頼朝に決起を促した怪僧文覚(もんがく)。よく知られる荒行とはどんなことなの?

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★歴史★
問題:文覚は保延(ほうえん)5年(1139年)に生まれ、建仁(けんにん)3年(1203年)に死んだそうです。最初は北面の武士だったらしい。遠藤盛遠(もりとお)という俗名です。のちの西行、佐藤義清(のりきよ)は同僚だったともいわれます。10代の後半、別の同僚の妻である袈裟御前(けさごぜん)という美女に横恋慕して殺人事件を起こし、出家したそうです*2。
■出家後に数々の荒行を経験したらしい。満34歳ぐらでしょうか。承安(しょうあん)3年(1173年)の5月、後白河法皇に「京都高尾山神護寺の再興」を強訴したかどで伊豆に流されます。このとき鎌倉にいた源頼朝の知遇を得たらしい。
■あまり乗り気でなかった頼朝をけしかけて決起させたのは文覚だといわれます。治承(じしょう)4年(1180年)6月ごろ、鎌倉から当時の福原京に飛び、後白河法皇に平氏追討の院宣(いんぜん、命令)を出させたともいわれます。同時に頼朝は密かに兵を募っていたという話もあります。この年の8月中旬、頼朝は伊豆韮山(にらやま)で挙兵するわけですね。
■嘘かホントか、文覚は頼朝に髑髏を見せ、これは平治の乱で亡くなったお父上義朝公の髑髏でござると言った噂もあります。ところがこれは偽物で、頼朝を奮い立たせようとする計略だったらしい。平家を滅亡させてから、文覚は義朝の本物のしゃれこうべを探しだし、あらためて頼朝に渡したと「平家物語・巻12・紺掻之沙汰(こんかきのさた)」に記されているらしい*4。
■余談です。頼朝は髑髏にまつわる逸話の多い人です。頭が大きかったといわれます。「拝領(はいりょう)の 頭巾梶原 縫い縮め」という川柳があります。梶原は、決起直後の石橋山の戦いに敗れた頼朝を見逃して救い、頼朝の部下となった梶原景時(かげとき)です。義経について讒言(ざんげん、嘘の密告)した男ともいわれます。拝領とは「目上の人から物をいただくこと」です。頼朝愛用の頭巾は大きかったんでしょうね。
■大頭の頼朝のしゃれこうべを江戸時代に見世物としていたらしい。「おい、頼朝は頭が大きかったそうじゃねぇか。このしゃれこうべはずいぶん小さいな」。「これは頼朝公御幼少のころのしゃれこうべ」。落語の枕で紹介される小咄です。
■本日のクイズは、文覚という不思議な人物についてです。10代にはやまったことをした少年は、青年となった20代に荒行をしたらしい。「文覚の荒行」は刺青のデザインにも使われますし、江戸時代のさまざまな歌舞音曲の種としてもつかわれました。落語では「宗珉(そうみん)の滝」という珍しい話にもわずかに登場します。刀の拵え(こしらえ)の意匠、飾りの彫刻に文覚の荒行があるというお話でした*6。
■では、文覚の荒行と呼ばれるもののうち、実際に伝えられているのは次のどれでしょうか? (正解は複数かも)
[い]真冬の凍り付いた池に裸身を横たえ丸1日辛抱する
[ろ]薮の中で裸になり、毒虫や蚊に我が身を刺させて丸8日間も耐えた
[は]真冬の那智の滝で、滝壺に首までつかり、数日後に息が絶えた
[に]鞍馬山の火祭りに飛び入りで参加し、大きな松明で身を焦がしたが火傷ひとつできなかった
[ほ]49日間ものあいだ断食し、水さえほとんど飲まなかったが奇跡的に生きながらえた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]「薮の中で裸になり、毒虫や蚊に我が身を刺させて丸8日間も耐えた」と[は]「真冬の那智の滝で、滝壺に首までつかり、数日後に息が絶えた」が正しい
