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zoom RSS 元禄の復讐劇で吉良上野介の首が切断されたのは12月15日の未明なの?

<<   作成日時 : 2011/10/27 09:16   >>

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★日本語★
問題:フィクションの世界で江戸時代最大の出来事はなにか。これはもうなんといっても赤穂浪士の討ち入りなんだそうです。
■歌舞伎や講談その他の芸能では、「仮名手本忠臣蔵」とか「赤穂義士伝」など、大石内蔵助以下47士の復讐譚が取り上げられます。講談では、「時は元禄15年極月14日、白皚皚(はくがいがい)たる銀世界…」などと読まれています。極月は師走、つまり12月です。「白皚皚たる」というのは真っ白であるという表現らしい。落語では、赤穂浪士の討ち入りにまつわる演目を集めたCDシリーズが刊行されています。「権助芝居」、「質屋芝居」、「四段目」、「七段目」などなど、20話をこえるお話が聞けます。
■ご存じのように忠臣蔵は史実にもとづいたお話です。元禄15年12月14日に討ち入りは行なわれたらしい。チャンチャンバラバラの勝敗は割りと早くつき、浪士側が吉良邸内を制圧したようです。ところが肝心の吉良上野介がなかなか見つからなかったらしい。時刻ははっきりしませんが、未明になって炭を入れておく倉庫のような小屋に隠れていたところを引きずりだし、とどめを差したもいわれます。
■その後、本所松坂町の吉良邸から高輪の泉岳寺まで、ちょん切られた吉良上野介の首を掲げながら、約9kmの凱旋行進です。
■事件当日は雪が降っていたともいわれます。極度の緊張をともなう徹夜の肉体労働のあとでもあります。でも本懐を遂げた連中の顔は朝日に輝いていたと、フィクションの世界では語られています。
■参考資料*1によれば、ある講談師が「12月15日になってから吉良上野介が見つかり、斬ることができた」と紹介しているそうです。ところがある落語家は、「12月14日のうちに殺しているのだ」と頑なに主張しています。どちらも未明ごろの殺害を認めた上なのですが、これはどちらが正しいのでしょうか?
[い]講談師が正しい
[ろ]落語家が正しい
[は]どちらも正しい
[に]どちも正しくない
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★日本語★
正解:[ろ]、あるいは[は]
説明:落語家の主張するところでは、江戸時代の日の数え方が講談師は間違っているそうです。現在では深夜の0時から24時間が1日です。ところが江戸時代には、夜が明けた瞬間、あるいは明け六(あけむつ)の鐘が鳴ってからから翌日の夜が明ける直前までが1日なんだそうです。
■当然ながら季節によってわずかながら1日の長さも違います。夏至から冬至までの半年は毎日少しずつ夜明けが遅くなります。昨日の夜明けが6時ちょうどなら今日の夜明けは6時1分かもしれません。ということは、1日が24時間+1分で、少し長くなっています。逆に冬至から夏至までの半年は、毎日少しずつ夜明けが早くなります。1日が短めになるのかな。
■言葉としても「明日」とか「明くる日」といいます。夜が明けたときからが明くる日なんだそうです。たとえば正月の1月1日は、江戸では6時50分前後からでしょうか、日の出があります。この瞬間からが1月1日であり、「明けましておめでとう」となるらしい。暗いうちは大晦日なんですね。
■十代目桂文治という落語家の師匠は以上のような説を唱えています。これに従えば吉良上野介が落命したのは12月14日のうちになるわけです。
■これに対して講談師のほうは、12時過ぎたら翌日だ。だから12月15日の未明に吉良は斬られたのだ。単純明快ではあります。西洋風の考えにもとづけば、こちらも正しいことになります。どちらかというと、落語家のほうが意見としては面白いですね。
■弊クイズでは、以前に次のように書いていました。
---本日は、主君浅野内匠頭(たくみのかみ)の無念を晴らすべく、もと国家老大石内蔵助(くらのすけ)以下47浪士が吉良上野介(きら こうずけのすけ)の屋敷を襲い、見事本懐を遂げた日だそうです。元禄15年12月14日というのは講談や芝居などでいわれているとおりらしい。西暦に直すと1703年1月30日とのこと。いちばん寒いころですね。実際に吉良の首をちょん切ったのは31日の未明のことだったようです。(*2)
■この場合、「(西暦でいえば)1月31日の未明」というのはかろうじて間違いではないようです。ただ和暦を使う以上は和の心で徹底すべきでしょうから、「元禄15年12月15日の未明」というのは間違っているような気もしますね。
◆参考*1:CD「朝日名人会ライヴシリーズ9 桂文治1『掛取り/火焔太鼓』」十代目桂文治、SICL 1、ソニー・ミュージックエンターテイメント
◇*2HP「赤穂浪士討入の日。ところで山鹿流の秘法隠し筆に使われるのは砂糖なの醤油なの?」
http://blog.q-q.jp/201012/article_12.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
なるほど、どちらとも言えるし、どちらとも言えないというところですね。
歌舞伎で取り上げられたので、忠臣蔵が有名になりましたが、あのころは、おなじような江戸城内での刃傷事件が何回かあったようですね。
刀という武器を携帯してましたからね。
明治政府が禁止したのは正解でしょうね。もし、いまでも刀を腰に差していたら、そこらじゅうで刃傷沙汰が起きていることでしょう。
ねこのひげ
2011/10/28 06:00
コメントをありがとうございます。

 もしみなが現代でも帯刀していたら、傷害や殺人が減るだろう。そんな見方もあるようです。
 三島由紀夫だったかの説によれば、人は斬るほうより斬られるほうを想像するものだそうで、暴力を振るおうとしてもうっかりすると刺されると思えば、自制が働く…というのですが。

 たしかに強盗に入るのは、現状よりも多くの度胸が必要になるでしょうね。すき家の店員が名刀村正を振り回して抵抗するかもしれないのですから。
 米国が銃社会なのもこの理屈もあるのかもしれません。

 実際の結果はわかりません。できれば帯刀特区を設けて社会実験してみたら面白いのでしょう。無理でしょうけれど。
(^^;)
ねこのひげ様<素町人
2011/10/29 08:50

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