江戸時代の飛脚。江戸から京都までは何日で着いたの?

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★歴史★
問題: 江戸時代の人が手紙を出すとき、飛脚問屋に托すことが多かったようです。
■飛脚は人間の健脚だけがたよりです。文字通りに飛ぶが如く走り、手紙や物、ときには現金を素早く運んだらしい。箱根駅伝で好成績だった大学の陸上部の長距離選手を多く雇用した…というほとんど根拠のない噂話があります。
■では、江戸時代の飛脚は江戸から京都まで、どのぐらいの時間をかけて手紙を運んだのでしょうか? 次の中から近いものを選んで下さい。ちなみに江戸から京都までは104里あったといわれます。1里=3.927kmとすると、約408kmになるらしい。ここでは、参考資料*1にあった「いちばん速い便」についての記述を正解とします。
[い]25時間(1日余り)ぐらい
[ろ]50時間(2日余り)ぐらい
[は]75時間(3日余り)ぐらい
[に]100時間(4日余り)ぐらい
[ほ]125時間(5日余り)ぐらい
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]50時間(2日余り)ぐらい
説明:参考資料*1は瓦版についての本ですが、その取材方法として次のように記されていました。「江戸市内の事件はそのやり方でいいが、諸国の災害はどうして取材したか。飛脚の公共性におんぶして、幕府は途中の地震・火事は報告せよと義務づけた。これがもっとも速い通信機関で、江戸から京まで百二十四里を、二日と八時間で走破した」。
■川柳には、「飛脚問屋と 本屋の前に 一だかり(ひとだかり?)」という句があるらしい。地方の災害の噂に人々が集まっている様子なのかもしれません。
■2日と8時間ということは、56時間で駆け抜けたということらしい。400km余りを50時間余りですから、乱暴に割り算すればおおむね8km/時ということになります。この速度そのものは素人ランナーでも出せるでしょうけれど、荷物を担ぎながらの走行です。しかもある程度の時間続けて次の走者に渡していくわけですね。なかなか大変だろうと推測します。なお、箱根駅伝の走者は、マラソンと同様でほぼ20km/時で走るそうです。こちらは襷(たすき)を運ぶのですから、そんなに重くはありません。
■飛脚が深夜も移動したのかどうかははっきりしません。落語には「堺飛脚(さかいびきゃく)」というお話があって、大坂から堺に向かう住吉街道(紀州街道)を真夜中に走っています。東海道も深夜に走るのならば平均時速8kmは正しいのかな。深夜は宿場に留め置かれたとすれば、走っている際には時速10kmを越える平均速度だったかもしれません。
■なお、Wikipediaの飛脚の項によれば、公儀の飛脚で継飛脚(つぎびきゃく)というのがあり、江戸から京都を70時間で運んだと記されています。これが「飛脚を使ったいちばん速い通信」とのこと。こちらの説を採用するとすれば[は]が正解ですね。
■ちなみに、元禄(げんろく)14年(1701年)3月14日午後5時ごろ、江戸を出発した早駕籠は3月19日の早朝4時ごろ赤穂に到着したらしい。乗っていたのは萱野三平(かやの さんぺい)と早水藤左右衛門(はやみず とうざえもん)の2人。出迎えたのは国家老大石良雄(よしお、内蔵助とも)だったようです。主人浅野長矩(ながのり、内匠頭)の発作的犯罪と処分という悲しい話を伝えたようです。距離は155里、約620kmでしょうか。所要時間は83時間ぐらい。この場合もほぼ8km/時の移動速度なのかな。
■江戸時代の船では、風がいちばんいいときには、約2日で大坂と浦賀のあいだを50時間で到着したという記録があるそうです。酒を運ぶ船では西宮から江戸までが58時間という記録が残されているらしい*4。飛脚とあまりかわりません。それなら苦労して走ることもなさそうですけど、船は天候に大きく左右されてしまうようです。
■国家の一大事というぐらいに火急の場合は、早馬を飛ばすんでしょうね。こちらですと飛脚の倍~3倍ぐらいの速度は出せそうです。
◆参考*1:書籍「かわら版 江戸の大変 天の巻」初版4~6頁、稲垣史生著、ISBN4-582-63301-3、平凡社
◇*2HP「飛脚 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E8%84%9A
◇*3HP「四十七士物語 早駕籠」
http://yururi.aikotoba.jp/samurai/retsuden/hayakago.html
◇*4HP「江戸時代の船はどのぐらい速かったの?」
http://blog.q-q.jp/200905/article_3.html

