(×)
■貝原益軒先生は、「大和本草」という著書の中で次のように記しているそうです。 「納豆卜云物アリ、大豆ヲ煮熟シ、包テカビ出、クサリテネハリ出来、イトヲヒク」。納豆を食べると、気はふさぐし、内臓は調子が悪くなる。こんな古くて腐ったようなものは決して食べてはならないよ、と戒めているそうです*2。
□まことに残念ながら、益軒先生には、納豆の良さがわからなかったらしい。関西以西の人が納豆を頻繁に食するようになるのは、つい最近のことという話を聞いたことがあります。ひょっとしたら益軒先生の迷信が長く信じられてきたのかな。
□実際、1970年代、京都の新聞には、納豆を買ったら糸を引いていた。古い物を買わされたらしい…なんて投書する人がいました。投書欄を目にした東京からの流れ者は、文化の違いに仰天したものです。
[は]著書の中で朝粥(あさがゆ)を褒めている(○)
■参考資料*2によれば、納豆をくさした益軒先生は、朝粥についてはお褒めの言葉を述べておられるようです。健康にいいと言っているらしい。
□子供のころ、粥は病人の食べるものという固定観念がありました。風邪とか腹痛で寝込んだときだけ、粥を食べさせられました。ところが地方によっては、健康な人でも粥をよく食べるようです。奈良の茶粥はよく知られています。スペイン語圏に行くとアロス・コン・レチェと呼ばれる甘い牛乳粥があるとのこと*3。ライス・プディングの親戚筋の食べものらしい。
□「さらずとも 愛するように 言ひなして 世を渡るべき 粥と麦飯」。道歌なのか和歌なのかわからない三十一文字は、無住道暁(むじゅう どうぎょう)という鎌倉時代臨済宗の坊さんの歌だそうです。粥や麦飯は、「あまり旨いものではないけれど、嫌いじゃないという顔をすべき食べもの」ということなのかな。托鉢の僧侶は、行く先々で粥や麦飯を出されたのかもしれませんね。
[に]湊川(みなとがわ)の楠公(なんこう、楠木正茂(まさしげ))の墓が荒れているのを嘆き、石碑を建てた(△)
■益軒が京都留学から帰る旅だったのでしょうか。神戸の湊川を通り、楠公の墓が荒れはてているのを目撃したようです。嘆かわしいこと。これではいかんとみずから碑を建てようと思い立ったそうです。計画の実行を兵庫の人に託して帰郷したらしい。
□でも、故郷で落ち着いて考えてみると、楠公の偉業について、自分のような至らぬ者が碑文を記すのは僣越ではないかと思えてきたようです。兵庫へ詫びと断わりの手紙をやって、墓碑のことをとりやめたらしい。「自娯集(じごしゅう)」という最晩年の正徳(しょうとく)4年(1714年)に発表された本に記されている逸話だそうです。あとちょっとで石碑が建つところまでは行ったらしい。
□弊クイズでもかつて触れたように、神戸湊川神社の境内には、楠木正成の墓碑が建っているらしい。水戸藩主徳川光圀(みつくに)、いわゆる黄門様が元禄(げんろく)5年(1692年)に建てたようです。墓碑建立の現場監督は佐々木介三郎宗淳(ささきすけさぶろうむねきよ)という家臣だそうです。いわゆる助さんとのこと*4。貝原益軒先生が墓碑を建てようとして中止したのは、それよりも前なんでしょうね。
[ほ]どこにいくのもカミサンと一緒で鴛鴦(おしどり)夫婦として知られていた(△)
■どこに行くのもカミサンと一緒というのは事実に近いようです。ただし、それはカミサンが嫉妬深い女性だったからという説が強いらしい。20歳も年下だったようですが、夫の行くところにはどこへでもついて行ったそうです。
□貝原益軒先生は、説教臭い人のように見えますが、柔らかい側面もあったようです。遊廓によく出入りしていたらしい。たとえば京都遊学中には島原に通い、小紫(こむらさき?)という太夫と相愛の仲となったそうです。
□貝原益軒先生が福岡に帰るとき、小紫は別れを惜しんで、自分の姿を絵に画かせ、「姿こそ 絵にはうつせど なかなかに 通ふ心は 筆に及ばじ」という歌を添えて益軒に贈ったらしい。小紫の姉女郎の吉野(よしの?)も一言を加えて、「いくたりの 目に塩こぼす 糸桜」と詠んだと、橘南谿(たちばな なんけい)という医者・文人の「北窓瑣談(ほくそうさだん)」という随筆に記されているそうです。前の歌は、メールが欲しいというおねだりなのでしょうか。後の句の「目に塩こぼす」は涙と関係があるのでしょうか。どちらもはっきりとは意味がわかりません。
□色事がけっしてお嫌いではない、人間臭い貝原益軒先生です。「接して漏らさず」なんて不思議なことを言いだしたのはなぜなんでしょうね。漏らさなければ腎虚(じんきょ、過剰性行為による衰弱)にならないという根拠があったのかな。謎が残ります。
◆参考*1:HP「貝原益軒 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9D%E5%8E%9F%E7%9B%8A%E8%BB%92
◇*2書籍「歌で味わう日本の食べもの」初版、塩田丸男(しおだ まるお)著、ISBN 4-560-02775-7、白水社
◇*3HP「粥 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%A5
◇*4HP「楠木正成の子孫たちはなにをしてちょっと有名になったの?」
http://blog.q-q.jp/200902/article_16.html
◇*5書籍「世界人物逸話大事典」初版236~237頁、朝倉治彦・三浦一郎編、ISBN4-04-031900-1、角川書店

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この記事へのコメント

ねこのひげ
2011年10月06日 03:44
明石屋さんまさんは、中学のとき納豆を出されて家出したことがあるそうで、お母さんが関東の人だそうです。
スペインの甘い牛乳粥を食べたことがありますが、団体ツアーで一緒に行ったおばあさんがものすごくまずそうに食べていたのを思い出しました。
ねこのひげも次は断りましたけどね。
貝原益軒さんは『接すれど漏らさず」だけが有名になって変なおじさん扱いになってますね。
ねこのひげ様<素町人
2011年10月06日 21:52
コメントをありがとうございます。

 おなじ日本国民でありながら、納豆の旨さを知らずに生涯を終える人がけっこういるというのは驚きですね。当人たちは不幸とは感じないのでしょうけれど。
(^^;)

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