戦国大名三好長慶(ちょうけい)の命日。信長よりも前に天下人になっていたの?

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★歴史★
問題:1564年の今日、8月10日。和暦では永禄(えいろく)7年7月4日。戦国大名として知られる三好長慶(ちょうけい/ながよし)が死にました。大永(だいえい)2年(1522年)3月10日生まれ。満42歳だったようです。数えで43歳。後厄なのかな。現在では病死説が強いらしい。多くの敵に囲まれていたので、後に紹介するように他殺説もチラホラとあります。
■三好家は、四国の出身だそうです。現在でも徳島県に三好市という自治体があります。ここから発展していったようです。三好市は全国の三好姓の発祥の地と推定されているらしい。
■父である三好元長(もとなが)は、室町幕府の三管領の1人、細川氏の重臣だったらしい。優秀な武将だったようです。阿波(徳島)や山城(京都)で勢力を蓄えたらしい。天文(てんぶん)元年(1532年)7月29日、勢いを増す部下に恐怖を感じたのでしょうか。親分の細川晴元(はるもと)により抹殺されたらしい。三好長慶は満10歳。幸いに助命され、細川晴元に従うことになったそうです。
■天文(てんぶん)8年(1539年)、満17歳のとき、父の遺領の相続問題がこじれ、2500の軍勢を引きつれて上洛します。実力行使は奏功し、領地を入手できたらしい。時の将軍は12代足利義晴(よしはる)でした。三好長慶を恐れて近江に逃げ出したとのこと。細川晴元は、他の武将に三好長慶との和睦を仲介するよう依頼しているそうです。向かうところ敵なしの勢いだったのかな。
■和解が成立したのでしょうか。三好長慶は細川氏のもとで働き、最有力重臣になったようです。天文(てんぶん)17年(1548年)、満26歳のとき、細川晴元を裏切り、翌年には13代将軍足利義輝と細川晴元を近江に追放することに成功します。応仁の乱以後、長く続いた細川政権は事実上崩壊し、三好政権が誕生したとのこと。
■その後、永禄(えいろく)3年(1560年)、桶狭間の戦いがあった年ぐらいまでは、自分や部下が京都に留まり、影響力を行使していたようです。永禄(えいろく)4年(1561年)、満39歳のときに細川晴元の次男細川晴之(はるゆき?)を名目上の盟主とする畠山高政(たかまさ)・六角義賢(よしかた)の同盟軍に敗れ、勢いを失います。
■その後、弟や息子などが相次いで死に、少しずつ心身に異常をきたしてきたそうです。永禄(えいろく)7年(1564年)の5月、よく補佐していたといわれる弟の安宅冬康(あたぎ ふゆやす)を居城である飯盛山城(いいもりやまじょう)に呼び出して反逆の罪で自殺させたあと、7月4日(西暦8月10日)に自らも病に屈したとのこと。飯盛山城は、現在の大阪府四条畷市(しじょうなわてし)、奈良県に接する位置にあった城です。安宅冬康は流言によって死を強要されたようです。冷静な判断はできなくなっていたのかもしれません。
■三好長慶は、短期とはいえ天下人にまでのぼりつめます。ただし、それは信長のように足利将軍を廃して自分の時代をつくるといった企てではありません。実質的な最高権力者として足利将軍を操ろうとする試みらしい。小沢一郎タイプなのかな。時代を変える創造力はなかったのかも。
■本日は若くして病死した戦国武将の447回目の命日にちなみ、三好長慶にかんする雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか? (正解は複数かも)
[い]死んだことは伏され、その葬儀は結局とりおこなわれなかった
[ろ]家臣の1人が細川晴元により鋸引きの刑に処された
[は]勢力範囲に近い堺の経済力に目をつけ、従わない歌人や茶人たちを殺すなど、文化人嫌いの野卑な面があった
[に]戦国武将らしい下克上でのしあがったが、自分自身も下克上されてしまった       
[ほ]有吉佐和子(さわこ)の大ベストセラー「恍惚の人」の間接的な名付け親である
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]、[ほ]が正しい
説明:[い]死んだことは伏され、その葬儀は結局とりおこなわれなかった(×)
■強力な指導力で集団を率いていた人物が死んだ場合、周辺の競争相手につけこまれるのを嫌い、死を隠すことがあるようです。武田信玄でしたか、「死を3年の間は秘匿せよ」と遺言したというお話もあります。三好長慶もそんなことをしたらしい。
□遺言により、永禄(えいろく)9年(1566年)の6月までその死は公表されなかったらしい。この年の6月24日に「三好氏の新当主に据えた養子の義継(よしつぐ)を喪主とする盛大な葬儀を真観寺で営んだ」そうです。
□三好長慶の家臣であった松永久秀(ひさひで)とか、義継を擁して松永久秀と対立した三好三人衆などは長慶の死後に動きを活発にしています。「秘した」といってもその死はいわゆる公然の秘密だったのかもしれません。
□なお、真観寺(しんかんじ?)というお寺は、現在では埼玉県や徳島県などにあります。出身地ですから、徳島県かもしれませんけど、三好長慶の遅い葬儀が行なわれた真観寺が現在の真観寺かどうかはわかりませんでした。大阪府八尾市にある真観寺がその現場だという話もどこかのHPで見かけました。
[ろ]家臣の1人が細川晴元により鋸引きの刑に処された(○)
■細川晴元と三好長慶の対立はかなりの怨念に彩られていたようです。
□京都に一条戻橋(いちじょうもどりばし)という橋があります。平安時代の武将渡辺綱(つな)が鬼の化けた若い娘に声を掛けられた場所らしい*4。のちには、秀吉によって千利休の首がさらされた場所だそうです。