説明:「平家物語・巻5・文覚荒行(もんがくのあらぎょう)」によれば、「真夏の太陽が照りつけて草もぐったりと動かない炎天の下を、片山の薮の中にはいり、あおむけに寝て、虻や蚊・蜂・蟻などの毒虫が、からだにびっしりとりついて、刺したり噛んだりしたけれども、すこしも身を動かさず、そのまま7日までは起きることもなく、8日目になって起きあがり、『修行というのは、この程度のことか』と人に尋ねた」とのこと。現代では虫除けスプレーの開発者たちが自ら似たことをしているという噂があります。
■那智の滝では、5日後に浮いて流されてしまい、5~6町ほど川下で救出されたそうです。ところが文覚は修行半ばでなぜここに連れ出したのかなどと八つ当たりをしたらしい。再び滝壺につかります。このとき文覚を無理矢理引き揚げようとする童子たちがいたそうですが、文覚は抵抗します。修行再開から3日目についに文覚は息絶えたとのこと。童子たちが文覚の身体を撫でると、文覚は息を吹き返したそうです。童子たちは不動明王の使いの者だったらしい。
■その後、滝壺に戻って21日の満願の日を迎えます。さらに那智に1000日こもり、大峰に3度、葛城に2度、さらに高野・粉河(こかわ)・金峰山(きんぶせん)・白山・立山・富士山・伊豆・箱根・信濃の戸隠・出羽の羽黒など、日本国じゅう残る所なく修行して回ったそうです。一種の修行マニアなのかな。おかげで超自然的な霊力・威力をわがものとした…と当時の人たちは信じたようです。
■文覚は頼朝をけしかけて平家を滅亡させたあと、頼朝の庇護を受け大きな影響力を持ったそうです。神護寺(じんごじ)・東寺・高野山大塔・東大寺・江の島弁財天などの復旧に力を注いだようです。建久(けんきゅう)10年(1199年)に頼朝が亡くなったあとは徐々に影響力が衰え、政争に巻き込まれて佐渡に流されたりします。いったん許されて都に戻りますが、元久(げんきゅう)2年(1205年)に後鳥羽上皇に謀反の疑いをかけられ、対馬に流罪となる途中で客死したとのこと。満64歳ぐらい。波乱の人生だったようです。
◆参考*1:HP「文覚 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E8%A6%9A
◇*2HP「他人の女房に横恋慕し、亭主を殺そうとして当の女房を殺してしまったトンマは誰なの?」
http://blog.q-q.jp/200702/article_42.html
◇*3HP「古今夢想 年表」
http://www.geocities.co.jp/kokonmusou1182/nenpyou_c.html
◇*4書籍「平家物語12」文庫初版33~39頁、杉本圭三郎(けいざぶろう)訳註、ISBN4-06-158362-X、講談社
◇*5書籍「平家物語5」文庫初版124~139頁、杉本圭三郎(けいざぶろう)訳註、ISBN4-06-158355-7、講談社
◇*6HP「落語暦~ラクゴヨミ ≫ Blog Archive ≫ 宗珉の滝」
http://rakugoyomi.wordpress.com/2010/11/17/%E5%AE%97%E7%8F%89%E3%81%AE%E6%BB%9D/

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この記事へのコメント

ねこのひげ
2011年10月02日 07:27
このころから戦国時代にかけての坊主というのは宗教家というより、外交官と軍師を兼ねていたような奴が多いですね。
いまもたいして変わりませんが・・・葬式屋か不動産屋みたいなのがゾロゾロいますからね。
ねこのひげ様<素町人
2011年10月02日 19:38
コメントをありがとうございます。

 東日本大震災においても、一部の例外を除いて、宗教屋たちは活発な支援をしないようです。
 社会に奉仕しない宗教法人からは、税金免除の特典をはずすべきでしょう。国も自治体も予算不足で困っている時代ですし。
(^^;)

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