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この記事へのコメント

ねこのひげ
2011年06月01日 07:50
飛脚より早い情報の伝達として狼煙を上げるというのもあったそうですね。米相場の上げ下げを煙の色違いで知らせたそうですが、狼煙を上げるのは江戸幕府が禁止していたそうで、行った米相場師は磔になったそうです。
明治になって開国された始めてのオリンピックに、明治政府が飛脚を参加させようとしたら、プロはダメと断られたというのも聞いたことがあります。
明治政府から言われて、草鞋脚半を用意して張り切っていた飛脚人はガッカリしたというのを読んだことがあります。
出ていたらどんな記録がでたか?興味がありますね。
金メダル取れたかも?草鞋でというのも。日本のアベベになったかも。
ねこのひげ様<素町人
2011年06月01日 10:40
コメントをありがとうございます。

 いつだったかテレビで古代の狼煙の話を観ました。間違えて狼煙を上げた係の人とその上司が罰せられるという話があったかな。
 
 五輪への飛脚の参加は、申し上げにくいのですが、ねこのひげ様の勘違いの可能性があります。
 と申しますのは、日本に郵便制度が導入されたのが明治4年(1871年)であり、近代五輪が復活して第1回大会がアテネで開かれたのが明治29年(1896年)だそうです。ひょっとしたら、郵便配達夫の参加が断られたのかもしれませんね。
m(_ _)m
ねこのひげ
2011年06月01日 20:54
ご迷惑をかけてすいません。。<(_ _)>
明治にはいて飛脚は、大半が郵便局員か人力車の車夫になり、一部の人間がいまでいう小包を運ぶ運送屋として飛脚を続けていたそうですけど・・・
郵便局員か人力車夫の人、元飛脚という部分が記憶から消えていたのかもしれません。
すいません。

ついでに思い出したので、水泳も、日本人は古式泳法で挑んだため惨敗だったそうですけどね。
日本では、泳ぎで競争するという考えがなかったためだそうです。(^_^.)
ねこのひげ様<素町人
2011年06月01日 21:28
コメントをありがとうございます。

 「ご迷惑」などトンデモありません。記憶違い、勘違いはむしろ人間らしくて結構なことと考えます。
 素町人もしょっちゅう間違えます。「機械ではない証拠」と前向きに考え、細かいことは気にしないようにいたしましょう。
m(_ _)m
金星坊や
2012年06月22日 14:55
早馬は飛脚より早いとありましたが、馬で速く走れるのは数キロ程度、競馬レースを見れば分かります。生き物の中で長い距離を走れるのは、人間だけ。宿場においた馬を乗りついていけば早くいけそうですが、それもあまり整備されていませんでした。実際松の廊下刃傷事件の赤穂への伝達も、武士なので本来なら馬を使うはずが、籠にしています(もっともこの時は生類憐みの令が出ていたので、馬は使えませんでした)。
金星坊や様<素町人
2012年06月22日 15:40
コメントをありがとうございます。

「生き物の中で長い距離を走れるのは人間だけ」というのは恐らく誤りです。
 枝角羚羊(えだつのれいよう)という動物は、平均時速57.6km/hで45分間走り続けたという記録があるとのこと。
→書籍「動物ものしり事典」初版98~100頁、吉村卓三著、日本文芸社

 馬ももちろん人間より速く走れますし、持久力もあります。そうでなければ戦争に馬は使えません。

 宿場に馬が整備されていないというご意見ですが、奈良時代からすでに整備されていたという意見もあります。早馬は当時からありました。
 宿場は、昔は「駅」と呼ばれていたそうです。漢字の中に「馬」という部品が含まれていることがその機能をあらわしています。

 江戸時代では1624年に東海道が完成しています。各宿場には100人・100疋(ひき)の人馬が常備されていたそうです。中山道では50人50疋と、交通量・重要度によって人馬の常備数はかわっているらしい。
(ただし100疋というは1日あたり100回の荷役がまかなえる頭数という意味だそうです。おそらく各宿場に実際にいた馬の数は数十頭と考えられます)
 五街道は道中奉行の支配下にありました。公用貨客が淀みなく送れるよう、宿場の伝馬役(現場で馬の手配をする人?)などを管理監督していたようです。
→書籍「江戸文化歴史検定公式テキスト上級編【江戸博覧強記】」360~361頁など。
素町人
2012年06月30日 09:19
※伝馬役は任務の名前だそうです。管理するのは宿役人らしい。宿場業務は名主・問屋・年寄(問屋の補佐)らの宿役人があたったとのこと。
※道中奉行は万治(まんじ)2年(1659年)に設置されたとのこと。宿役人をつうじて宿場の運営を監督するのも職務だったようです。

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