□三好長慶の家臣和田新五郎(しんごろう?)という人物は、ここで鋸引きの刑に処されたようです。もともと細川晴元は親の仇ではあります。互いの利害が一致している間は主人と家来という関係で安定していたらしい。利害が対立すればたちまち裏切りです。寝返られて頭に血がのぼったのでしょうか。坊主憎ければ袈裟までなのかな。細川晴元は、三好長慶の家臣に残虐な刑を科しました。
□鋸引きは、「罪人の首を鋸で切る極刑」だそうです。鋸は被害者遺族や通行人などに少しずつ引かせたらしい。ゆっくりと苦痛を与えながら殺す刑です。和田新五郎氏も苦痛に満ちた最期だったのでしょうね。
[は]勢力範囲に近い堺の経済力に目をつけ、従わない歌人や茶人たちを殺すなど、文化人嫌いの野卑な面があった(×)
■堺の経済力に目をつけたのは事実のようです。でも三好長慶は文化人が大好きな人で、自身も歌を詠んだり茶会を開いたりしたとのこと。文武両道だったようです。
□Wikipediaには、次のような歌が掲載されていました。「歌連歌(うたれんが) ぬるきものぞと 言うものの 梓弓矢も 取りたるもなし」。文の道にはげむ三好長慶がからかわれたときの返歌らしい。「歌を詠む自分(三好長慶)を軟弱だと笑うような奴に限って軍馬の道はまるで駄目なんだから」という意味でしょうか。
□宗養(そうよう)という連歌師は、三好長慶の愛顧を得て、居城である飯盛山城にしばしば出向いているとのこと。宗養は戦国時代の笑い話を集めた本「醒睡笑(せいすいしょう)」にも、厳しい連歌の師匠として登場しているようです*5。
[に]戦国武将らしい下克上でのしあがったが、自分自身も下克上されてしまった(△)
■三好長慶は、親分である細川晴元をやっつけて天下をとりました。この点についてはまちがいなく下克上です。斎藤道三などと並んで、下克上の代表選手ともいわれます。
□三好長慶が病死であるなら、自分自身は下克上されたとまではいえません。ただし、織田信長は、松永久秀を初対面の徳川家康に紹介するとき、次のように言っているそうです。「この男が松永弾正(だんじょう)じゃ。こいつは人の出来ないことを3つもやりおった。主君の三好長慶を殺し、将軍足利義輝を暗殺し、奈良の大仏を焼き払った男よ」。
□どこまでがホントかわかりませんが、松永久秀が主家を滅ぼしたと書く本は他にもあります*6。
[ほ]有吉佐和子(さわこ)の大ベストセラー「恍惚の人」の間接的な名付け親である(○)
■「恍惚の人」は、昭和47年(1972年)に発表された長編小説です。森繁久弥(ひさや)主演で映画化され、何度も舞台化されているらしい。老人問題を取り上げ、高齢化社会の苦悩を見事に予見しているといわれます。大ベストセラーになりました。
□作者の有吉佐和子(さわこ)は、題名に苦労したらしい。「聖書」、「ギリシャ神話」、「四書五経」などで表現を漁ったようです。でも、耄碌(もうろく)した老人を言い当てるいい言葉が見つからなかったそうです。
□参考資料*7によれば、「たまたま頼山陽の『日本外史』を読んでいたところ、その中に三好長慶が松永大膳(久秀)に滅ぼされるくだりがあり、『三好長慶老いて病み恍惚として人を知らず』とあった」とのこと。これだっと思ってとびつき、「恍惚の人」という題名が生まれたそうです。
□ここでも三好長慶は松永久秀に滅ぼされるという表現になっていますね。江戸時代にはそれが定説だったのでしょうか。
◆参考*1:HP「三好長慶 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%A5%BD%E9%95%B7%E6%85%B6
◇*2HP「三好市 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%A5%BD%E5%B8%82
◇*3HP「東大寺大仏殿の戦い - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E5%A4%A7%E4%BB%8F%E6%AE%BF%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
◇*4HP「金太郎のチームメイトは、鬼の腕を切り落としたの?」
http://blog.q-q.jp/200903/article_28.html
◇*5書籍「醒睡笑」初版181頁、安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)著ISBN4-582-80031-9、平凡社
◇*6書籍「川柳和漢人物史」初版126頁、山本成之助著、牧野出版
◇*7書籍「世界人物逸話大事典」初版55頁、朝倉治彦・三浦一郎編、ISBN4-04-031900-1、角川書店

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この記事へのコメント

ねこのひげ
2011年08月11日 07:03
このあたりの小悪党同士の争いというのはけっこう好きです。松永久秀もおもしろい奴ですよね。
京都でドタバタと政権争いやっている間に、武田や織田、毛利などの地方の勢力が巨大化していったんですよね。
いまの日本や中国も似ている気がします。
鋸とといっても木で出来たノコギリだから、痛いなんてものじゃあなかったでしょうね。
通りがかった人間に挽かせたというけど、挽いたやつがいたんですかね。

小説というのはタイトルひとつで決まる気がします。
『恍惚の人』は見事ですね。
最近では和田竜さんの『のぼうの城』というタイトルにやられました。
ねこのひげ様<素町人
2011年08月11日 15:01
コメントをありがとうございます。

 鋸引の刑は江戸時代にも存在したけれども、実際には誰も引こうとはしなかったという話を聞いたことがあります。
(^^;)

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